最近観た映画②

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を観た

 これも劇場で一度観ている。

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を観る - トムジィの日常雑記

 政治的なスキャンダルを追求するアメリカジャーナリズムの戦いを描いたもの。こういうテーマがきちんとメジャーな映画として発表されるハリウッドの懐深さにまず驚く。そして第一級の娯楽映画に仕立て上げるところも。

 監督は巨匠スピルバーグ、主演はワシントン・ポストの社主を演じるメリル・ストリープと同じく編集主幹役のトム・ハンクス。ハリウッドの大監督、大スターが社会派ドラマに正面から取り組んだものだ。

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 - Wikipedia

 映画を観る前からいちおうペンタゴン・ペーパーズについては、もちろん知ってはいたけど一応おさらい。

ペンタゴン・ペーパーズ - Wikipedia

1945年から1967年までの米国のベトナムへの政治的および軍事的関与を記した文書であり、国際安全保障問題担当国防次官補のジョン・セオドア・マクノートン(英語版)(海軍長官就任直前に死亡)が命じて、レスリー・ハワード・ゲルブ(英語版)(後に国務省軍政局長)が中心になってまとめ、ポール・C・ウォンキ(英語版)国防次官補に提出された極秘文書。

 この最高機密文書を内部告発したのがダニエル・エルズバーグ博士で、極秘に文書を持ち出し、ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストに持ち込んだ。後にホワイトハウスの秘密工作班が、エルズバーグのかかっていた精神分析医から彼のカルテを非合法に盗み出そうとしたことも、ウォーターゲート事件の過程で明らかになったりもした。

 アメリカ政府のベトナムへの不当な関与や、情報の隠蔽などがこのペーパーズの中で明らかにされたが、そうした文書-政府にとって不都合な事実をきちんと記録したこと自体はアメリカ民主主義の証明といえるかもしれない。これが日本だったら、まずこういう不都合な事実を事実として、後世のために残すなどということはしないだろう。逆に過去にそういう文書が残されていたら、とっくに消却廃棄するか改竄してしまうだろう。

 こういう映画をみると、アメリカという国は様々な問題を抱えているが、それでも民主主義の理想をきちんと守ろうとする市民が各階層にあることがわかるような気がする。翻って日本はというと・・・・・・・・・・・・、悲しくなるような。

 とはいえこの映画で描かれるワシントン・ポストのトップである社主キャサリン・グラハムはというと、彼の父親で金融業者でありポスト紙を買収してオーナーとなったユージン・メイヤーの娘であり、上流階級のお嬢様でもあった。彼女はユージーンがポスト紙の発行者に指名したフィル・グラハムと結婚したが、後にフィルが自殺したためポスト紙のオーナーになった。金持ちの子女ということで、上流階級の中ではコネクションも多かった。そのへんのことが映画の中にもきちんと織り込まれている。

 ちなみにユージン・メイヤーは共和党支持者であったようで、ワシントン・ポスト紙がもともとリベラルかつ民主党支持ということでもなかったようだ。どうでもいいがユージーンはポール・マッカートニーと同じ誕生日だ。ただしキャサリン・グラハムや編集主幹のベン・ブラッドリーはJ・F・ケネディと親しかったので、70年代のポスト紙はリベラルかつ民主党に近いところもあったかもしれない。

 ただし、この映画の中ではペンタゴン・ペーパーズの報道を巡って、当時のニクソン政権とポスト紙が対峙する形になっている。しかしベトナム戦争への関与という点でいえば、ニクソン以前の民主党政権ケネディ、ジョンソン政権の方に大きな責めがあるので、この映画を共和党系保守的な政府対リベラルなマスコミとの闘いというような図式で語るのは性急かもしれない。ポスト紙の中にも民主党支持者もいれば共和党支持者もいる。政党支持についてそれぞれの立場を尊重し合っている。そのうえであえていえば、アメリカでは民主党支持者にしろ共和党支持者にしろ、報道の自由は最大限に守られるべきこと、報道は権力を監視することが使命であること、こうした点での共通認識ができている。

 このへんは70年代アメリカの共通認識だけに、トランプを経た現在でも有効かどうか。でもこの映画はトランプ政権が誕生した2017年であることに留意しておく必要があるかもしれない。

 この映画では、最終的に政権が求めたペンタゴン・ペーパーズ報道差し止めの訴えは大陪審で否決される。終始、後ろ姿で電話する姿で描かれるニクソン大統領らしき人物が、ワシントンポストに露骨な敵愾心を示すシーンが描かれる。そして民主党本部への何物かの侵入のシーンで暗示的にインサートされて映画は終わる。その後の展開は、歴史の知るところだ。

大統領の陰謀

 という訳で、「ペンタゴン・ペーパーズ」が最後に民主党本部への侵入事件を描いて終わったので、なんとなくその続編的な形でのこの映画を深夜観た。いや懐かしい。

 1976年制作、1978年日本公開。アラン・J・パクラ監督、ロバート・レッドフォードダスティン・ホフマン主演。いや二人とも若い。

 もちろんこの映画は公開当時も観ているし、それからも時々見直している。DVDも持っている。DVDで観るとけっこう映像が粗かったりもする。ネット配信の方が観やすいかもしれない。

大統領の陰謀 - Wikipedia

 本作はウォーター・ゲート時間を扱っている。そのへんの知識がないとちょっとしんどいかもしれない。自分らのような古い世代だと、ウォーターゲート事件はほぼほぼ同時代的に新聞やテレビでの報道で接している。1972年の発覚からニクソン大統領の辞任する1974年までのアメリカの一大政治的スキャンダルである。

ウォーターゲート事件 - Wikipedia

 ワシントンの民主党本部への盗聴侵入事件、それが実はニクソン大統領再選委員会の元で行なわれたことが明らかにされている。捜査や報道に対してのニクソン政権の妨害工作、そしれ再選委員会にとどまらず実はその盗聴侵入はニクソン大統領の側近による指示のものであることも判っていく。

 最終的にニクソン大統領は議会での弾劾を忌避するために、在任中に辞任した初めての大統領となる。そして後任となったフォード大統領はニクソンのすべての疑惑、事件への関与をうやむやにしたまま、彼への訴追のすべてを赦免する。その後の調査から、実は事件についてはニクソンは関与しており、直接指示をしているところもあったということが明らかになっているようだ。

