京都国立近代美術館-コレクション展 (10月1日)

 京都市京セラ美術館の後は真向いにある京都国立近代美術館(京近美)へ。ここを訪れるのも多分三回目くらいなる。ここでは10月14日からルートヴィヒ美術館展(国立新美術館でやっていた)が始まる予定で、現在は常設展示の第3回コクレション展をやっている。ここは所蔵品が豊富でいつ行っても新しい発見がある。今回もある意味堪能できた。

 京セラ美術館、京近美とそれぞれ異なる作品群ではあるけれど、空間的な居心地の良さ、そして展示点数ほほどうよく、それぞれ滞在時間は1時間半程度だったが、リラックスして鑑賞できた。観客も土曜日の午後にしては少ない印象でゆったりと絵を観て回ることができる。妻とは互いに「このくらいの点数がちょうどいいね」と言い合った。

 展示作品は前期(7月22日から8月28日)と後期(8月30日から10月2日)までとなっている。そうか第3回コレクション展の最終日前日の来館だったのか。それを思うとここで観ることが出来る作品とは、本当に一期一会みたいな部分もあるのだろう。実際、京都での美術館巡りなど年に1回できるかどうかである。その時に必ず観ることが出来るとは限らない訳だし、よっぽど展示情報をチェックしていなければ難しい訳なので。

 そうした中で偶然観ることができ、そして気にいった作品をいくつか。これらの名画名作に二度と会うことはないのかもしれないという思いを込めながら。

 

《枯野の狐》 (竹内栖鳳) 絹本着色 

 京都画壇の頂点ともいうべき人である。やはりこの絵が断トツでいい。妻ともこの絵が抜きんでているねと口々に言い合った。この狐の姿、表情は美しい。

 

 

《巴里の女》 (土田麦僊) テンペラ・画布

 土田麦僊の洋画-テンペラ画である。麦僊は1921年から1年半渡欧して西洋画の研究を行っている。この絵はその時に描かれたもので見ての通り未完である。制作途中、デッサンによる線描の段階ではかなり自信をもっていたが、彩色の段階になると思ったような効果が得られず挫折したということらしい。*1

 しかし不思議な絵である。女性の容貌、衣服は写実というよりもある種の様式性がある。足元は何度も書き直され、結局そのままで中断されている。ただこの絵からはそれまでのルノワールゴーギャンの影響を脱した麦僊の心境がうかがえるし、その後の《舞妓林泉》の完成された様式美みたいなものの萌芽を感じられる。なにかこの一枚を観ただけで、京都に来た甲斐があったような気がした。

 

《風雪三顧図》 (鈴木松年) 絹本着色

 上村松園のお師匠さん。豪快な筆致、画風の人といわれる。幸野楳嶺とは犬猿の仲といわれており、様々なエピソードがある。

 

《規範への抵抗》 (堂本印象) 麻布、油彩、墨

 京都には堂本印象の個人美術館があるという。いつか機会があれば行ってみたい。日本画で大成しながらもキャリアの後半になってから油彩にも手を染め、さらに抽象画に傾倒する。日本画家が油彩という画材を使い、抽象画を極めた作例といっていいのでは。

 

《夜の童話》 (星野眞吾) 紙本着色

《厚紙による作品 F》 (星野眞吾) 紙本着色 箔

 逆に日本画の画材に拘りながら抽象画を描き続けたのが三上誠や星野眞吾だったという理解でいいのだろうか。この人の作品はあまり観ることがないので、2点を観れたのは有難かった。たしか東近美には人拓作品があったと記憶している。

*1:土田麦僊の欧州遊学をめぐって https://core.ac.uk/download/pdf/228663531.pdf