サンボマスター礼賛

いつもいつも後ろ向きで古いジャズだの、'70年代フォークロックだのばかり聴いているんじゃ駄目だろう、たまには新しい音楽も聴かなくてはいかんよな〜と、TUTAYAレッチリのベスト盤なんか借りて聴いている。ちっとも新しかないんだけど。レッチリとか一生懸命聴いていたのはたぶんアーリー90年代か、ハアってため息というか、やっぱり後ろ向きで遠い目してその頃のことを思い出したりして。
だいたい新しい音っていっても何を聴いたらいいのだろう、などと考えてしまう。ヒップホップみたいなものをどうにもしっくりこないし、アルバム一枚聴きとおす根性、根気もないし。だもんで、結局さらに後ろ向きにクラシックなんかに逃避して、ここんところはラフマニノフとか聴いてやさしい気持ちになったりもしていた。
そんなこんなで日曜日の朝日の書評の見出しをダラ〜っと眺めていたらこの本に目がとまった。

叱り叱られ

叱り叱られ

そんでもって評者があの重松清なわけ。まあこんな書評なんだけどとりあえず前文引用。
http://book.asahi.com/review/TKY200804220100.html

叱り叱られ [著]山口隆
[掲載]2008年04月20日
[評者]重松清(作家)
■まっすぐで、過剰なまでの「好き!」
 書店ではおそらく「音楽」「サブカル」の棚に並んでいるだろう。ロックバンド・サンボマスター山口隆が敬愛する先輩たちを迎えた対談集である。ゲストは山下達郎大瀧詠一岡林信康ムッシュかまやつ佐野元春奥田民生という錚々(そうそう)たる6人。しかも皆、1976年生まれの山口隆よりずっと年上――最年少の奥田民生でさえ1965年生まれ、最年長のムッシュかまやつに至っては1939年生まれなのである。
 そんな偉大なる先達を相手に、山口隆はとにかく生意気である。笑い交じりとはいえ「岡林信康がそんなことでどうするんですか!」とハッパをかけ、大瀧詠一に「なんだよそれ」とツッコミを入れ、「ライターに責められてるみたい」と山下達郎を苦笑させて……。
 ところが、その生意気さが逆に、取材慣れしているはずの大御所たちの心を開く。「君を見てたら、つい心を許しちゃってね」と大瀧詠一が言い、奥田民生が「ほんとにうっとうしいよ」と笑うのは、山口隆の生意気さがゲストに対する「好き!」で貫かれているからだ。山下達郎への「僕は好きだから言っちゃうんですよ」の言葉に嘘(うそ)はないし、それは他のゲストにもあてはまる。トリビュートだのリスペクトだのといった近ごろ流行(はや)りの横文字からはあふれ出てしまう、過剰なまでの「好き!」があるからこそ、山口隆の言葉は無礼ではあっても非礼には響かない。問いかける内容も、ゲストをたじろがせるほどの接近戦となる。そして、大御所たちもその思いに応えて、時にはおとなげなくムキになってまで、心情を吐露するのだ。
 〈とにかく断絶をなくしたいんだ〉と山口隆は言う。〈その素敵(すてき)な行為の一つとして、この本を出すことにしました〉と、いきなり丁寧な口調になって言う。そうか。世代や文化の断絶を打ち破るのは、暑苦しいまでにまっすぐな――サンボマスターの曲のように一途な思いなのかもしれない。書店に「コミュニケーション」の棚があるなら、ぜひ、そのど真ん中にうっとうしく並べていただきたい。

サンボマスターって、あのとっちゃん坊やみたいな小太りメガネがメインでがなりたてている3人組バンドだろう。とにかく印象としてはどこまでも暑苦しくて、うっとうしそうな連中の和製パンクみたいな感じ。山口隆とはまさしくその小太りメガネなわけなのだが、その彼が大御所ともいうべき山下達郎大瀧詠一とからむ対談集だというのだ。音楽的接点ないだろうにとも思いつつ、山口隆というこのボーカリストが達郎や奥田民生佐野元春やかまやつとどうからんでいくのかに興味津々となった。
ほんでもってとりあえずどんなものをやっているのかと思い借りてきたのがこの一枚。

