『場末の文体論』

場末の文体論

場末の文体論

コラムニストという職業は日本ではかなりぞんざいな扱いを受けている。時事問題をユニークな視点から切り取って面白おかしく巧妙な文章にしたてあげる。ある種巧みの技とでもいうような文筆の職人芸なのであるが、どことなく売文屋のごとく低くみられる。どことなくエッセイ=随筆が高尚な文化であるのに比べて、それはお笑い芸人のように低くみられる。
さらにいえば、日本のコラムニストには絵面的に今一つな面相、さらにいえば肥満、端的にいえばデブが多い。ナンシー関もそうだったし、泉麻人中森明夫なんかもその部類だろうか。今回読んだ『場末の文体論』の著者、小田嶋隆も同類である。と、のっけからマイナス評価を与えてどうする。
海外ではコラムニストは文筆業としては花形の部類に位置している。主要新聞には花形というかスターコラムニストが何人かいる。さらに多くの新聞に記事が配信されるスーパースター的コラムニストもいる。個人的にはアート・バックウォルドが大好きだった。シニカルな茶化しや物語仕立ての嘘八百なコラムは、古典的ユーモア文学の高みに達しているといえよう。とはいえ文学がコラムより高次元かどうかは別問題だけど。
80年代のアメリカ文学の新しい潮流みたいなものが流行った頃に、ボブ・グリーンとかピート・ハミルなんかをよく読んだっけ。父親がクモ膜下出血で倒れたときに病室で読んでいたのがボブ・グリーンの『チーズ・バーガー』だった。
医者からはもって一晩といわれ、絶望的な気分で父の傍らにいた。父は一度も意識を回復することなく眠り続けた。本の字面を目で追っていたが、ちっとも頭にはいってこなかった。父の呼吸はゆっくりとしたものだったが、ふと目をあげて父を見ると、そのゆっくりの呼吸がほとんどなくなっていた。慌てて看護師や医師を呼んだ。それからは戦争状態。医師は父の上に馬乗りになり心臓マッサージを何度も行った。お決まりの電気ショックみたいなのも何発かやり、それから喧騒が遠のいて、医師は時間を確認してからこちらを向きなおして決まり文句を一言述べた。
グリーンのコラムは叙情的でセンチメンタルな雰囲気があったっけ。父の死の間際にそれを読んでいたのはある種の偶然なんだろうが、なんとなくそういう局面にはぴったりな作品だったようにも思う。
話は脱線だな、別に親父の死のことを思い出してしんみりするつもりもない。ようは秀逸なコラムの中には、妙に叙情的で文学性を帯びた性格のものもあり、そういう作品はある種の状況にあると、えらく心に染み入ったりもするという読書体験みたいなことをちょっとだけ思い出してみたりしただけのことだ。
小田嶋のコラムは基本的に笑かしである。あえて彼を呼び捨てにするのは、ある種の親近感を込めてのことだ。彼と私はまさしく同年代である。1980年から90年代のどこかで、当時成長し始めたコンピュータ業界の末端で同じ頃に仕事をしていた。彼はテクニカルライターみたいなことをしていたんじゃなかったか。けっこう花形っぽい存在だったように思う。私はというと小さなコンピュータ系出版社の営業職を短期間していた。30年以上も前の不確かな記憶なので、まあある種の神話、伝説みたいな類のお話なので信憑性は定かではない。
じきに彼はコンピュータ関連だけではなく、世俗を切り取って面白おかしいシニカルでことの本質をついたコラムを幾つかの雑誌に書き始めた。コンピュータ用語を換用して事象に斜にとらえ、軽めにその本質をズバっとえぐって見せる。あれはもう秀でた文筆芸とでも呼べるような感じがした。私の周辺でも、友人たちと小田嶋は面白いとよく語り合ったものあ。
そしてある時期からは、なにか大きな出来事があると、小田嶋なこれについてなんて書いているだろうとか、小田嶋はどう切り取ってくれるのだろうなどと思ったりもした。そうは言ってもいつも小田嶋ウォッチャーしているわけでもなく。たまに雑誌とかで彼の文章に接すると、相変わらずうまいこと書いているなと思ったり、本屋で彼の新刊とかを見かけると、ちょっと立ち読みして、たまに買ったりとかもあっただろうか。でもある種、小田嶋は消極的にではあるが、我々の世代のオピニオン・リーダーでもあったのだ。まあ便宜的にではあるのだが。
去年だったか文藝春秋が嗚呼「同級生」という企画で、同世代の作家、ライターに同世代のスターについて語らせるという特集を組んだ。小田嶋は1956年生まれのスターとしてTVから消えた同い年の存在として島田紳助田代まさしを選んだ。この文章は同じ1956年生まれの人間にはえらくすとんと落ちるものがあり、掲載された文藝春秋は私にとって永久保存版になった。ちょっと大袈裟だな、たぶんどこかで資源ゴミの日に出してしまうだろう。
小田嶋の文章はある意味自己完結している。どこかを切り取ったり、あるいは抜粋したりまとめたりが難しい。彼の切り口の妙や巧みが伝わらない。だから少し長いがポイントになる部分をそのまま引用する。

