『警官の血』

警官の血 上巻警官の血 下 (新潮文庫)
本屋でけっこう平積みされているのを何度も目にしていて、なんとなく面白そうかなの手にとった。2008年の「このミステリーがすごい」の1位だったことも一応知ってはいた。とはいえここ5年くらいはほとんどミステリーの新作手にしていない。それこそ宮部みゆきだってあんまり読んでいないくらいだ。一時は少なくとも「このミス」のランクインしてくるものはたいてい読んでいたのにね。
で、この本であるが実に面白い。紋切り型に言わせてもらえば、一気呵成に読みきったてな感じだ。三代にわたって警察官となったある一家の男たちの物語である。そこに様々なミステリ的、謎、伏線をはって物語を盛り上げていくのだが、こと謎解きとかとなるとけっこう弱いお話である。筋書きはだいたい途中で読めてしまうから。
さらにいえばこの小説のお話のメインとなる駐在警官の死の真相部分がけっこう弱い、致命的に弱い。そういう部分があるにはあるのだが、それでもこの小説の面白さがそれでなんら損なわれることもない。
この小説の面白さは、なぜ警察官は警察官となるのか、あるいは市民の生活を守り、社会正義を維持すべき警察職員のモチベーションがどこにあるか、そういうものが描かれている点にあるんじゃないかと思う。数多ある警察小説、それも優れて警察小説には必ずその部分が描かれていると思う。職業として社会正義を守り、維持するために不断の努力を強いられる警察官がなにを思っているのか、なぜ警官となったのかということが。
もちろん個々の警察官がみな社会正義に燃えた人々なんていうことはないのだろう。「でも」「しか」的に警察に職を求めた者が多いだろう。たぶんほとんどの者がそうかもしれない。でも少なくとも彼らは職業として市民生活を守るために様々な危険に直面しなければならないし、汚れ役を引き受けなくてはならない。なぜ彼らはそれをするのか。
我々が警察小説を読むのは、犯罪や犯罪捜査への興味本位からだけではない。犯罪という非日常的なものに日々直面する彼らの行動、心理、その他諸々に興味をもつからではないか。
秀逸な警察小説にはそのへんがきちんと描かれている。「87分署シリーズ」しかり、「マルティン・ベック」シリーズしかりである。そうした警察署の警官群像ものとは異なり、佐々木譲はこの『警官の血』の中では市民警察の末端に位置する駐在所巡査という平凡な警官にスポットをあてた。そこから三代の警官一家の人物像を描ききった。一種の年代記としてである。
個人的には二代目が新左翼運動に公安のSとして潜入する部分は、題材として日本赤軍大菩薩峠事件などを取り込んでいて、ほぼ同時代的にその事件に接してきた私などには別の意味でも興味深かった。実際にあの53名の逮捕者の中に公安のスパイがいたのかもしれないと思わせるような描写だ。いや本当にいたんだろうな。じゃなければあんな見事なまでの一網打尽にはならないだろうとも思う。
もっとも当時の赤軍はまだまだ牧歌的で脇が甘かったということもいえるか。でもあれで人的にも組織としても弱体化したことで、あの当時運動から離れていた森とかがリーダーとなっていくとか、無謀に理念化、先鋭化して連赤の自滅が始まったとか、そういうことに繋がっていくわけだ。もう40年も前のことなのにいまだに忸怩たる思いを持ってそんなことを思う。
まあいいや。でも60年代後半のこうしたエポックメーキングをうまく物語の中に取り込んだりするところも佐々木譲の巧みなところなんだろう。とりえあえずしばらくはこの作家のものにはまりそうだ。