 この事件については、映画でも描かれるとおりにワシントン・ポストの若手記者が丹念な取材を行っていく。そういう意味ではこの映画はけっこう地味な記者の日常的な取材活動を絵が描いている。それでいて面白く観ることができるのは、大統領とその側近による政治的スキャンダルという大きな事件と、当時すでに若手の大スターだったロバート・レッドフォードダスティン・ホフマンの好演技、さらに脇を固める重鎮的な俳優陣、ジェーソン・ロバーツ、ジャック・ウォーデンマーティン・バルサム等によるところが大きいだろう。

 ワシントン・ポストの編集主幹ベン・ブラッドリーをこの映画ではジェーソン・ロバーツが演じている。彼はこの映画でアカデミー助演男優賞を受賞している(翌年「ジュリア」でも受賞)。「ペンタゴン・ペーパーズ」ではこの役をトム・ハンクスが演じているので、どうしても比べてしまう。トム・ハンクスも当然のごとく名演技なのだが、どうしてもジェーソン・ロバーツと比べると弱い。

 会議や部下と話すとき、いつも長い脚を机の上にのせながら話をする姿や、部下に対して「お前たちを信頼する」と取材の続行を許可し、それから去っていくときに「信頼するのは苦手だが」と付け加え、背中で独特の表情を創り出す。リアルなベン・ブラッドリーもきっとこんな感じだっただろうと思わせる。

 「ジュリア」でけっして書かないのに作家の匂いを全面に漂わせながらダシール・ハメットを演じたのも見事だった。1976年、1977年のロバーツは役に恵まれたが、その役を見事に演じきったのだと思う。

 「大統領の陰謀」はもともと取材したボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインがまとめたノンフィクションの『大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日』を脚色したものだ。この本はピューリッツァ賞を受賞したニュージャナーナリズムの傑作だ。今は文庫本で早川とかで読めるようだったが、かっては立風書房から単行本で出ていたと思う。翻訳は当時ニューヨーカー系の小粋な都市小説を日本に紹介していた常盤新平だったか。自分も発売されてすぐに読んだから、多分映画より先に本を読んでいたように記憶している。

 この本は一応共著となっているが、たしかボブ・ウッドワードがかなりの部分を執筆している。映画の中でレッドフォードのセリフで出てくるが、彼は共和党の支持者でもある。またカール・バーンスタインはというと、一時期ノーラ・エフロンと結婚していて、エフロンの監督作品「心みだれて」の中でその結婚生活が赤裸々に描かれている。

 エフロンによるとバーンスタインは、たしかセックス依存症で不倫を繰り返していたということらしい。そういえば映画「ペンタゴン・ペーパーズ」のラスト・クレジットには「ノーラ・エフロンに捧ぐ」という献辞があった。ノーラ・エフロンは2012年に白血病で亡くなっているのだが、スピルバーグメリル・ストリープトム・ハンクスはエフロンと親しかったことでこの献辞が送られたのかもしれない。さらにいえば女性映画監督としてパイオニア的存在だった彼女と映画の主人公でもある主要新聞紙で初めての女性社主でもあったワシントン・ポストのキャサリン・グラハムを重ね合わせるみたいな部分もあったかもしれない。

 アメリカでは政治的なテーマもきちんと娯楽作品として描き、それが興行的にも成功する。そのへんがアメリカの民主主義の定着度合みたいな部分でもあるように思う。一方日本はといえばどうか。森友問題を連想させる「新聞記者」のような作品もないではないが、あれもあくまで連想するだけだ。そしてそれら受容するだけの大衆の側の政治的成熟度が多分ない。だから一瞬話題になっても消えてしまう。

「森友事件、もう終わったことでしょ」

「政治とか難しいこと、興味ないし」

 そういうものだ。

セロニアス・モンク CDボックス

「クレームの多いピアニストは誰だ」

 と、くだらないこと思いついたが、あまりのくだらなさに二の句がつげない。

 先日のソニー・スティットに続いてこちらも購入してしまいました。CD4枚でアルバム8枚分687円だよ。

 音質もそれほど悪くはない。もともとあまりそのへんは気にしないタイプである。どうせiTunesに取り込んで、iPodをオーディオに繋げて聴くだけなんで。

 モンクは苦手というかあまりきちんと聴いてこなかったよう思う。持っているのもせ「ブリリアント・コーナーズ」とかブルーノートの「GENUIUS OF MODERN MUSIC VOL1.2」とかのくらいか。

 あの不協和音じゃなく、変則コードみたいなのも今一つのらない。もっともモンクなくしてセシル・テーラーなんか出てこなかったんだろうなとか思ったりもしないでもない。今回流して聴くと、やっぱりモダン・ジャズの巨匠の一人だなと、当たり前のことを思ったりもした。アート・ブレイキーとやっているのもいいし、特にソニー・ロリンズとのやつとかも。

 まあ一日延々モンクを流すというのもなかなかオツだと思ったりもする。なかなか一日中、音楽聴いているというのは出来ないのだけど。

8 CLASSIC ALBUMS

8 CLASSIC ALBUMS

Amazon

 

Monk 

  1. "We See" - 5:16
  2. "Smoke Gets in Your Eyes" (Otto Harbach, Jerome Kern ) - 4:34
  3. "Locomotive" - 6:23
  4. "Hackensack" - 5:13
  5. "Let's Call This" - 5:08
  6. "Think of One" [Take 2] - 5:47
  7. "Think of One" [Take 1] - 5:37

Thelonious Monk - piano
Ray Copeland - trumpet (tracks 1-4)
Frank Foster - tenor saxophone (tracks 1-4)
Curly Russell - bass (tracks 1-4)
Art Blakey - drums (tracks 1-4)
Julius Watkins - French horn (tracks 5-7)
Sonny Rollins - tenor saxophone (tracks 5-7)
Percy Heath - bass (tracks 5-7)
Willie Jones - drums (tracks 5-7)

 

MONK'S MUSIC

  1. "Abide With Me" – 0:54
  2. "Well, You Needn't" – 11:24
  3. "Ruby, My Dear" – 5:26
  4. "Off Minor (Take 5)" – 5:07
  5. "Epistrophy" – 10:46
  6. "Crepuscule with Nellie (Take 6)" – 4:38

