じゃりン子チエを捨てた

 『じゃりン子チエ』を捨てた。

 本棚が手狭になったことと、このまま持っていても多分もう読み返すことがないだろうということで。

 もうコミックで全巻揃いで持っているのはあとどれくらいあるか。みなもと太郎の『風雲児たち』、吉田秋生の『BANANA FISH』、二ノ宮知子のだめカンタービレ』そんなところか。手塚治虫火の鳥』、白土三平の『サスケ』、横山光輝伊賀の影丸』あたりもコミックは一度捨てたのにまた文庫版で買い直してもってたりする。この手のものもいずれは捨てることになるんだろうな。

 『じゃりン子チエ』については以前、山本二三展のことを書いたときに触れたことがある。山本二三が高畑勲と仕事を始めたのが劇場版アニメの「じゃりン子チエ」だったからだったか。

東京富士美術館〜山本二三展 - トムジィの日常雑記

山本二三に戻る。彼が高畑勲と組んだのは1981年の『じゃりン子チエ』だという。実はこの劇場版アニメは観ていない。コミックの方はずっと愛読していた。まだ本棚に全巻揃っている。試みに第1巻を出してみると昭和54年5月初版とある。1979年のことだ。そして最終巻67巻はというと1997年12月。やれやれもう完結して22年の月日が経つのだ。そして1997年は子どもが生まれた年でもあり、自分は多分41とかそういう歳の頃だ。

 月日の経つのは早いということ。『じゃりン子チエ』を読み出したのは確か井上ひさしが朝日で文芸時評を書いていて、その中でこの大阪の下町を舞台にした人情ギャグ漫画を取り上げたからだったように覚えている。

 改めて書くが、コミック第一巻の発売が1979年、『漫画アクション』で連載が始まったのは1978年10月。それから18年をかけ1997年12月に67巻で終了した。その間、毎回コミックが出るたびに買っていたことになる。23歳、大学生だった自分は41歳と中年になっているのである。

 とはいえ連載当初から読んでいたかというと多分違うはずだ。調べると井上ひさし朝日新聞文芸時評は1980年5月26日のことらしいので、多分そこから追いかけてのだろうと思う。当時、文芸時評でコミックを取り上げるなどということはほとんどなかった。そこに売れっ子作家の井上ひさしが『じゃりン子チエ』を取り上げたということで、かなり話題になったようで、それがブレイクのきっかけになったという。

 1巻の奥付をみると1979年5月初版、1982年8月49刷とある。あれれ、書評が出たのは1980年だけどコミック買ったのはその2年後か。とすると書評のあとすぐに読み始めた訳ではなかったのか。もう40年以上前のことで、けっこう記憶の上書きされているので、てっきり書評のあとすぐと思っていた。

 井上ひさしの書評はというと、コミック2巻のうしろに第1巻~13巻発売中という広告に引用されている。

見晴らしよい叙事詩 井上ひさし

徹底的な大阪弁と登場人物が常用する独白に笑わされ、大人より子どもが大人らしく、猫が人間よりも人間らしく、猫の目のように移りかわる視点が物語世界に奥行きを与えているこの作品は近来、出色の通俗・大衆・娯楽・滑稽小説のひとつと言い得よう

朝日新聞文芸時評より

 見事な紹介文である。この文章がずっと気になっていて、当然連載しているものを読んでいて、そして一気にコミックを買ったということなんだろうか。まあ当時、自分は大学内の書店に勤めていて、稼ぎのうちのかなりの部分を書籍購入に費やしていたから、コミックを10冊やそこらまとめ買いははたいして苦にはならなかったのかもしれない。もっとも相当な薄給だったから、ほかのところを切り詰めていたのかもしれない。 

 さらにいえば、稼ぎのかなりを本にというのはちょっと大げさだとは思う。稼ぎのかなりを飲み代と本に、あるいは本と映画にが正しかったかもしれない。

 しかし1982年頃にコミックを買い始めて97年まで、毎回、毎回出るたびに買っていたのだから笑えるといえば笑える。その間に父が亡くなった。面倒をみていた祖母を老人ホームにいれた。仕事を5~6回代わり、かなり忙しい日々を送っていた。なのに律儀に出れば必ず新刊を買っていた。

 多分、後半になると連載もかなり断続的になっていたのだと思う。なかなか次の新刊が出ないということもあったし、いったいいつ終わるのかと思うこともあった。実際、最終巻が出たときにはそれなりの淋しさもあるにはあったが、当時は子どもが生まれたばかりで、妻と二人で忙しい日々を送っていたせいもあり、さほどの感慨もなくみたいな風だったかもしれない。

 読み返せば楽しいエピソードが満載だし、思い起こすことも多々あるとは思う。でも、還暦を遠に過ぎた今となっては、多分もう一度67冊を読み返すことはない。そうふんぎりとつけた。最初はブックオフに持ち込むことも考えたけど、かなり古びたコミックである。何冊かはカバーもなくなっている。多分、値が付かないだろうなとも思ったので、もうこれは資源ゴミに出すのが一番だろうと結論付けた。

 引っ越しのたびに本を捨ててきた。そしてここ10年くらいは、けっこうな頻度で本を捨てている。それでもまだ数千冊はあるし、その他にもCDも千枚単位である。DVDも同じくらいあるだろうか。自分が死ねば確実に単なるゴミである。早目に片づけた方がいいとは思っている。本は後生大事に持っていても、多分読み返すことはないのだろうなと思う。

 老後にゆっくりと本を読むつもりで積んどいたものも、多分読まない、読めないだろう。若い頃、老後はドスゴエフスキーとか冗談めかして言っていたが、いざそういう身分になってみると、絶対無理だと思う。もう活字を追うのがしんどくなりつつある。それでいて、よせばいいのに美術系の通信教育など始めてしまい、テキスト読むだけできゅうきゅうとしている。

 ため込んだもの、本、CD、DVDなどなどは、少しずつ処分していこうと思う。身体が動くうちにやらないと多分とんでもないことになる。その第一弾が『じゃりン子チエ』なのかもしれない。

 それにしても、次第に淋しい気持ちが少しずつ心に沁み込んでくる。