サンボマスターは君に語りかける

サンボマスターは君に語りかける

1曲目の『歌声よおこれ』でぶっとんでしまった。スケールの大きい曲だ。ボーカルがいい、ただのがなりたてているだけの歌声ではない。そして歌詞もまた素晴らしく、日本語をロックンロールにのせるための悪戦苦闘がみてとれる。全体として歌心溢れた素晴らしい作品だ。
さらにこうしたハードにして古いロックだけではない。5曲目の『夜があけたら』ではブラスセクションをいれて懐かしいリズム&ブルースにしあげている。なんか嬉しくなってしまうナンバーだな。こういうのを日本語でやっているのはウルフルズとか限られたグループだけだったんだよな、などとうなずきながら聴きいってしまう。
さらにさらにだ、8曲目の『週末ソウル』では同じソウル調でもメローなナンバーを聴かせてくれる。すごい。このグループはある意味、ボーカルの山口隆のワンマンバンドだという。山口の音楽センスには脱帽である。彼が子どもの頃から様々なロックやポップス、リズム&ブルースを様々に吸収してきたことがみてとれる。さらに彼の、音楽が好きで好きでたまらないという嗜好性とでもいうのだろうか、そういうのがストレートに伝わってくる。
最後の曲『月に咲く花のようになるの』もまたソウルメローな曲だ。'70年代のソウル系、たぶんカーティス・メイフィールドマーヴィン・ゲイとかを聴きこんだんだろうななどと推測してしまう。そういえばここかしこに挿入される山口のギターソロの部分は妙に山下達郎っぽい感じがする。達郎のギターはカーティス・メイフィールドのカッティング系の影響大なんだけれど、それにまた山口も影響受けたんだろうなどと想像する。このようにして奏法は伝承していくわけだ。
山口隆は1976年生まれだという。私なんかとはほぼ20年ぐらい開きがある。ある意味自分の子どもの世代でもあるわけだ。だからこれも推測だけど彼はずいぶんと早熟な音楽少年だったのかななどとも思う。さらにどんどんとロックンロールをリズム&ブルースをどんどんと遡って聴いていったんだろうと思う。そんな彼の音楽的志向性が山下達郎や大瀧読一や佐野元春等との対談を可能にさせているんだろうなと思った。これはいっちょう読んでみなくてはと、一昨日会社帰りに川越のブックファーストまで足を運んだ。久々に大型書店に足を運んでみたのだが、やっぱりいいもんだよ。沢山の本があるのは。ある意味こういう本屋さんにいるのが一番落ち着くような気がするな。本屋は子どもの時から一番時間を過ごした場所だったからなんだけどね。
それで書評コーナーにありました、『叱り叱られ』。まだぜんぶ読んでいない。時間がないんだよ。それに通勤時間もないし、家に帰ると家事に追われているから、こればっかりはいたし方ないんだ。そうはいっても、数10頁斜め読みしてみたのだが、この本は本当に面白いね。久々のヒットだよ。
 山下達郎との章では、あの気難しい達郎がよくもここまで語ったよな〜と率直に感じた。たぶん達郎は山口隆に自分と同じ匂い、狂がつくほどのポップ・ミュージック好きの部分を感じたんじゃないだろうか。
達郎の語りにはけっこう興味深いものがいろいろあった。例えば、

だいたいその時代の共同幻想から離れたやつが生き残るという変なセオリーがあるから。そういう意味では、僕らはあの頃いちばん離れてた。シュガー・ベイブは本当のサブカルチャーだったけど、コード進行はメジャーセブンスとかマイナーナインスを使ってたでしょ。そういうバンドは他にいなかった。(日比谷)野音のイベントでも、アンコールはたいてい「ジョニー・B・グッド」の時代だったから、僕らは絶対それだけは演らないでいこうと思ったし。ただ、スタンスはまったくライヴハウスのバンドなんですよ。