Thelonious Monk – piano on tracks 2-6
Ray Copeland – trumpet on tracks 1, 2, 4-6
Gigi Gryce – alto saxophone and arrangements on tracks 1, 2, 4-6
Coleman Hawkins – tenor saxophone
John Coltrane – tenor saxophone on tracks 1, 2, 4-6
Wilbur Ware – double bass on tracks 2-6
Art Blakey – drums on tracks 2-6
Orrin Keepnews – production
Jack Higgins – recording engineering
Kirk Felton – digital remastering
Paul Weller – cover photography
Paul Bacon – cover design
References

 

Thelonious Monk Plays Duke Ellington

  1. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing) - 4:38
  2. Sophisticated Lady - 4:27
  3. I Got It Bad and That Ain't Good - 5:52
  4. Black and Tan Fantasy (Miley, Ellington) - 3:24
  5. Mood Indigo (Ellington, Bigard) - 3:13
  6. I Let a Song Go Out of My Heart - 5:40
  7. Solitude - 3:42
  8. Caravan (Tizol, Ellington) - 5:55

Personnel
Thelonious Monk – piano
Oscar Pettiford – bass
Kenny Clarke – drums

 

The Unique Thelonious Monk

  1.  "Liza (All the Clouds'll Roll Away)" (George & Ira Gershwin, Gus Kahn) – 3:11
  2. "Memories of You" (Eubie Blake, Andy Razaf) – 4:15
  3. "Honeysuckle Rose" (Fats Waller, Andy Razaf) – 5:32
  4. "Darn That Dream" (Eddie DeLange, James Van Heusen) – 6:30
  5. "Tea for Two" (Vincent Youmans, Irving Caesar) – 5:52
  6. "You Are Too Beautiful" (Richard Rodgers, Lorenz Hart) – 4:53
  7. "Just You, Just Me" (Jesse Greer, Raymond Klages) – 7:59

 Personnel
Thelonious Monk – piano
Art Blakey – drums (except for track 2)
Oscar Pettiford – bass (except for track 2)

 

Mulligan Meets Monk

  1.  "'Round Midnight" (Monk, Cootie Williams, Bernie Hanighen) – 8:29
  2. "Rhythm-a-Ning" (Monk) – 5:19
  3. "Sweet and Lovely" (Gus Arnheim, Jules LeMare, Harry Tobias) – 7:17
  4. "Decidedly" (Gerry Mulligan) – 5:54
  5. "Straight, No Chaser" (Monk) – 7:00
  6. "I Mean You" (Monk, Coleman Hawkins) – 6:53

 Gerry Mulligan – baritone saxophone
Thelonious Monk – piano
Wilbur Ware – double bass
Shadow Wilson – drums

 

Thelonious Monk and Sonny Rollins

  1.  "The Way You Look Tonight" (Dorothy Fields, Jerome Kern) – 5:13
  2. "I Want to Be Happy" (Irving Caesar, Vincent Youmans) – 7:43
  3. "Work" – 5:18
  4. "Nutty" – 5:16
  5. "Friday the 13th" – 10:32

Thelonious Monk – piano
Sonny Rollins – tenor saxophone on "The Way You Look Tonight", "I Want to Be Happy" and "Friday the 13th"
Julius Watkins – french horn on "Friday the 13th"
Percy Heath – bass on "Work," "Nutty" and "Friday the 13th"
Tommy Potter – bass on "The Way You Look Tonight" and "I Want to Be Happy"
Art Taylor – drums on "The Way You Look Tonight" and "I Want to Be Happy"
Art Blakey – drums on "Work" and "Nutty"
Willie Jones – drums on "Friday the 13th" 

 

Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk

  1.  "Evidence"    Thelonious Monk    6:46
  2.  "In Walked Bud"    Thelonious Monk    6:39
  3.  "Blue Monk"    Thelonious Monk    7:54
  4.  "I Mean You"    Thelonious Monk, Coleman Hawkins    8:02
  5.  "Rhythm-A-Ning"    Thelonious Monk    7:20
  6.  "Purple Shades"    Johnny Griffin    7:48

Art Blakey – drums
Bill Hardman – trumpet
Johnny Griffin – tenor saxophone
Thelonious Monk – piano
Spanky DeBrest – bass

 

Thelonious Monk Trio

  1.  "Blue Monk" - 7:39
  2. "Just a Gigolo" (Julius Brammer, Irving Caesar, Leonello Casucci) - 3:00
  3. "Bemsha Swing" (Thelonious Monk, Denzil Best) - 3:10
  4. "Reflections" - 2:48
  5. "Little Rootie Tootie" - 3:06
  6. "Sweet and Lovely" (Gus Arnheim, Jules LeMare, Harry Tobias) - 3:33
  7. "Bye-Ya" - 2:46
  8. "Monk's Dream" - 3:07
  9. "Trinkle, Tinkle" - 2:49
  10. "These Foolish Things" (Harry Link, Holt Marvell, Jack Strachey) - 2:46

Thelonious Monk - piano
Gary Mapp - bass (tracks 1-6, 9-10)
Art Blakey - drums (tracks 1-4, 7)
Max Roach - drums (tracks 5-6, 9 & 10)
Percy Heath - bass (track 7)
Track 8 is a solo piano performance by Monk.
an uncredited person plays a shaker (in son clave rhythm) on "Bye-Ya"

最近観た映画とか

 通信教育のレポートやらテストやらで、すっかりご無沙汰というか、あまり映画とか観ていないのだが、それでも現実逃避的に深夜につらつら観てもいる。たいていは古い映画だが、ここ1~2ヶ月に観たものを幾つか。

きみに読む物語

 ベタなメロドラマである。この映画は12年くらい前に観ている。

きみに読む物語 - トムジィの日常雑記

 監督のニック・カサヴェテスのことや両親のジョン・カサヴェテスジーナ・ローランズのことなんかに言及しているが、若き主役のライアン・ゴズリングレイチェル・マクアダムスのことには全然触れていない。その後の月日のなかでゴズリングは「ラ・ラ・ランド」などでトップスターの座に駆け上がっている。相手役のレイチェルも順調にキャリアを積み重ねていて、2015年の「スポットライト 世紀のスクープ」ではアカデミー賞助演女優賞にノミネートされている。あの記者役はけっこう印象的だった。

