大塚国際美術館② (10月7日)

 大塚国際美術館での個々の絵の感想をいくつか。

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『犬と水差しを持つ田舎娘』(トマス・ゲインズバラ)

 そう男の子っぽく見えるけれど女の子。みすぼらしい衣服に裸足で犬を抱えてさまよう少女。全体的に重苦しい雰囲気とか、少女の表情もふさぎこんでいるとか、この絵の解説とかではよく目にするけれど、なんかそういうのを自分は感じない。というのも、この絵はファンシー・ピクチャー(空想画)の一種らしい。当然、アトリエでモデルにこういうカッコさせているんでしょう。少女にボーイッシュなカッコさせて屋外をさまよわせるような画題にしたてたっていうところ。でも女の子には見えない。

 ゲインズバラは18世紀イギリスの風景画家、肖像画家。時代的にはロココなんだが、フランスの雅宴画みたいなフワフワした部分とは別に、なんとなく俗っぽい風俗画的な感じもする。

トマス・ゲインズバラ - Wikipedia

 

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『マスター・ヘア』(ジョシュア・レノルズ)

 こっちは可愛い女の子とおもいきや実は男の子。18世紀のイギリス上流社会では男児もドレスを着せるのが流行したのだとか。マスターはお坊ちゃんとかそういう意味なのだとか。

 レノルズもゲインズバラと同時代、18世紀イギリスの画家。やはりロココの人とくくられる。

ジョシュア・レノルズ - Wikipedia

 男の子っぽい女の子と女の子にしか見えない男の子、18世紀イギリスの上流社会って、けっこう倒錯的だったのかなとか思ってしまうのだけれど、まあ今の風俗や世の中の見方とは歴史的にも異なる部分多いから、簡単に決めつけることはできない。

 

 大塚国際美術館にはゴヤの部屋という一角がもうけられている。部屋数はたしか3室だったか。そこにゴヤの代表作が集められている。それこそ『着衣のマハ』『裸のマハ』が並列展示されていたり、黒い絵がまとめられていたり。

 ゴヤは1746年に生まれ1828年に82歳で没している。けっこう長命で18世紀から19世紀にかけて活躍したのだけど、どうしてかもっと前の人のイメージがあり、16世紀から17世紀にかけて、バロック期の人みたいに勘違いしてしまうことがある。同じスペインのベラスケスあたりと同時代とかそんな風に錯覚してしまうというか。

 ゴヤの生きた時代は上述したレノルズやゲインズバラとほぼ同時期、どちらかといえばゴヤのほうがやや後発になるようだ。ゴヤは長命だっただけに画風もいろいろと変化させていて、若い時期にはロココ調、円熟期にはロマン主義と、時代の流行にそった人だったのだと思う。

 

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『日傘』(ゴヤ) 1777年

 これなんかは典型的なロココ調だと思う。

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『1808年5月3日:プリンシペ・ビオの丘での銃殺』(ゴヤ) 1814年

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『1808年5月2日:エジプト人親衛隊との戦闘』(ゴヤ

 このへんはゴヤロマン主義時代の大作であるとともに報道絵画というジャンルでもあるのだとか。写真のない時代、絵画は事件を人々に伝えるという役割ももっていたようだ。エジプト人という題材はどことなくドラクロワを連想させる部分もある。

フランシスコ・デ・ゴヤ - Wikipedia

 ウィキペディアの記述によればゴヤは46歳の時に聴力を失ったという。そして1819年73歳の時に「聾者の家」と称される別荘を購入して隠遁生活を送る。この家に飾られているのが黒い絵といわれるおどろおどろした絵画群だ。その中でも有名なのはこれ。

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『我が子を食らうサトゥルヌス』(ゴヤ

 以前、この絵を観たときに思ったのは、『進撃の巨人』の作者は絶対この絵にインスパイアされてないかということ。そういえばゴヤには『巨人』という有名な絵があるが、ウィキペディアによればプラド美術館は様々な調査鑑定により、ゴヤの絵ではないという発表をしているのだとか。

 しかしこの絵にしろいわゆる「黒い絵」はロマン主義というよりもどことなく象徴性を帯びているような気もしないでもない。さらにこの2枚の絵にいたっては、ある種の超現実主義的な性格も帯びていそう。タイトルはメモしてくるのを忘れてしまったのだが、人物が宙に浮いているんだよね。

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 しかし聾者の家で、70代という老境にはいった耳の聴こえない画家は何を思っていたのだろう。その後、自由主義者への弾圧を恐れフランスに亡命し一度帰国したものの再びフランスに戻りそこで客死している。

 画家の人生もなかなか波乱に満ちたものだと思いつつも、いつかこの手の絵もオリジナルを観たいと思いつつも、スペインは遠くにありて思うもの。多分、見果てぬ夢みたいなものかもしれないけど。