そうだったのかとはたと膝をうつ感じだ。なんで’'70年代の後半のどこか、深夜のラジオから流れてきたシュガー・ベイブのメロディーにすっかりはまったのか、その理由がわかったような気がした。メジャーセブンス、マイナーナインスの多用なんだな。当時いっぱしのフォーク少年だった私は見様見真似でギター弾いたり、曲作ったりしていた。一番好きなコードはメジャーセブンス系だった。だからそうしたコードを多用して素敵な曲を歌ってくれるシュガー・ベイブに魅了されたわけだ。
達郎も山口につっこまれるだけでなく、逆につっこみを入れる。それに答える山口の音楽観もまたすばらしいのだ。

山下 じゃあね、僕は逆にお訊きしたいけど、サンボマスターって、すごい不思議ななバンドだと思うのは、あのコード・プログレッションだったら、なんでキーボード入れないの?
山口 キーボードを入れる瞬間に空気の廻りがぜんぜん違っちゃうから。ジャズはお好きですよね?ソニー・ロリンズがピアノ入れなかったのと同じです。

キーボードを入れたらという達郎のつっこみはすごくわかる。私もサンボの曲を聴いていて一度ならず思った。特にスローなメロー系の曲なんかだと。それに対してロリンズ持ち出す山口には驚きである。ピアノレスのロリンズというところに山口がかなりジャズを聞き込んでいるんだなと感じる。そして3ピースのユニットに対する強い思い入れがあるのだなとも思った。
音楽好きの二人がかみあっていくのは音楽への強い思い入れの波長があっているからなんだろうなと思う。音への思い入れといえばこんな件がある。

山口 それで達郎さんは何を勝ちだと?自分の満足?
山下 勝ち負けは人が決めること。あとは、自分が顧客(カスタマー)でいてほしい人達の観念(イデア)に向けて発信したものを、その人達がいいと思ってくれること。
山口 僕は、自分の満足だけとは言えない。ここから先は自分でもぼやけて見えないですけど、こんな欲深い僕でも、音楽でちょっとでもリストカットしてる子の手首の傷がなくなればいいとか・・・・・。

ここには長い音楽との、あるいは音楽を巡る社会との格闘の中で到達した達郎の達観めいた部分と今まさしく七転八倒して苦闘している山口の若さ、その中でも音楽への信頼、信仰の吐露が対比されている。山口はまだまだ若く、青臭いのだ。その一生懸命さや音楽への真摯な態度がサンボマスターの音楽そのものの魅力なのだとも思う。
最後に奥田民生との章で奥田がサンボマスターを評した一言がまさに言いえて妙という感じでいい。

奥田 まず小太りのミュージシャンがフロントのロックバンドで、メガネかけてて、ちょっとコードがこ洒落てると(笑)。そういう印象じゃない、最初は。で、歌はソウルフルだと。「何これ?」っていうね。そういいうインパクトがやっぱりあるよね。

 まさしくその通りだと思う。小太りのミュージシャンの汗臭いがなりたて、それでいてコード洒落ていて、単なるロック&ロールだけでなく、ソウルやリズム&ブルース、ジャズテイストなものまで取り込んだ音のコラージュ。日本語をリズムに載せるための様々な苦闘が伺える歌詞。1枚アルバムを聴いてみると実際
「何これ?」という思いにかられるわけだ。
しかし五十の坂を越えてもまだこの手の音が聴けるのだから、まだまだ自分の感性みたいな部分もけっして老いさらばえた訳でもないのだろうなと思う部分もある。それはそれで嬉しくもあり、反面我ながら呆れるところでもあるわけだ。
ちなみに勢いでサンボのアルバムはすべて揃えてしまったのである。それが高々三日間のことである。