 映画自体を観た感想は12年前とほとんど変わっていない。繰り返すがベタなメロドラマである。途中からほとんどネタバレしている。それもすべて計算ずくというところも。老人ホームで物語を読み聞かせる老紳士役を演じたジェームズ・ガーナーは、B級西部劇のスターでもあるジェームズ・ガーナーは、我々の世代からするとB級西部劇のスターという印象が強く、ちょっと違和感あったのだが、今回観た限りでいえば、ひょうひょうとした演技は好演といってよいかもしれない。調べると2014年に86歳で亡くなっているが、2004年のこの映画が遺作のようである。

「42~世界を変えた男~」

 けっこう以前から気になっていた映画。チャドウィック・ポーズマンの出世作。自分が彼を知ったのは、割と最近でのことで「マ・レイニーのブラックボトム」で。まあ観た時にはすでに亡くなっていた。熱量のある演技が鬼気迫るみたいな感じだったけど、もうあの時には末期がんで余命状態だったようだ。

 この映画は2013年の作品。メジャー・リーグで黒人選手のパイオニアになったジャッキー・ロビンソンを描いたもの。今ではメジャー・リーグ、メジャーが一般的だけど、自分のような古い世代だとどうしても大リーグという呼び名に慣れている。「巨人の星」の魔球大リーグボールの大リーグね。

 その大リーグだけど、日本で一般的になったのはやっぱり野茂や松井が活躍してからだと思うけど、自分が観てたのはもっと昔のこと。多分70年代のことだと思う。しかし、音楽でも映画でも野球でも、なんかみんな70年代が一番見たり聴いたりしていたような気がする。それ以降、あまりアップデートしてない。

 よく観ていた頃はやっぱりNHKBS放送の深夜枠とかが多かったか。さらにいうとスポーツ・コラムみたいのけっこうよく読んでいた。ロジャー・エンジェルとかそのへん。多分、アメリカのコラムニストの本よく読んでたり、雑誌「ナンバー」が「スポーツ・イラステッド」と提携してたとか、そういうところの影響だろうか。なので当時の大リーグ事情にはわりと精通してただろうか。

 選手でもキャットフィッシュ・ハンター、トム・シーバー、ケント・テカルビーとかなんとなく名前が出てくる。あとビリー・マーチンヤンキーススパーキー・アンダーソンのレッズとか。当時のヤンキースはなんかやたらと強かったような記憶がある。レジー・ジャクソン、マンソン、ネトルズ、チャンプリス、ピネラなどなど。

 そういう時代でもジャッキー・ロビンソンはすでにレジェンドみたいな存在だった。ロビンソンは1947年にメジャー昇格して1956年に引退、実働10年ということらしい。ウィキペディア等を見てみると、首位打者1回、盗塁王2回。

通算打率   311

ホームラン  137

盗塁     197

安打      1518

ジャッキー・ロビンソン - Wikipedia

 成績だけを見ると長距離打者ではないし、どちらかというと走攻守揃った玄人受けするタイプだったようだ。しかし成績だけを比較するとイチローがどれだけ凄い選手かということがわかるような。

 黒人選手のパイオニアということで、忍耐力、精神面がやたらとタフな選手だったのだと思う。そのへんが単なる技術やパワーだけのスポーツ選手と違うということなんでしょう。

 映画はというと、正攻法の野球映画、スポーツ映画だと思う。最近はあまりないけど、かっては野球映画ってけっこう沢山あって、大スター俳優が野球選手を演じていたように思う。ジェームス・スチュワートの「蘇る熱球」、ゲイリー・クーパの「打撃王」などを記憶している。それらに比べると「42~」は正攻法だがユーモアに欠ける部分がある。まあ人種差別がメインテーマになるだけに、それは致し方ないかとは思う。

 映画としては判りやすいキャラ化が図られていて、ジャッキー・ロビンソンは不屈の闘志で差別に耐え抜く、チーム内、他チームの差別主義者も類型的な差別主義者たちとして描かれている。いわばジャッキー・ロビンソンという、アメリカにおいては誰もが知る偉人のお話を、判りやすく描いた映画という感じでもある。そういう意味では可もなく不可もなくというところだろうか。

 黒人選手をメジャーに起用しようとするドジャースのオーナー、ブランチ・リッキーを演じるのは、多分そうだろうな、そうだろうなと思って観ていたら案の定ハリソン・フォードだった。黒人選手の起用は、興行面、好選手を安く投入できるという計算が図られていたのだろうけど、そういう部分の生臭さをフォードがうまいこと演じていた。ボーズマンの熱演してたけど、自分的にはハリソン・フォードがもっていった感があるなと思った。

グッドフェローズ

 レイ・リオッタが亡くなったと聞いて、なんとなく代表作はこれかなと思って観た。もちろん以前にも観ているが、同じマフィアを描いた映画という点でいえば、「ゴッドファーザー」、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」とかに比べると、重厚感がない。主人公の独白によりエピソードを繋げていく軽快な演出は、多分スコセッシ的には、「ゴッドファーザー」の対極を狙ったのかもしれない。ただし、なんとなくダイジェスト版を観ているような印象を与える。

 まあまあ面白く観れたけど、やはりマフィアものは「ゴッドファーザー」が一番だということを再確認するような映画だ。その「ゴッドファーザー」もⅡまでだけど。どうでもいいが、いわれるまで「フィールド・オブ・ドリームス」のシューレス・ジョーを彼が演じているとのに気がつかなかった。あの映画はいい映画だったし、多分レイ・リオッタのベストアクトかもしれない。

ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった(字幕版)

 ザ・バンドを扱ったドキュメンタリーだが、ベースになっているのがロビー・ロバートソンの回想録『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』をベースにしている。なのでこの映画はロビー・ロバートソンによるロビー・ロバートソンのためのロビー・ロバートソンのザ・バンドという映画である。

