三菱一号館美術館で開催している「フィリップス・コレクション〜モダン・ヴィジョン」を観てきた。2月11日までと終了まで秒読みにきていたこともあり、なんとか観ておきたいと思っていた。
カミさんを連れてなので車で行ったのだが、時間的には1時間くらいで行けた。駐車場も一番近い丸の内パークビルに停めた。以前はワンブロック先の駐車場に停めて、車椅子の移動に少し時間がかかったので、今回はきちんと下調べをしておいた。
三菱一号館は「オルセーのナビ派」「ミレー」とかいくつかを一人で行っているのだが、カミさんと行ったのは随分と前、多分ヴァロットンあたりだったかしら。
フィリップス・コレクションは、鉄鋼会社の創業者を祖父に持つ大金持ちの美術コレクター、ダンカン・フィリップスが自ら収集したコレクションを私邸で公開したものという。ワシントン.DCの割とこじんまりとしたレンガ作りの建物だということだ。
なんとなく三菱一号館との建物的類似性を思ったりするが、同様のことを図録の挨拶文で館長の高橋明也が書いていたりしている。
フィリップス・コレクションは西洋絵画の主に近代から現代にかけてのものが中心ということで、このへんは自分のストライクゾーンでもある。そういう意味でもこの企画展はぜひ観たいと思っていたところだ。もっともこの美術館の一番の目玉ともいうべき1点、ルノワールの「舟遊びの昼食」は今回は来ていない。まあこの作品が来るのであれば、もっと大騒ぎするだろうし、多分貸出料は跳ね上がるのだろうと思う。
まあ普通に考えれば、「舟遊びの昼食」が来るとなれば、おそらく国立新美術館あたりか。あるいは商売上手な東京都美術館でこの1枚で1フロアーみたいな展示でもするんじゃないだろうか。
三菱一号館美術館はこじんまりとした美術館だ。ビルの一角を使っているため、細長い回廊をぐるぐると回るような印象だ。車椅子利用だとまずエレベーターで入り口に行くまでのアクセスも少し微妙なところがある。午後の遅い時間だったので、休日の割には空いていたのでまあまあ落ち着いて観ることができたけど、これでえらく混んでいた場合は、絵画鑑賞どころじゃないのかもと思ったりもする。
何度か観に来るときも金曜日の夜の部とか、比較的空いている時間帯のせいか、混んでいてストレスを感じたことは、これまでほとんどないのではあるけど。
何か文句が多くなってしまうけど、展示が少し変わっていて絵画の収集順の陳列となっている。なので最初にモネやドーミエ、クールベなんかが続くのだけど、同じ画家の絵がまとまっていなかったりする。
途中で閲覧用の図録を観ると、例えばコローやゴーガンが2枚あるはずなのに1枚しかない。これは企画展でよくある前期展示、後期展示みたいなものかと思い、ちょっと残念な気分でいると、かなり奥の別室の展示で見つけたりする。図録が画家ごとになっているので、そのへんが少しちぐはぐな印象になってしまう。
できればこれはオーソドックスな図録と同様の展示にしてもいいのではないかと、まあちょっとした不満ではあるが、まあ展示作品が粒揃いの名画ばかりなので、さほど気にしてはいない。それほどこのコレクションは素晴らしいものばかりだ。
気に入った作品をいくつか。
これは本当に見事な作品だ。ドーミエのよくある風刺性は影を潜め、写実主義を超えた民衆運動の心強さを活写している。図録の解説によれば、ダンカン・フィリップスはこの作品をコレクションの中でも最も優れた作品の一つと評していたという。
フィリップスはこの作品を「前進する群衆があらわすのは、波のような民主主義の機運・・・・自由の歴史における叙事詩的運動だ」と説明している。この作品を最大限に評価するダンカン・フィリップスはアメリカの上流階級の知識人であり、スノビズムとは異なる良質な民主主義の信奉者だったのかもしれない。
色彩感覚が優れた時期のボナールの作品だ。ナビ派、アンティミストといわれるボナールは様々に作風が変化している。印象派的作品をいくつも手がけている。この絵では新印象主義の発展系のような趣があると思っている。
この絵などは、少しくすんだ色使いと物憂げな表情の女と抱かれた犬の姿など、親密派的な作品といえる。モデルの女性は長らくパートナー兼モデルであったマルトである。
オリエンタリズム趣味はドラクロワのお得意の題材であるのだが、この絵には不思議と心惹かれるものがある。外交使節団のモロッコ旅行に記録画家として随行した際のスケッチから、数多くのエキゾチックな作品を残しているのだが、この絵には彼のロマン主義的特色でもある劇的な部分よりは、写実的なダイナミズムがあるような印象を受ける。良くも悪くも飾り気のない部分が、逆にこの絵の美しさを引き立ているような気がする。
溢れる色彩と装飾性に秀でた表現はややもすれば平板な印象を受けることもあるマチスにあって、この絵には奥行きが強調する珍しい表現となっている。そこに自分などはある種の躍動性を感じてみたりもする。ある意味マチスらしからぬという印象がある作品だ。
今回の企画展でもっとも強い印象を受けた作品。マネの特徴である黒の表現が部分部分で効果的。静的な作品だが書き割りのような平板印象はない。構図の妙とともに、画面からある種の緊張感が漂ってくる。
マネは50年代から60年代にかけてスペインの芸術文化に魅了され、ベラスケスから多く影響を受けている。そうした時代のマネを、ダンカン・フィリップスは「ゴヤに始まりゴーガンやマティスへと至る鎖をつなぐ重要な輪のひとつ」と評していた。
マネのベラスケスの影響の集大成といえば「笛を吹く少年」とはいわれるが、この作品もスペイン趣味の代表作といえるかもしれない。そんな風にして観ていくと、なにやら女性の表情の表現がなにやらマティス風にも見えてくるから不思議だ。マティスのマネからの影響などと論じた批評とかあるのだろうか。