思うに、紳助ならびに田代は、われわれの世代の人間の、世間に対するスタンスの取り方を代表している。人格そのもについて言うなら、われわれのうちには色々なタイプの人間がいるし、硬軟善悪正邪美醜のすべてが揃っている。が、世界に向き合うときの態度には、やはりどこかしら似通ったパターンがある。紳助と田代は、そういう1956年生まれの人間の処世のあり方の典型として、登場し、成功し、破綻し、消滅したのである。
では、その処世とは何か。
スネ夫だ。
説明する。
われわれから見て、5年ほど年長の人々は「団塊の世代」と呼ばれた。名高いフォーカスグループだ。世代論というのは、往々にして些細なこじつけに終始するもので、実際のところ、世代の個性よりは個々人のバラつきの法がずっと大きな意味を持っていたりする。が、こと「団塊の世代」については、定説が間違っていない。彼らは、やはり特別な集団であったし、戦後世界にもたらした影響の大きさは別格だった。
われわれは、その「団塊の世代」から一周遅れた走者として育つ運命を担わされた子供たちだった。すなわち、前車の覆るを見て轍を避けるテの、一種臆病な人生設計を強いられる気勢の上がらない世代だったのである。
団塊の世代の特徴は、その圧倒的なボリュームにあった。単純に数が多かった。だから、同じことをしても影響が大きかったし、経済的インパクトも市場規模も政治的圧力もすべてが、巨大で押し付けがましく、独善的で、オレオレで、横紙破りで、大声で、大股で大飯食らいなジャイアンだった。

かくして、われわれは、「シラケ世代」と呼ばれ、「三無主義」と評される人間に育った。無気力無関心無責任、当たらずとも遠からずだ。なにより、人数が少ない。だから、シラケていようがいまいが、どうしたって小じんまりおさまって見える。それゆえ、声が小さい。何をしても目立たなかった。団結したところで、声が届く道理もない。というよりもなによりも、われわれは、団結が野蛮の一症状でしかないことを、先を行く者の無残な失敗例を眺めながら強く思い知っている子供たちで、そもそも団結が大嫌いだった。
で、身につけたのが、スネ夫の処世だ。狡猾と韜晦。イソップで言えばキツネが演じているところの役柄だ。
紳助も田代も、才能が無いわけではない。
それなりの力量はそなわっている。
が、彼らを特徴付けているのは、技量や才覚ではない。むしろ、そのひねくれた性格だ。
小心、陰険さ、権力志向。サディズムルサンチマン。猜疑心。
だから、若い頃は権力者の腰巾着として順調に足場を固めることができる。ガキの頃から、ジャイアンのわがままを眺めて育ってきたので、オヤジ連中をおだてるのも巧い。
でも、太鼓持ちとしては優秀でも、自分が権力を持つようになると悪い地金が出てくる。
で、墓穴を掘る。
見ていて本当に憂鬱になる。
最後にもう一度強調しておくが、私は、われわれの世代の人間に紳助や田代みたいな人間が多いと言っているのではない。共通しているのは、性格ではない。マナーだ。
われわれは社会に対して斜に構える傾向を備えている。
団塊に続くオマケの世代として、上の顔色をうかがうことを余儀なくされていた部分もある。で、ズルいヤツが出世するといったような、ひねくれた観察をしていたりして、結局のところ、社会性が育たなかった。
反省せねばならない。
文藝春秋』2012年2月号「1956年島田紳助田代まさし「TVから消えた同い年」