 確かにロビー・ロバートソンがザ・バンドの中心メンバーであることは認めるが、それにしても他のメンバーの描き方が酷い。ガース・ハドソン、リチャード・エマニュエル、リック・ダンコはその他大勢扱い。唯一リヴォン・ヘルムは才能あるスターとして描かれるが、薬中で晩節を汚すみたいな描かれ方だ。とにかくロビー・ロバートソン以外は全員ジャンキーみたいに描かれている。これはちょっとないなと。

 実際のバンドの軌跡はどうかというと、ロビーがライブ活動の停止と解散の方向を主張し、それに対してリヴォン・ヘルムはライブの続行を主張。「ラスト・ワルツ」の解散ライブ以降もロビー以外のメンバーはザ・バンドの活動を続けた。しかしそのへんのことはこの映画には描かれない。

 別に他のメンバーの肩を持つ訳ではないが、ザ・バンドがロビー・ロバートソンの一枚看板だった訳ではないし、ボーカルという点でいえばリヴォン・ヘルムの存在が大きかったと思う。個人的にはリック・ダンコが好きだったし。

 もっとも後期のアルバムでは曲作りはほとんどすべてがロビー・ロバトソンだった訳で、ロビーからすれば他のメンバー薬でラリっているときに自分一人が曲作り、アルバム作りに苦闘していたという言い分もある訳である。そのへんがこの映画でも多く語らられている。

 1990年代のどこかで、リック・ダンコとリヴォン・ヘルムはリンゴ・スター・オールスターズのメンバーとして来日した時に観ている。懐かしい「ラスト・ワルツ」からの名曲、確か「ウェイト」をやっていたか。リンゴの他にもジョー・ウォルシュニルス・ロフグレンドクター・ジョン、クレランス・クレモンズ、ビリー・プレストンという錚々たるメンバーだった。ああいう音楽を聴いていると、リヴォン・ヘルムがバンドのライブ活動を続けたかった理由も判るし、ロビーなしでも良かったのではないかと思ったりもする。実際のところロビーレス・バンドはけっこう長きに渡って断続的に活動していた訳だし。

 ロビー・ロバートソンが才能溢れミュージシャンであり、希代のギタリストであることは認める。でもザ・バンドはけっしてロビー・ロバートソン・アンド・ザ・バンドではなかったと思う。そういう思いもあるので、今回のドキュメンタリーはあまり楽しめなかったかもしれない。

ロビー・ロバートソン   1943~    78歳

リヴォン・ヘルム     1940-2012 71歳没

リック・ダンコ                      1942-1999    56歳没

ガース・ハドソン                   1937~          84歳

リチャード・エマニュエル     1943-1986    42歳没

 死人に口なしではないし、ロビー・ロバートソンの一人勝ちという訳でもない。ビートルズの遺産はポールが一人占めしている感もなきにしもだが、それでもジョンやジョージはレジェンドとして燦然と輝いている。ロビー・ロバートソンはけっして嫌いじゃないけど、やっぱり彼はポール・マッカートニーとは違うし、ザ・バンドはメンバー5人のグループ・サウンドだったと思ったりもする。

西洋美術館補遺-常設展

 西洋美術館常設展で気になった作品を幾つか。

 本館から新館に移る回廊を渡ってすぐの部屋、以前だとマネ、ルノワールシスレーセザンヌなど18世紀から19世紀の作品が展示してあるスペースに1点大理石の彫刻があった。

「マリー・バシュキルツェフの胸像 」(ルネ・ド・サン=マルソー)

マリー・バシュキルツェフの胸像|シャルル=ルネ・ド・ポール・ド・サン・マルソー |所蔵作品検索|国立西洋美術館

 マリー・バシュキルツェフ、聞きなれない名前だが、ウクライナ出身の女流芸術家だという。ソ連ウクライナ侵攻ということでこの作品を展示、あわせて1階の受付近くにはウクライナ支援の募金箱も設置してあった。

マリ・バシュキルツェフ - Wikipedia

 ウクライナ出身、画家、彫刻家、日記作家、結核のため25歳で夭折したという。裕福な貴族の家に生まれ、幼くして父と母が別居、彼女は母と共にヨーロッパを旅行して回り、最終的にはパリに移り住んだ。自然主義、農民画家として人気のあったジュール・バスティアン=ルパージュに絵を習い、18歳からの7年間に数百点の作品を制作した。しかし、第二次世界大戦中にナチス・ドイツにより退廃芸術とされて、ほとんどの作品が破壊されたという。

マリ・バシュキルツェフ

作品『ウクライナ出身の伝説的女流芸術家、マリ・バシュキルツェフの肖像』 : 画家・棚倉 樽のアートギャラリー

【作品一覧】マリー・バシュキルツェフ | ネット美術館「アートまとめん」

 彼女の作品で唯一見覚えがあるのは、パリの貧民街の子どもたちを描いた「出会い」という作品だ。確か大塚国際美術館で陶板複製画を何度か見ている。

「出会い」(マリ・バシュキルツェフ) 1884年

 

 同じ部屋にアンリ・ファンタン=ラトゥールの作品が展示されている。静物画の名手の作品として何度も目にした作品だ。

「花と果物、ワイン容れのある静物」(アンリ・ファンタン=ラトゥール)1865年

 そのお隣にはこの作品が。

「花」(ヴィクトリア・デュプール)

 そしてその左側にはこの作品が。

「花」(ヴィクトリア・デュプール(アンリ・ファンタン=ラトゥール))

 ほとんど同じようなタッチの作品。キャプションだけでは関係性が判らないので、自分で検索してみる。

ヴィクトリア・デュブール - Wikipedia

 アンリ・ファンタン=ラトゥールの奥さんでした。とすると三点目の「花」は夫婦合作ということになるのか。というか、ヴィクトリア・デュプールがラトゥールの奥さんだというのは、西洋絵画の世界では常識なんだろうか。

 自分のような俄かの趣味美術館巡りみたいな人間だと、こういうの戸惑ってしまう。こういう疑問も今はスマホの検索で解決がつくけど、美術館によってはスマホの使用を禁止しているところもある。たしか埼玉県立近代美術館ではスマホで作品について調べていたら、監視員に注意されたこともあった。

 美術館は作品を展示するだけでなく、美術教育の場でもある。なので、最低限の情報はきちんとキャプションと共に掲示して欲しいと思う。ラトゥール、デュプール、二人の合作を並列して展示するのは、まあそういう意味なんでしょという。そうならば展示意図を明示すべきだと思う。

