『自暴自伝』村上ポンタ秀一著 文春文庫

自暴自伝――ポンタの一九七二→二〇〇三 最近読んだものでは一番面白かったかな。読んだのは文庫の方なのだが、ノーイメージなので単行本のほうもリンク貼っとく。まあ、文庫も単行本も表紙の装丁は一緒なんだけど。
70年代から日本のポピュラー・ミュージックのフロントで活躍してきたドラマーの語り下ろしの自伝-回想録。村上ポンタ秀一といっても知らない人が多いだろうけど、帯のコピーだけでポンタのある意味での凄さが伝わってくる。

ニホン最強のドラマー!!
ニホンポップスの黎明期を築いた不世出の天才ドラマーが自ら語った波乱万丈・絢爛豪華・弱肉強食のバンドマン人生!参加したアルバムは、ナント一万枚を越える!

そして帯の裏側には

本書に登場するミュージシャン(ほんの一部)
井上陽水 泉谷しげる 忌野清志郎 沢田研二 矢沢永吉 山下達郎
山下洋輔 YMO 五輪真弓 松任谷由美 矢野顕子 キャンディーズ
ドリカム ピンク・レディー 松田聖子 山口百恵 和田アキ子
ピーター カルーセル麻紀 ジョージ川口 オフコース 赤い鳥

ある意味ではもうこれだけでけっこうすげえ奴っていう感じだな。個人的にはなんでこの人知っているかというと70年代から80年代のいわゆるニューミュージック系のアルバムのライナーノートで何度も見てきたからなんだろうな。達郎や大貫妙子吉田美奈子とかのアルバムで何度も目にしてきたからだ。本書で知ったことだけど、一時期矢沢のツアーでバックバンドを仕切っていたというから、何度か実際に叩いているのも観ているんだろうとも思う。ある時期、矢沢のツアーは毎年必ず行っていたこともあったから。
だから村上ポンタ秀一というふざけた名前のドラマーがニューミュージック系のバッキング・プレイヤーとしては一流の存在なんだろうという認識はあった。だけど、この人が80年代以降、フュージョンやジャズのジャンルにも進出して活躍し、ブレッカー兄弟などニューヨークの一流ミュージシャンとも交流があること、そして現在ではある種の長老的存在として君臨していることなんかは、ほとんど知らなかった。
さらに言えばこの人の存在を私が知ったのは、この人がプロデビューした赤い鳥への参加からだったからだ。赤い鳥に新メンバーとしてエレキ・ギターの大村憲司とドラマー村上某が参加はほぼ同時代的知っていた。最も当時は大村憲司のプレイの鮮烈な印象がきわめて強く、ポンタのことはあんまり印象がないけど。
ポンタが赤い鳥に参加したのは、ただただ大村憲司と一緒にプレイしたかったということが本書には書いてある。赤い鳥というフォーク・グループの中ではあまり活躍できる場がなかったともある。それでも赤い鳥の看板シンガー山本潤子についてはこんな風に最大限の賛辞をあげている。

ただ、赤い鳥の中でも潤ちゃんだけには別格の才能を感じていたんだ。憲司が赤い鳥に入ったのだって、そもそも潤ちゃんお誘いだった。うまく言葉では説明できないんだけど、その頃の潤ちゃん、憲司と同じでニホンのそこらへんのやつとはセンスが違ってた。潤ちゃんのあの声を聴いちゃったら、やっぱり一緒にやりたくなっちゃうんだ。今はちょっと変ったけど、それでもいい声をしてる。しかも、俺たちはそんな潤ちゃんの、一番いい時に出会ってるわけだから。
潤ちゃんもそうなんだけど、ほんとにいい歌手って、なぜか指先になんとも言えない表情が出るんだよね。で、俺が見た中では潤ちゃんの指先が一番きれい。手もきれいだからよけいそう見えるんだろうな。
ここだけの話、潤ちゃんをヴォーカルにひきぬいて、俺と憲司とでグループを作ろうっていう計画もあったんだ。名前も決まってたのよ。”ニタ・クーリッジ・バンド”。曲は憲司と潤ちゃんのオリジナルが半々。ライブの場所まで考えていた。(文庫版P50)

山本潤子への評価は私も同感同感という感じだ。ポンタの山本潤子観一つをとっても、ポンタが本物を知るという意味で、やっぱりプロ中のプロだなと好意的な眼差しを向けてしまう。
この本のなかで最も興味深くかつ楽しかったのは、ポンタが山下達郎と一緒にバンドを組んでいた77〜78年頃の語りだ。ここにはまさしく日本のニューミュージックの黎明期に、いかにして若い才能が集いあったかの生きた証言があるように思う。

