ベアテ・シロタ・ゴードン女史 逝去

晦日だったかtwitterでどなたかが情報を寄せていた。12月30日に逝去されたという。1月3日朝日新聞にも死亡記事が掲載されていた。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0101/TKY201212310642.html:TITLE
ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去 憲法草案作成携わる
第2次世界大戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の一員として日本国憲法の草案作成に携わり、男女平等などの条文を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。追悼式などは後日行う。
長女のニコルさんによると、最期の言葉は日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしい、という趣旨だった。献花などを希望の場合は代わりに、憲法9条を守るため、作家の大江健三郎さんらが結成した「九条の会」に寄付してほしいという。
1923年、オーストリア生まれ。著名ピアニストだった父のレオ・シロタさんが東京音楽学校の教授に就任したことをきっかけに29年に来日し、幼少期を日本で過ごした。
日米開戦前に、大学進学のため日本を離れて米国にわたったが、終戦後にGHQ職員として採用され、再び来日。憲法の草案作成指令を受けて人権小委員会に所属。その起案した内容が14条(法の下の平等)、24条(婚姻における両性の平等)につながった。
47年に離日した後も日本とのつながりは深く、ニューヨークのジャパン・ソサエティー、アジア・ソサエティーのディレクターとして日本文化などを広く紹介。2000年には参議院憲法調査会参考人として出席し、憲法草案の状況などについて詳述。このほかにも頻繁に来日し、講演などを精力的に行っていた。

GHQ民生局の一員として日本国憲法の草案作成メンバーに弱冠22歳で加わった才媛。人権小委員会のメンバーとして人権条項、男女平等条項等を起案された方だということを幾つかの文献で知っていた。
今、私の手元にあるのはこの2冊である。

日本国憲法を生んだ密室の九日間

日本国憲法を生んだ密室の九日間

  • 作者:鈴木 昭典
  • 発売日: 1995/04/30
  • メディア: ハードカバー
前者は日本国憲法の草案作りの過程を関係者への取材、様々な資料にあたって作られたテレビドキュメンタリーを書籍化したもの。後者はベアテ・シロタ女史の自伝である。いずれもだいぶ前になるが、興味深く読んだものだ。
九日間という短い時間のなかで作られたことを理由にことさら、押し付けられた憲法という論を後押しするような議論にもつながりそうではあるが、この九日間はきわめて濃密な時間だったことがこの二つの書籍を読むことでわかる。さらにいえば当時のGHQ民生局には、知性と教養にあふれ民主主義の理想を抱いたエリートが集っていたことも理解できる。さらには日本に民主主義を移入するための大いなる実験が行われたのだと、そういう思いを抱いたりもした。
それとは別にベアテ・シロタ女史は当時たいへんな美人だったことも当時の写真とかでわかる。その後、同じ民生局で通訳として加わっていたジョセフ・ゴードン氏と結婚されたのだが、たぶんに当時の民生局にあってはマドンナ的存在だったのではとも勝手に想像している。
以前にも書いたことだが、この憲法草案作成の九日間を戯曲化あるいは映画化したらさぞや面白いものが出来るのではと密かに想像している。この想像はだいぶ前なので、当時的にいえばジョセフ・ゴードンをトム・クルーズあたりが、ベアテ・シロタ女史をニコール・キッドマンあたりがみたいなことを考えていたのだが。とにかく一国の憲法をわずかな期間で知的精鋭たちが集って作り上げる。いいドラマになるのではないかと思う。
話は脱線した。ベアテ・シロタ・ゴードン女史の冥福を心から祈る。
http://www.shinyawatanabe.net/atomicsunshine/ny/beateintroductionj.html:TITLE