 同じことは本館でもアンゲリカ・カウフマンとマリー=ガブリエル・カペの作品を並列展示してた。あれは18世紀に活躍した女流画家ということなんだろう。

 西洋美術館にしろ近代美術館にしろ、けっこう展示に工夫されていること多いのだが、いかんせんその意図が明示されないことがけっこう多かったりする。意地悪くとれば、高尚な独立行政法人たる美術館は、高見から「君たちこの展示意図わかりますか」みたいな感じでボーンと投げつけているような感じである。もう少し親切に教えて欲しいものだとちょっと思ったりした。

 

 最近は通信教育で西洋美術とかを一から学習してるせいか、西洋建築とか例の列柱とかにどうにも興味がいってしまう。なので廃墟のユベール・ロベールもそのへんばかり気になってしまったり。

 

マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観」
(ユベール・ロベール)

 ↑ これはコリント式ですか。

 

「モンテ・カヴァッロの巨像と聖堂の見える空想のローマ景観」(ユベール・ロベール)

 ↑ これはイオニア式、多分。

 

 鑑賞のポイントはそこじゃないだろうと突っ込まれそうだが、もうこのへんが気になって、気になって。まあ意識するようになると、西洋建築はギリシア・ローマのオーダーが氾濫していて、今までまったく意識がいってなかったことが判るというか、目がいくようになる。こういうのも楽しみの一つだったりして。

 

 前回訪れた時も気になった作品で一応収蔵品らしい。

「聖ドミニクス」(フランシスコ・デ・スルバラン)

 2019年の購入のものだ。購入金額は約6億4千万とか。

国立西洋美術館 美術作品購入一覧(令和元年度)〉>

http://www.artmuseums.go.jp/acquisition/nmwa_r01.pdf

 西洋絵画の値段は高騰してるということなんだろうが、こういう名画の購入にお金が使われることは全然問題ないとは思う。しかし根が下世話な人間なんで、例えばだけど西洋美術館の収蔵品の時価を計算したらどうなんだろうとか、ちょっとおバカな想像をしてしまう。多分、天文学的なものになるんだろうけど。

西洋美術館~自然と人のダイアローグ

 カミさんがリニューアルオープンした西洋美術館に行きたいというので、連れて行く。という訳で先週の東京都美術館に続いて二週連続の上野美術館巡り。

 まずは企画展「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」国立西洋美術館✕フォルクヴァング美術館。

国立西洋美術館リニューアルオープン記念 自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで|国立西洋美術館

 ドイツ・エッセンにあるフォルクヴァング美術館との共同企画により、自然と人との対話から生まれた近代芸術の展開をたどる企画展。出品点数はリトグラフエッチングといった小品を含めて102点、そのうちフォルクヴァング美術館からの出品は37点。

 フォルクヴァング美術館は、美術蒐集家カール・エルネスト・オストハウスの個人美術館として出発、第一次世界大戦後、オストハウスの死後、市民の寄付によってコレクションが買いとられ、エッセン市の市民美術館に統合された。その後ナチス台頭期には退廃芸術として12000点もの作品が没収され消却や海外に流失、戦禍で爆撃にあい閉館されていたが、1960年に再開したという。

フォルクヴァンク美術館 - Wikipedia

 松方幸次郎の個人コレクションから出発した西洋美術館と同様にオストハウスの個人コレクションを元にしたということでの類似から、今回の企画展が決まったようだ。出品作品も粒ぞろいで興味深いが、1年余りのリニューアル・オープンとしては、いささか肩透かしにあったような気もしないでもない。

 自然とのダイアローグという割には、例えばバルビゾン派の作品も少ないし、イギリスの風景画もない。もう少し自然主義系の作品があってもいいのではとか、フォクヴァンク美術館自体が、ドイツ・ロマン主義ドイツ表現主義のコレクションが多いので、「自然をめぐる」という切り口からすると、微妙な印象もないではない。

 ぶっちゃけ1年以上休館したのちということであれば、もっと西洋美術館のコレクションにスポットをあてても良かったのではないかと思ったりもした。もう、どストライクに蔵出し、全部見せます西洋美術館みたいな感じで、二点、三点の縦展示とかして、これでもか、これでもかみたいな展示でも良かったのではと思ったりもした。まあいいか。

 展示102点の7割が西洋美術館のコレクションで、よく知っているものも多いということもあり、今回は図録購入を控えた。図録もゆうに100冊超えてきているので、本棚に余裕がないという事情もあり、展覧会行くたびに図録を買うというのもなかなか保管スペースと懐事情もあるし。売店でペラペラめくったけど、2700円という価格でこれも微妙。

 フォルクヴァング美術館所蔵作品で気になったものを幾つか。

「夕日の前に立つ女性」(カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ) 1818年

 ドイツロマン主義の巨匠フリードリヒである。本企画の目玉的作品なのだと思う。夕日を前に立つ女性の姿を正面に置き、左右対称に広がる壮大な風景を活写している。美しい絵なのだが、思った以上に小ぶりな作品(22cm✕30cm)である。フリードリヒというと氷山とか雪山といった寒々とした風景みたいな印象があるが、この赤味を帯びた絵には宗教的啓示のような趣がある。そういえばこの前の美学のレポートを書いたときに、「崇高」というテーマの中でフリードリヒについて少し触れたことを思い出した。

「ケイテレ湖」(アクセリ・ガッレン=カッレラ) 1906年

 アクセリ・ガッレン=カッレラ、フィンランドの画家らしいが、初めて知る名前、作品である。北欧の叙事詩「カレワラ」を題材にした作品を多数手がけているという。この作品も単に湖を描いた風景画というよりも、どこか「カレワラ」的な何かが包含されているような気もする。一瞬観たときに、どこか日本画的なものを感じた。例えば東山魁夷の絵などにか感じるようなもの。まあ個人の適当な思いつきだけど。

アクセリ・ガッレン=カッレラ - Wikipedia

 

「扇を持つ娘」(ポール・ゴーギャン) 1902年

 正面からモデルを描いていて、椅子の座面は多分こうは見えない。多視点的な構成をとりいれてるんだろうなと思う。娘が腰に巻く布にはゴーギャン的なベタ塗り感よりは色遣いによる立体感もある。いろいろと表現技術を駆使した作品ということでいいだろうか。