この一文でずっと抱いていた思いがはれたというか、まさしく1956年生まれの世代の憂鬱を見事に描ききりとって見せてくれた。勤め始めてからずっと目の上のタンコブのごとく団塊の世代の皆さんがあらせられる。彼らに頭を叩かれ、踏まれ続けてきた。彼らのほとんどが定年でリタイアされてようやく厚き雲が晴れたかと思いきや、私のいるような小さな会社でもまだまだトップは団塊だったりもする。
そして団塊の世代はたいていの場合、おいしいところを総て持っていってしまった。大学に入っても学生運動の高揚などはほとんどなかった。運動の停滞やら小市民主義への埋没やらといった閉塞的な状況があり、一方では先鋭化した陰湿な暴力としての内ゲバとかがあり。小田嶋がいうようにまさしく斜に構えて生きざるを得ない雰囲気に囲まれて人格形成したんだと思うわけだ。そして斜に構えることがまんま世を拗ねる立ち居地となり、社会性を育むことなくきてしまった。結局のところこの年代は、小田嶋が一言で切ってくれたように「団塊に続くオマケ世代」なのである。
この一文に触れたときに思いました、「小田嶋、あんたについていくぜ」と。まあ、本気じゃないけどね。
そういう1956年世代の<オピニオン・リーダー>である小田嶋(なぜか山カッコはある種の擬似性の表現)がWEBマガジン「日経ビジネスオンライン」に連載したコラムをまとめたものが、表題の『場末の文体論』である。小田嶋だから面白くないわけがないのだが、期待を裏切らない内容である。扱かったネタは時事的には今的なものなのだが、その切り口が本人がはじめにで書いているように「懐古的」「ノスタルジー」「回想」的である。同世代の人間は共感しながら読んでくれるだろうと本人が述べているのだが、まさしくツボである。
北杜夫の訃報から彼のドクトル・マンボウシリーズや遠藤周作の狐狸庵先生のエッセイについて語られる。このへんは私も同じように読んでいた。
談志の訃報から子供の頃からの落語趣味を語る小田嶋に普通に共感する。私も中学時代から長く落語に嵌っていた。ただし私は談志よりも少し上の世代である円生が一番だったか。談志と同世代の落語家では志ん朝が一番だったとかそんなことを思いながら読んだ。
そして本書では個人的に一番好きなのはオヤジたちのコレクションについて語った「いつかゴミになる日まで」。このコラム集の白眉を成すとまああくまで個人の感想だけど、笑いあり、やがて悲しきみたいなかたちでペーソス感もありで、中年、あるいは初老に入りつつあるオヤジたちのモノへの拘りの悲喜こもごもを見事に描いてくれている。
話の切り口はアグネス・ラムの写真集だ。引用する。

それにしても3990円という値段は消費者を舐めている。
われわれは舐められている。
業界の人間は、「オヤジは何でも買う」と思っている。
こんなことを許していて良いのか?
・・・・・・・でもまあ、買うヤツは買う。
舐められて、足元を見られて、タカをくくられて、半笑いの顔でぞんざいな営業をかけられながら、それでも買うヤツは買うのだ。
実際に、私は、買いそうな男の顔を4ほど思い浮かべることができる。その顔は、『ウルトラQ』のDVDボックスを予約購入したメンバーと重複している。
彼らは間違いなく買う。
嫁さんはあきらめている。
自分が結婚した若者は、ある日、道に迷って消えてしまった。
いま一緒に暮らしている男は、何かの残骸だ。
その残骸は、いつも自分の過去の欠片を探している。
で、時々くだらない商品を持ち帰ってくる。
彼女は関与しない。
過去を買い戻せると思っている男を改心させることは誰にもできないからだ。

