「脳卒中 ヒデキの闘い」

朝日の今日の朝刊生活欄に掲載されていた。脳梗塞に倒れた西城秀樹の闘病記で6回の連載だという。1955年生まれの51歳。48歳で発症したという。ほぼ私と同世代、同時代を歩んできた人だ。
彼が脳梗塞で闘病中であるということは実は、妻がこの病気になってからはじめて知ったことだ。身近にそういう人間が出ない限り、人はけっこう他人の病気などにはほとんど関心もない。妻が発症する以前で脳梗塞といえば、そういえば長島がみたいな感覚があっただけだった。でも、脳梗塞患者が身近な存在となって以来、この言葉にひどく敏感になってきて、世の中の多くの脳梗塞患者の情報に接することになるったものだった。
西城秀樹脳梗塞は今回の記事を読んだ限りでは、比較的軽度なものだったのだと思う。脳の血管の微細な部分に起きるラクナ梗塞。梗塞は脳の右側奥で7mmの小梗塞だったという。ラクナ梗塞は軽度な梗塞なのだが、たまにその細小動脈での梗塞がピンポイントに脳神経に影響を与えることがある。西城秀樹の場合はピンポイントに破壊され障害としてあらわれたのが、歌手にとっては致命的な「構音障害」だった。舌がもつれてしゃべることがうまくできなくなる、歌手にとっての命ともいうべき声が思うように出せなくなったのだという。
ラクナ梗塞の恐ろしさは、小梗塞がたまたまに大当たりして大きな障害に繋がるところにあるということだ。たぶんこれからの5回の連載では、西城秀樹の闘病の過程が綴られていくことになるのだろう。けっこう興味深く読めそうな気がする。
でも、結局のところ病気はやっぱり個々、個体ごとに様々だということを再認識しそうだとも思う。西城秀樹はリハビリの結果、声を取り戻しライブ活動を再開するまでにいたったという。今月には発症以来となる3年ぶりのシングルも出る。おそらく片麻痺とかもないのだろう。いけないことだと思いつつそれでもやっぱり妻の病状と引き比べてしまう。
妻の脳梗塞脳梗塞の最もポピュラーな三つの分類、ラクナ梗塞にもアテローム血栓性梗塞、心原性脳塞栓症のどれにも当てはまらない。妻は動脈硬化といった症状がないにも関わらず内頚動脈で血栓がおき巨大な梗塞巣ができた。血栓は短時間でおさまり止まっていた血流は一気に脳内に流れ出したため、一部で染み出した血液が脳出血し軽いクモ膜下出血もともなった。そのことにより右脳の三分の二がやられ、前頭葉頭頂葉の一部もやられた。
その結果が左片麻痺による上肢、下肢の機能全廃であり、高次脳機能障害としての軽度の注意障害、知的機能の低下となってあらわれたわけだ。
病気は個々である。でも同じ病気を戦った、戦っている人の経験から学ぶことも多い。ヒデキの闘病記を興味深く読んでいきたい。