「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン・ポール病院裏の麦畑)」
フィンセント・ファン・ゴッホ) 1889年

 多分、上記のゴーギャンとこのゴッホがフリードリヒと共に、この企画展の目玉なのかなと思ったりもした。こういうゴッホの絵を観ていると、モノクロ図版を元にゴッホを模倣した萬鉄五郎らの苦心とかを思ったりもする。黄色の補色は紫とか青っぽいという点で概ねわかる。後景に緑が使われているが補色の赤はないかと良く見ると、遠くの家の屋根に赤が使われていた。色彩を常に意識し、作品表現に苦闘したゴッホならではというところだろうか。

「ブローニュ=シュル・メールの月光」(テオ・ファン・レイセルベルヘ) 1900年

 実は、今回の企画展で一番気に入ったのはこの作品。ベルギーの点描画家レイセルベルヘの美しい作品。当然のごとく点描作品は至近で観れば、ただの点描筆触分割で離れれば離れるほど視覚混合によりその色彩表現を満喫できる。試してみたが、この作品も5メートル以上離れるとより美しさが増すように思えた。

「ポン・デ・ザール橋」(ポール・シニャック) 1912/1913年

「ラーレンの通学路」(マックス・リーバーマン)1898年

 ドイツ印象派の代表的な画家にしてベルリン分離派の創立メンバー。あまりオリジナル作品を目にする機会が少ない画家だが、心に残る作品が多い。リーバーマンは1935年に88歳で死去しているが、ユダヤ系出自のため晩年はかなり厳しい生活を送ったようだ。逆にもう少し年齢が若ければもっと熾烈な状況となっていたかもしれない。

 

 途中、ベンチで休んでいる時に70過ぎくらいの男性が、急に監視員の女性に向かって責任者を出すと言い始めた。なんでも写真を撮るバシバシという音が煩いということらしい。監視員がこの展覧会は原則として撮影禁止マークのないものはすべて撮影が可となっていますと説明すると、男性は自分はいろいろな美術館に行っている。ボストン美術館でも撮影が出来る日を限定している、この美術館はどういう方針なのかと、エスカレートする。

 正直、スマホのパシパシ音も気にし始めると少し煩いかなと思わないでもない。ちなみ自分は無音タイプのカメラアプリ使っているけど。しかし男性の声はそんなシャッター音などよりも遥かに大きい。そのうち監視員の女性に代わって男性担当者が来て話始める。男性はさかんに海外での美術館ではというようなことを大声で話している。そのうち別の老人男性が「あなたの話もわかるが」みたいな感じで加わり、三人で話出す。男性担当者は、ここではなく別の場所でと言っているが、男性はそれに従わず盛んに自説を語る。

 するとそこに別の男性(多分40代くらいか)が、すっと近づいて「あなたの声が一番煩い」と一喝して離れていった。多分、そこにいた多くの観覧者はみんな心の中で拍手喝采したのではないかと思う。自分も同じ思いだった。

 美術館にいるといろいろな客がいる。作品の前でかなり大きな声でぺちゃくちゃお喋りしている女性。だいたい50代~60代の女性に多い。音声ガイドのマークのついた作品の前で長時間立っている人、作品の前にいるのに目は横の作品解説の方にくぎ付けの人などなど。

 自分も二回だけ注意というか文句言ったことがある。一度は美術館関係者が作品の前でプレス(多分)の人と長話をしていた時、もう一つは学芸員が作者らしき人とぺちゃくちゃ話をしていた時。いずれも一言だけ、「それは別のところでやって下さい」とだけ言った。向こうからするとクレーマーかと思われたかもしれないか。

 とはいえ、今回の「シャッター、パシパシ煩い」爺さんはちょっと常軌を逸していたように思う。煩い、鑑賞のジャマだと言いながら、自らは大声で話を続ける。老害といってしまえば、それまでなんだろうし、高齢化社会、こういうことに遭遇するケースは多くなるんだろう。

 まあ、自分は出来るだけそうならないようにと思うだけだ。もちろんクレームした方にもそれなりの理由もあるだろうし、そこに居合わせた人でも自分とは違う見方をした人もいたかもしれない。これはこれで美術館によるある光景の一つということかもしれない

試験が終わった

 4月から始めた通信教育の大学にも一応試験がある。科目はビデオ授業を視聴するタイプとテキストを読み進めてレポートを提出するタイプの二つ。ビデオ授業の方は、3分程度の短いビデオ授業がテキストの一章ごとにだいたい5本くらいあり、視聴が終わるごとに簡単な小テストを受けて次の章に進む。すべてのビデオ(だいたい45本)を視聴したらレポートを提出して単位認定ということになっている。

 ただし授業の期間は通年のものと年4回のうち2回の開講となっているものに分かれている。例えば春季と秋季、夏季と冬季などだ。そうなると視聴期間は2ヶ月となる。今回受講したものだと、ビデオ授業視聴期間が4月、5月で6月初旬の一週間でレポートを提出となる。そうなると一回の視聴は数分でもけっこうタイトな受講スケジュールとなる。例えば西洋美術史1だと、二ヶ月間で古代ギリシア・ローマからルネサンス盛期までを外観しなければならない。

 内容が面白ければ、もう少し余裕をもって受講したくなるところだが、とにかくビデオ見て、テキスト読んでということで駆け足になる。なにか単位取るためにタイトに詰め込むことになる。また自分にとってあまり興味の範囲外であるデザイン論だのはとにかくこなすことだけが目的化されてしまう。

 またテキスト独習してレポート提出するだけの授業はというと、2ヶ月間で200ページくらいのテキストを読み、課題レポートを提出する。そのうえでウェブ上でテストを受ける。テストは事前に論述問題が5~6問発表されていて、そのうちの1問をウェブ上で1時間という時間内で800字~1200字くらい論述するということになる。その論述問題がまたけっこう曖昧なものが多く、回答を用意するのけっこうしんどかったりする。

 入学してからまだ数ヶ月で受講や学習のペースをうまくつかめないまま始めてしまったということもある。正直どう学習したらいいのかも判らないまま無手勝で進めている。学習という意味でいえば、40年のブランクがあるのだからこれはまあ致し方ないかとも思う。

