古谷三敏死去

 新聞朝刊の訃報記事が目に飛び込んできた。

漫画家の古谷三敏さん死去 「ダメおやじ」「BARレモン・ハート」:朝日新聞デジタル

 この人のことは赤塚不二夫のアシスタント時代からなんとなく知っていた。そして『ダメおやじ』でブレイクしてからも。あのマンガはもともとはダメおやじがオニババたる猛妻から虐待の限りを受けるというギャグ漫画だったが、途中から財閥令嬢やその祖父と知り合い、一躍大会社の社長に抜擢されたり、ユートピアを求めて自然生活をしたりと話の展開が大きく変わっていく。

 ダメおやじが社長をやめ自然生活を続ける少し前に、あるバーの常連となりマスターや常連客のメガネさんと仲良くなり、そこでウンチクを繰り広げるという章があり、それが後の『レモン・ハート』に繋がっていくというのを覚えている。たしかコミックの巻数だと13巻、14巻のあたりだっただろうか。

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 そして『レモン・ハート』、このマンガである意味酒を覚えたようなものかもしれない。学生時代から酒といえば、ビール、安い日本酒、ウィスキーはホワイトか角、オールドはまず飲めないみたいな風だった。勤めてからも安月給でとにかく量が飲めればいいという考えだったが、このマンガや探偵小説などに出てくる酒を少しずつ飲み始め、酒の知識を増やしていったものだ。

 ちょうど酒の量販店もポツポツ出始めていて、例えばバーボンなどでもハーパーあたりが3000円台で買えるようになってきていた。ワイルド・ターキー、ジャック・ダニエルも5000円前後、ブラントンやメーカーズ・マークはもう少ししただろうか。
 バー、ショットバーも最初は敷居も高くとても入るには勇気がいったけれど、じょじょに行くようになった。このマンガの影響ではないだろうが、80年代には若者が入りやすい、比較的チープなバーも増えてきていた。渋谷の門なんかは女の子を連れて行くとけっこう喜んでくれたのを覚えている。

 そして30代になって出版社に勤めたあたりから、ある部分タガが外れたようにあちこちのバーなんかに繰り出すようになった。一人でも普通に入るようになったし、ちょっと高級なところにも顔を出すようになった。青山のラジオに数人で繰り出して、ほとんど居酒屋のような飲み方をしたこともある。横にいたオシャレなカップルはさぞや迷惑なことだっただろう。あの時の支払いは誰がしたんだろうか。

 カクテルもいろいろと飲んだし、バーボンやスコッチもいろいろと試した。毎月のように大阪に出張していた頃はミナミに行きつけのショットバーもできた。そこで遅くに飲んでいると、バーテンがいろいろな酒を飲ませてくれた。当時、自分には珍しかったタンカレーウォッカなんかも飲ませてくれた。

 まあ正直にいえば自分の酒の知識のほとんどは『レモン・ハート』からだったと思う。30年以上も前のことである。

 ちなみに『ダメおやじ』や『レモン・ハート』に登場するハードボイルドを具現化したような人物メガネ氏。あのトレンチコート、中折れ帽、サングラスのモデルは、矢作俊彦ではないかと密かに思っている。当時、それを古谷三敏がどこかで書いていたような気がするのだが、記憶違いかもしれない。でもあの姿で酒や生き方のウンチクを語るのはまちがいなく矢作だと思うのだが。

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 そして古谷三敏といえばもう一つ『寄席芸人伝』である。これも80年代の頃に愛読し、それ以降も時折読み返してきた。もともと父親の影響で落語を聞くのは好きだった。もっとも寄席に連れて行ってもらったこともなく、浅草や新宿など寄席に行くようになったのはやはり30代になってからだった。高校や大学の頃はもっぱらテレビでの高座を見たり、落語本を読むくらいだったと思う。当時好きだったのは、やはり父親の影響で三遊亭円生だったように記憶している。落語本は不確かな記憶だが、角川文庫で多く出ていたような気がする。

 まあそういう落語への幾分かの興味があったので、寄席や噺家にまつわるエピソードを物語にまとめた『寄席芸人伝』はえらく面白かった。そしてこの漫画では明治期の寄席の雰囲気が味わえるようなところがあった。ちょうどそれは雑誌『話の特集』で永六輔が紹介していた正岡容安藤鶴夫の評論なども読んでいたこともあり、えらく親しみやすかったのだと思う。

 自分が多少とも落語に半可通的に興味を持ち得ていたのは、多分『寄席芸人伝』のおかだと思う。そしてその頃にはすでに鬼籍に入っていた志ん生文楽の噺もカセットテープなんかで容易に聴くことが出来た。けっこうマメにウォークマンで落語とか聴いていた時期もあった。

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 月並みというかミーハーというか、ある意味で自分などは、古谷三敏がいたから酒を覚え、落語を聞くようになった部分が大きい。80年代に古谷三敏のマンガを読んでいた人間でそういうのけっこう多いのではないかと思ったりもする。

 とはいえ古谷氏も85歳、ガンとはいえそういう年齢だったということだ。赤塚不二夫が亡くなったのが2008年(72歳)、彼のアシスタントやブレーンだった人たちでも、あだち勉(2004年没56歳)、高井研一郎(2016年没79歳)、長谷邦夫(2018年没81歳)と物故者が出ている。子ども時代、自分たちが愛読してきたマンガ家はじょじに鬼籍に入り、昭和が、20世紀が遠くなってきている。

 今日は多分、久しぶりに『寄席芸人伝』や『レモン・ハート』を読み返してみようかと思っている。古谷三敏のご冥福をお祈りする。