見事というしかない。ノスタルジーにかられて若い頃手にすることができなかった様々な物品に手を出すオヤジの心性を見事に描いてくれている。そう白状しよう、私は過去の欠片を探しているのだ。そしてかって胸をときめかした物品を手に入れることで過去を買い戻せると確かに思っている節がきっと心のどこかにあるのだ。娘が父の日にあげるものをリサーチするために「パパ欲しいもの何」と聞いてくる。女ともだちが誕生日に何か買ってあげるから「何が欲しい」とメールしてくる。愚かな私はいつも決まってこう答える。「今一番欲しいのは、若さ」だ。
娘は呆れて部屋に戻る。女友だちは健康グッズやらサプリメントをくれる。そういうものだ。過去はけっして買い戻すことはできない。

「わかっているのか?墓の中に持ち込めるのは自分の魂だけだぞ」
「おまえが収集しているのは、遺族にとってただのゴミだぞ」
その通り。未来が録画予約できないのと同じように、過去だってDVDに焼いて残せるわけではない。ということは、コレクションは、予約済みの産業廃棄物なのである。

本にしろ、CDにしろ、DVDにしろ私が持っているそれはすでに数百から数千の単位になりつつある。それは間違いなく私の死後には確実にゴミとなる。さらにいえば燃えるゴミと一緒にはたぶん出せない産業廃棄物だ。本はというとたぶんブックオフでも二束三文の類だ。以前何度かの引越しの際に本の大部分を廃棄した。ブックオフダンボールにして数10箱持ちこんだこともある。値のついたのはコミック類やベストセラー作家のもの。数千円もした人文科学系の専門書の類はみんなはじかれて、これらは値がつきません。無料でよければ引き取りますとの通告だったっけ。
ようは私にとって価値あり、思いいれのあるコレクションは私以外の誰にとってもただのゴミでしかないという現実。

ビートルズは、LPレコードでコンプリートしたものを、CDで再コンプリートして、さらについ2年ほど前にデジタルリマスター版のCDを再々購入している。買うつもりは無かったのだが、こればかりは仕方がない。親戚の法事と一緒だ。スルーしたら義理が立たない。ビートルズは世話になった叔父のような存在だ。誰が仏前のかかりを惜しむものか。

お見事である。ビートルズに不義理はできないのだ。

LDもずいぶん買った。しかも、LDの寿命は短かった。
LDプレーヤーが壊れた時、新しいマシン(といっても市場には中古しか出回っていない)を買うべきかどうか、ずいぶん迷ったのだが、買う決心がつかなかった。
で、コレクションは、いま、ただものいわぬ円盤になっている。
捨てることもでできない。
ある日、すべてのオールド・メディアを無差別に再生できる夢のハードウェアが2万円以下で発売されるという甘い夢を、どうしてもあきらめることができないからだ。

これもまた同感である。私もその夢のハードウェアが欲しいのである。しかしあくまで2万円以下でないといかんのだ。オヤジが物欲を刺激するのはあくまで2万以下なのである。貧乏とかそういう問題じゃない。たぶん2万以上だろうが、たぶん5万前後まではなんとか買える、たぶん買えるだろう、おそらく買える。でもその値段では実は買わないのだ。若い貧乏な時代の記憶がジャマをするのだ。買うか買わないかのバロメーターは2万を切るかどうかだ。19800円だと絶対に買う。そうやって安物に手を出して失敗し、ガラクタを増やす。これもまた物欲オヤジ系の悲哀なのである。
本書はとりあえず1956年生まれの同胞にとっては至福のごとき共感を得ることができる稀有な書物である。1960年以降に生まれた者にも、もちろん団塊世代にもあまり価値あるものではないかもしれない。
もし1956年生まれの誰かが、書店でこの本を手にとる偶然があったとしたら、それはたぶん得がたき僥倖ではないかと思う。たぶん。