 まあ途中から、単位取得はどうでもいいかと早々に割り切ることにした部分もある。とりあえずせっかく金払って受講しているので、一応レポートは出来るだけ提出して試験も受ける。でも、自分の興味のあるものは再度テキストを読み直したり、ビデオ視聴したりと繰り返してみようかとも思っている。

 3年次編入で最短で2年で卒業を目指すということなのだが、今さら新たに大学卒業の肩書などある意味どうでもいいかとも思っている。一応、遠い遠い昔のことにはなるが、法学士様ではあるのだから。

 年も年なので、新しい情報を取得して受容するのはけっこうシンドクなってきている。それでもまだある種の知的興味というか好奇心があるうち、多分せいぜいあと4~5年のことだと思うが、その間にせいぜい自分の関心ある分野での受講をすすめようと思っている。7月から始まる西洋美術史2は、ルネサンス以降というある意味自分の一番興味のあるところになる。同時に近世、近代の日本美術史も受講しようと思っている。それを思うとちょっと楽しみではある。

 とはいえとりあえずレポートも試験も一段落したという感じだ。7月からの夏季講義が始まるまでは余裕がある。学生の頃、中間試験や期末試験が終わると、なんとなく開放感とかがあった。今はちょっとそういう気分になっている。

スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち

 東京都美術館で開催されている「THE GREATS スコットランド国立美術館 美の巨匠たち」を観てきた。

THE GREATS展 公式サイト

 スコットランド国立美術館が、ルネサンス期から印象派あたりまでの名品を収蔵する美術館であることは、なんとなく知っていた。そしてゴーギャンの「説教のあとの幻影」を持っていることなども。概説書などを見て、この絵がスコットランドにあるというのが、ちょっと意外に思ったりもした。

 今回の企画展は、この美術館の所蔵品約90点を展示した大掛かりなものだ。展示作品はルネサンスから新印象派までを網羅している。東京都美術館にしては奇をてらうことのない、割とオーソドックスな展覧会だ。内容的には、六本木の国立新美術館で開催されたメトロポリタン美術館展と似たような感じがあった。

 スコットランドという性格から、イギリスの風景画、肖像画も多数出展されているが、目玉的にはエル・グレコレンブラント、ベラスケス、レノルズなど。19世紀の印象派系ではモネ、ルノワール、ゴーガンなども。

 

 まずはポスターにも使用されている目玉作品。

「ウォルドグレイブ家の貴婦人たち」(ジョシュア・レノルズ) 1792年

 貴族社会の年子の三姉妹を描いた作品で、ギリシアローマ神話に登場する「三美神」を暗示しているとされる。

三美神 - Wikipedia

 ギリシア神話に登場する三美神で魅力(charm)、美貌(beauty)、創造力(creativity)を司っている。一般的にはヘーシオドスの挙げるカリスのアグライアー、エウプロシュネー、タレイアとされる。パーシテアー、カレー、エウプロシュネーの3柱を三美神とする説もある。

 また、パリスの審判に登場する美しさを競うヘーラー、アテーナーアプロディーテーも指すことがあり、それぞれに権勢、知恵、美貌を象徴する。

 ローマ神話に登場する三美神で、それぞれ愛(amor)、慎み(castitas)、美(pulchritude)を司っている。ギリシア神話の美しさを競う三美神と対応させて、主にユーノー、ミネルウァウェヌスの三美神が有名。

 レノルズ(1723-1792)はロココ期のイギリスを代表する画家。イタリア美術の「荘厳様式(グランドマナー)」を用いた肖像画で有名。イギリスのロイヤル・アカデミーの初代院長を務める。代表作はファンシー・ピクチャーとして有名な「マスター・ヘア」など。

 本作では白いモスリンのドレスの表現、ドレスに劣らぬ美しい白い肌、頬紅の赤、sっして凝った髪型などが特徴的。完璧な構図と完璧なJ表現、同じ服装、同じ髪型ながら、姉妹の性格的な部分も描き分けられているように思う。

「化粧するヴェネツィアの女性たち」(パリス・ヴォルドーネ) 1571年

 図録によれば、二人の若い女性は娼婦、左の年かさの女性は娼館の女中もしくは女将であるという。古代ギリシア・ローマの理想美とは異なる肉感的な女性像。ヴォルドネはティツィアーノのもとで訓練を受けたと図録にあるが、この肉感的な表現はまさにティツィアーノ風。特に女性のたくましい二の腕にそれを感じる。

 ラファエル前派のロセッティたちがが手本としたのは、こうした作品なのではないかと思ったりもする。

 

「ベッドの中の女性」(レンブラント・ファン・レイン) 1647年

 聖書の中の物語、結婚初夜、新郎トピアが悪魔を追い払うのを見守る新婦サラを描いている。サラは以前の夫7人が新婚初夜に悪魔に殺されている。モデルとなった女性は、妻のサスキア、息子の乳母ヘールチェ・ディルクス、使用人ヘンドリッキエ・ストッフェルスの三人が候補とされている。

 傑作だと思う。レンブラントの作品の中でも五指に入るのではと思う。人物、背景を含めた陰影表現、寝具やカテーンの色合いなどすべてが美しい。

 

「古来比類なき甘美な瞳」(ジョン・エヴァレット・ミレイ) 1881年

トンブリッジ、ソマーヒル」(ジョゼフ・マロード・ターナー) 1811年 

 

「アン・エミリー・ソフィア・グラント、ウィリアム・マーカム婦人」
フランシス・グラント 1857年

 素敵な絵なのだが、極端な小顔。八頭身半くらいあるこの女性は明らかに人体比率的にいうと、パースがおかしいかもしれない。美しく誇張するのは画家の常かもしれないけど。

 

「三人のタヒチ人」(ゴーギャン) 1899年

 これも傑作。今回の出品作の中でも五指いや三指に入る名品だと思う。前述したようにスコットランド国立美術館のゴーガン作は「説教のあとの幻影」が有名だが、この作品もそれに劣らぬゴーガンの代表作だと思う。

「エプト川沿いのポプラ並木」 (クロード・モネ) 1891年