宮部みゆき『名もなき毒』

名もなき毒 帯のコピーでは、著者3年ぶりの現代ミステリー待望の刊行とある。青酸カリによる連続無差別殺人事件を縦糸に人間の心の奥底に潜む「毒」を描きだした力作だ。前作の『誰か』(日本実業出版刊)に引き続き、社内報の編集者を務める杉村氏が主人公をつとめる。宮部にとってはこの人物そこそこに思い入れがあるのかもしれない。お人よしで空気のようにあまり存在感のない好人物。妙なきっかけで大金持ちの令嬢と結婚することになるのだが、およそ野心といったものがない、たぶん日常的にはなかなかにいそうにない人物だ。だからこそ虚構のミステリー小説の世界にあっては、そこそこのリアリティが逆に保てるのかもしれないななどと単なる思いつき。
『誰か』がある意味中篇(とはいえ380頁ある)として、ややもすれば軽めの印象があった。それに比して今回は100頁増えた分、さらにテーマがテーマだけにそれなりの重量感がある。ただし、連続殺人事件とその犯人に擬せられる母子とのエピソードや杉村氏につきまとう凄まじきストーカー、パワフルな嘘吐き女とのやりとりなどが入り組み過ぎていて、ラストはややもすれば少し強引にまとめすぎた感もなきにしもあらずだ。
さらにいえば、宮部みゆきは『理由』『模倣犯』以後明らかに作風が変りつつある。それまでの絶望的な内容ながらもラストにハートウォーミングな味わいを残していて、それが魅力でもあった。『理由』にはその残滓がないでもなかったが、『模倣犯』ではテーマ、ストーリィーがああいうものだけに、とにかく後味の悪い、それだけまさしく現代を切り出したような内容だったように思う。
そして今回はどうか。最後の最後で杉村氏の今後の生き方を予感させるようなそんな描写があり、読者の想像力を喚起させるような、思わせぶりな筆致でもある。でも、そこに想像されるどんな可能性もまた、杉村氏にとっては暗い、なにか不幸な状況を予感させるような気がする。端的に言えば杉村氏の幸福な家庭、華奢なガラス細工のような家庭の崩壊を感じさせるのだ。
なんとなくさらなる連作がありえそうだが、宮部氏はたぶんこのシリーズをここで打ち止めにするのではないか思う。単なる直感で、おそよ根拠はないのだけれど。
この本の装丁、イラストは人の心を和ませるものがある。確か『誰か』も同じイラストだったなと確認したうえで、この絵には見覚えがあり、自分なりにかなり思いいれのある絵ではないかとよくよくチェックしてみると杉田比呂美のイラストだった。
懐かしい名だ。ネットでチェックしてみるとそこそこ売れっ子のイラストレイターになっているみたいで、装丁をけっこう手がけているようだ。私はこの人が最初に出した絵本をものすごく気に入っている。『街のいちにち』という本だ。どこか知らない外国の小さな街で12人の人物が過ごす一日を描いたほのぼのした絵本だ。そう、この本を出した出版社に一時在籍していて、ちょうどこの本の販促をさかんにしたものだった。ずいぶんとあちこちの書店の児童書売り場に顔を出して、原画のカラーコピーを見せながら、とにかく素適な絵本だからと盛んに売り込んだものだ。
ただし絵本というやつはよっぽどの話題性でもない限りなかなか売れないもので、この本もなかなか重版がかからなかった印象がある。そう、絵本なんていうものはテレビでさかんに取り上げられる、愛子さんのお気に入りである、紀子さんが子どもに読み聞かせている。あるいは今でいうと誰がいいかな、例えばモデルのエビちゃんのお気に入りの絵本だとかといった取り上げられ方でもしないとなかなか動かないものなのだ。
冗談でなくむかしむかしそれなりに動いていたエンデの『モモ』がキョンキョンの愛読書だと喧伝されて、それこそそれまで1年にいって1万部いくかどうかの動きが一挙に数10万部動いたという話だってあるのだ。その頃のキョンキョンはそれくらい影響力のあるトップ・アイドルだったし。『モモ』はそういうことで相乗効果にのれるだけの作品性を備えていたという、今となってはなかなかなさそうな出版業界の神話的お話でもある。
例によって話が脱線したけど、杉田比呂美がこういう形で活躍しているのはとても嬉しいことでもある。『街のいちにち』が今でも版を重ねてしぶく生き残ってくれていればさらに嬉しい。ちなみこんな絵本でした。