三の丸尚蔵館と東御苑

 ワクチン接種の予約は11時半で終わったのが50分くらい。さてとどうするかということになり、昼飯食べるか、その前に腹ごなしもかねてどこかへ行くかとなる。至近に竹橋の東京国立近代美術館があるのだが、あそこに行くと昼飯どころではなくなる。多分、夕方までじっくりみたいなことになるので、今日はパスということにして、以前から行きたいと思っていた東御苑にある三の丸尚蔵館へ行ってみることにした。

三の丸尚蔵館 - Wikipedia

 ここは天皇や皇室に献上された美術品、工芸品、皇居内で使われている調度品の名品等を所蔵している美術品だ。歴史的は明治期か大正期あたりかと思いきや歴史は新しく、昭和天皇の死後、皇后や皇太子から寄贈され国庫に帰属した美術品を保存、研究、公開するための施設として、1992年(平成4年)9月に皇居東御苑内に建設され、1993年(平成5年)11月3日に開館した施設ということである。

 まあ天皇の死に際して発生した相続の軽減のための措置ということであり、これはもう完全に国民の財産ということになるのだが、なぜか管轄は宮内庁ということになっており、館内の雰囲気や職員の対応もどことなく上から目線、敷居の高いという印象がないではない。とはいえ美術品や工芸品がきちんと保管され、国民のために定期的に展示公開されているというこであるので、それ自体は申し分がないとは思う。

 さらにいえば所蔵品の増加のため新館の建設も進められている。個人的には宮内庁から管轄も文科省文化庁に移してしまい、管理運営を東京国立近代美術館を行わせてしまえばいいのではと思わないでもない。もともと国立の美術館や博物館の前身は帝室のそれだったのが、戦後に国立に改められたということのようだ。だとすれば民主主義国家として再出発して70年が経つ今日にあって、あえて宮内庁が所管するミュージアムとするのは意味不明と思わないでもない。

 三の丸尚蔵館には絵画においても名画が多数所蔵されている狩野永徳伊藤若冲、近代でも横山大観、土田麦僊、上村松園などなどである。

主な収蔵作品/絵画 - 宮内庁

 そうしたものを期待していったのだが、現在は陶磁器の企画展が行われていた。

三の丸尚蔵館 - 宮内庁

「近代陶磁をふりかえる-明治・大正・昭和初期」

<概要 

三の丸尚蔵館が所蔵する陶磁作品の多くは,明治時代から昭和時代にかけて製作されたものです。それらは,全国の産地から皇室へ献上されたものだけでなく,展覧会などで買い上げられた著名な陶芸家の作品が含まれ,わが国の近代陶磁史の主要な流れをふりかえることができるコレクションとなっています。

日本における近代陶磁の大きな特色は,茶の湯の器や日用雑器として用いられた近世までの実用的なあり方から,西洋的な室内空間を飾る調度として,あるいは展覧会への出品を通じて陶磁それ自体の美術的な価値が見いだされたことです。明治前期の陶磁は殖産興業政策の下でわが国の主力製品の一つとして輸出されました。折しも欧米各国では万国博覧会が開催され,ジャポニスムと呼ばれる日本趣味の流行が最盛期を迎えていました。しかし,明治30年代になるとジャポニスムの終焉とともに陶磁の海外輸出も減少することになり,それを受けて西洋の新しいデザインや,中国・朝鮮古陶磁の技法研究など,目指すべき新たな方向性が模索されました。そして,大正時代から昭和初期にかけては,個性の発露を重視した作陶姿勢を表明する次世代の陶芸家が登場し,戦後陶芸の礎が築かれました。

本展では,このような歴史的背景をもつ皇室に伝わった近代陶磁の優品をいくつかのテーマにわけて紹介いたします。

                           (HPより)

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《葆光彩磁花鳥図花瓶》(板谷波山

 陶磁器については素養がまったくないので、さらっと流して終了した。ちなみ自分らが入場したときの観客は疎らだったが、じょじょに人数は増えていった。その中には外国人も4~5人いただろうか。ひょっとして五輪関係者?などと適当に思ったりもしたが、多分違うのでしょう。

 

 その後短時間だが東御苑を散策する。

 いきなり道の脇の低い草木の間からニョロが出現して、びっくりして声をあげた。しかし埼玉の辺境に住んでいてここ5年近くニョロと遭遇していないというのに、なんで都心のど真ん中でという思いもしないでもない。とはいえここは規模の大きな金をかけまくったビオトープみたいなものだから、そりゃニョロもいるだろうとは思った。

 その後はかなり緊張気味にニョロセンサーを発動させながら歩くことにする。

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 東御苑には去年の12月に来たので2回目である。その時も晴れていたが、この日もえらいこと快晴状態。そういえば前日、梅雨が明けたんだったか。
 東御苑は江戸城の跡地のようで、今は樹木や芝生に覆われた樹林公園の趣だが、かってはここは壮大な建物だったのである。公園の一角にはあの忠臣蔵で有名な松の廊下の跡がある。前回もちょっと興味を覚えたのだが、解説の看板の英語の方を見ると、長さは55メートル、幅4メートルあったという。小学生が徒競走するのに十分な長さがあったということだ。そこで例の刃傷事件があったという。吉良さんは切りつけられながら、必死に55メートル逃げたのかと思うと、ちょっと我々の想像力をかなり超えるような距離感があったのだなと改めて思ったりもした。

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