俺たちが溜まり場にしていた店のひとつが「新宿ロフト」だた。77年だったかな、通常の営業時間が終わった後、ミュージシャン同士が自由にセッションできるように、夜中の1時くらいから店を無料で開放してくれたのよ。通称「真夜中勝手に出入りセッション」。大村憲司がいたし、大貫妙子もいたし、清水靖晃も顔を出していた。杉本喜代志もいたし、サンバ・カリオカとかもいたね。唯一わかんなかったのは、なんで山岸潤史がいたのかってことくらい。
大体、いつの間にか演奏が始まってるわけ。サンバ・カリオカの乾裕樹とかギターの佐藤正美がやってるとこに長谷川きよしが入って歌う。そこにター坊(大貫妙子)や山下達郎なんかがドーっとなだれ込んでくるの。(中略)
人脈的にはもうグシャグシャよ。俺の中では、なんとなく一本筋が通っていたんだけどね。このロフト・セッションから生まれた新しい音楽の動きというのも、間違いなくあった。
文庫版(P126)

このロフト・セッションとそれについで山下達郎の二枚目のアルバム『スペイシー』へのポンタの参加から、ギター松木恒秀、ベース岡沢章、サックス土岐英史、ドラムスポンタという山下達郎バンドが生まれる。さらにここに当時現役の芸大学生でリリイのバックバンドにいた坂本龍一がキーボードで加わる。

このバンドで達郎の『イッツ・ア・ポッピング・タイム』をライブ・レコーディングした時も、アレンジは誰がやって、この弾き方はこう・・・・・みたいな事前の打ち合わせは、一切する必要もなかった。メンバー全員がそれこそ演奏者であり、アレンジャーだったんだ。インストが長くて、編集するのに苦労したけどね。曲は3分で終わってるのに、その後40分くらいインストでやってるんだから。あれはまさにロフト・セッショズの延長戦だった。
ほんと、いいバンドだったと思うのよ。俺たちとツアーやってたときの達郎は、ほんとうにバンドの一員だった。メンバー全員がそうだったね。お前歌ってろよ、俺はドラム叩くから、みたいなノリでバンド意識を共有していた。
達郎にしても、あのアルバムを作ったことで、一区切りついた部分があったんじゃないかと俺は思うの。シュガー・ベイブ以来あいつの中にずっとあった自由奔放な部分、バンドの一員であることへのこだわりみたいなものを、ひとつの集合体として噴出させることができた。その後、達郎が『ライド・オン・タイム』で様式美を追求できるようになったのも、『
イッツ・ア・ポッピング・タイム』を作ったからだと思う。(文庫版P144)

というわけで『イッツ・ア・ポッピング・タイム』を聴いてみる。
IT'S A POPPIN' TIME (イッツ・ア・ポッピン・タイム) 70年代の音とは思えないし、今聴いてもけして古びていない。もちろんところどころに時代的な限界はあるだろうけど。それにしてもライブでありながら見事な演奏、音作りだ。才能溢れる若き音の職人たちが作った素晴らしい演奏だ。
50〜60年代のアメリカの若きジャズミュージシャンによるライブ盤をジャズの名盤として当たり前のごとく享受する者にとっては、ライブ盤の名演奏はそんなに珍しいものではないけれど。ことポップ・ミュージックにあって良質な演奏、良質な録音に巡りあうことはなかなかない。そういう意味では、このアルバムは出色の出来だ。山下達郎のライブの名盤『JOY』の原点はここにあるんだろうなと納得した。
最後にポンタの自伝にもう一度戻る。ポンタは終章近くで自分の今後の進路をプロデュースにおいているようだ。一ドラマーとして演奏するだけでなく、いろいろなミュージシャンを導いて押し上げる仕事が自分には合っているのではないかという独白がある。そんなポンタの試みが演奏活動30周年の記念として録音されたアルバム『MY PLEASURE~FEATURING GREATEST MUSICIANS~』だ。
MY PLEASURE~FEATURING GREATEST MUSICIANS~
このアルバムの中で「LOVE SPACE 」を槇原敬之に歌わせたている。ハイトーンが見事な素適な出来上がりで関心した。最も私ならフィリップ・ベイリーに歌わせたいけどね。あと名曲「YOU'VE GOT A FRIEND」をKiroroにフィーチャリングさせるところなんかはなかなかどうしてポンタさんやるじゃないかという感じもした。アルバム全体としてはまあまあという感想でしたが。
アルバム後半でニューヨークのジャズ〜フュージョン系ミュージシャンと一緒に「MILES DAVIS MADLEY / PINOCCHIO - SO WHAT - WALKIN'- MILESTONES 」をやっている。これを聴いているとポンタは良くも悪くも16ビートのドラマーなんだということが再認識できる。
しかしこのドラム一筋30年。まだまだ活躍してもらいたいと思う。それと同時に思うのだが、山下達郎大貫妙子吉田美奈子といった70年代から活動をはじめた同世代のミュージシャン達がみな一様にプロデビューしてから30年以上を経過しているという事実をまた再認識した。そりゃ聴いているこっちも歳とっているんだからまあ当然といえば当然のことではあるのだけれど。