西洋美術館~自然と人のダイアローグ

 カミさんがリニューアルオープンした西洋美術館に行きたいというので、連れて行く。という訳で先週の東京都美術館に続いて二週連続の上野美術館巡り。

 まずは企画展「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」国立西洋美術館✕フォルクヴァング美術館。

国立西洋美術館リニューアルオープン記念 自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで|国立西洋美術館

 ドイツ・エッセンにあるフォルクヴァング美術館との共同企画により、自然と人との対話から生まれた近代芸術の展開をたどる企画展。出品点数はリトグラフエッチングといった小品を含めて102点、そのうちフォルクヴァング美術館からの出品は37点。

 フォルクヴァング美術館は、美術蒐集家カール・エルネスト・オストハウスの個人美術館として出発、第一次世界大戦後、オストハウスの死後、市民の寄付によってコレクションが買いとられ、エッセン市の市民美術館に統合された。その後ナチス台頭期には退廃芸術として12000点もの作品が没収され消却や海外に流失、戦禍で爆撃にあい閉館されていたが、1960年に再開したという。

フォルクヴァンク美術館 - Wikipedia

 松方幸次郎の個人コレクションから出発した西洋美術館と同様にオストハウスの個人コレクションを元にしたということでの類似から、今回の企画展が決まったようだ。出品作品も粒ぞろいで興味深いが、1年余りのリニューアル・オープンとしては、いささか肩透かしにあったような気もしないでもない。

 自然とのダイアローグという割には、例えばバルビゾン派の作品も少ないし、イギリスの風景画もない。もう少し自然主義系の作品があってもいいのではとか、フォクヴァンク美術館自体が、ドイツ・ロマン主義ドイツ表現主義のコレクションが多いので、「自然をめぐる」という切り口からすると、微妙な印象もないではない。

 ぶっちゃけ1年以上休館したのちということであれば、もっと西洋美術館のコレクションにスポットをあてても良かったのではないかと思ったりもした。もう、どストライクに蔵出し、全部見せます西洋美術館みたいな感じで、二点、三点の縦展示とかして、これでもか、これでもかみたいな展示でも良かったのではと思ったりもした。まあいいか。

 展示102点の7割が西洋美術館のコレクションで、よく知っているものも多いということもあり、今回は図録購入を控えた。図録もゆうに100冊超えてきているので、本棚に余裕がないという事情もあり、展覧会行くたびに図録を買うというのもなかなか保管スペースと懐事情もあるし。売店でペラペラめくったけど、2700円という価格でこれも微妙。

 フォルクヴァング美術館所蔵作品で気になったものを幾つか。

「夕日の前に立つ女性」(カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ) 1818年

 ドイツロマン主義の巨匠フリードリヒである。本企画の目玉的作品なのだと思う。夕日を前に立つ女性の姿を正面に置き、左右対称に広がる壮大な風景を活写している。美しい絵なのだが、思った以上に小ぶりな作品(22cm✕30cm)である。フリードリヒというと氷山とか雪山といった寒々とした風景みたいな印象があるが、この赤味を帯びた絵には宗教的啓示のような趣がある。そういえばこの前の美学のレポートを書いたときに、「崇高」というテーマの中でフリードリヒについて少し触れたことを思い出した。

「ケイテレ湖」(アクセリ・ガッレン=カッレラ) 1906年

 アクセリ・ガッレン=カッレラ、フィンランドの画家らしいが、初めて知る名前、作品である。北欧の叙事詩「カレワラ」を題材にした作品を多数手がけているという。この作品も単に湖を描いた風景画というよりも、どこか「カレワラ」的な何かが包含されているような気もする。一瞬観たときに、どこか日本画的なものを感じた。例えば東山魁夷の絵などにか感じるようなもの。まあ個人の適当な思いつきだけど。

アクセリ・ガッレン=カッレラ - Wikipedia

 

「扇を持つ娘」(ポール・ゴーギャン) 1902年

 正面からモデルを描いていて、椅子の座面は多分こうは見えない。多視点的な構成をとりいれてるんだろうなと思う。娘が腰に巻く布にはゴーギャン的なベタ塗り感よりは色遣いによる立体感もある。いろいろと表現技術を駆使した作品ということでいいだろうか。

「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン・ポール病院裏の麦畑)」
フィンセント・ファン・ゴッホ) 1889年

 多分、上記のゴーギャンとこのゴッホがフリードリヒと共に、この企画展の目玉なのかなと思ったりもした。こういうゴッホの絵を観ていると、モノクロ図版を元にゴッホを模倣した萬鉄五郎らの苦心とかを思ったりもする。黄色の補色は紫とか青っぽいという点で概ねわかる。後景に緑が使われているが補色の赤はないかと良く見ると、遠くの家の屋根に赤が使われていた。色彩を常に意識し、作品表現に苦闘したゴッホならではというところだろうか。

「ブローニュ=シュル・メールの月光」(テオ・ファン・レイセルベルヘ) 1900年

 実は、今回の企画展で一番気に入ったのはこの作品。ベルギーの点描画家レイセルベルヘの美しい作品。当然のごとく点描作品は至近で観れば、ただの点描筆触分割で離れれば離れるほど視覚混合によりその色彩表現を満喫できる。試してみたが、この作品も5メートル以上離れるとより美しさが増すように思えた。

「ポン・デ・ザール橋」(ポール・シニャック) 1912/1913年

「ラーレンの通学路」(マックス・リーバーマン)1898年

 ドイツ印象派の代表的な画家にしてベルリン分離派の創立メンバー。あまりオリジナル作品を目にする機会が少ない画家だが、心に残る作品が多い。リーバーマンは1935年に88歳で死去しているが、ユダヤ系出自のため晩年はかなり厳しい生活を送ったようだ。逆にもう少し年齢が若ければもっと熾烈な状況となっていたかもしれない。

 

 途中、ベンチで休んでいる時に70過ぎくらいの男性が、急に監視員の女性に向かって責任者を出すと言い始めた。なんでも写真を撮るバシバシという音が煩いということらしい。監視員がこの展覧会は原則として撮影禁止マークのないものはすべて撮影が可となっていますと説明すると、男性は自分はいろいろな美術館に行っている。ボストン美術館でも撮影が出来る日を限定している、この美術館はどういう方針なのかと、エスカレートする。

 正直、スマホのパシパシ音も気にし始めると少し煩いかなと思わないでもない。ちなみ自分は無音タイプのカメラアプリ使っているけど。しかし男性の声はそんなシャッター音などよりも遥かに大きい。そのうち監視員の女性に代わって男性担当者が来て話始める。男性はさかんに海外での美術館ではというようなことを大声で話している。そのうち別の老人男性が「あなたの話もわかるが」みたいな感じで加わり、三人で話出す。男性担当者は、ここではなく別の場所でと言っているが、男性はそれに従わず盛んに自説を語る。

 するとそこに別の男性(多分40代くらいか)が、すっと近づいて「あなたの声が一番煩い」と一喝して離れていった。多分、そこにいた多くの観覧者はみんな心の中で拍手喝采したのではないかと思う。自分も同じ思いだった。

 美術館にいるといろいろな客がいる。作品の前でかなり大きな声でぺちゃくちゃお喋りしている女性。だいたい50代~60代の女性に多い。音声ガイドのマークのついた作品の前で長時間立っている人、作品の前にいるのに目は横の作品解説の方にくぎ付けの人などなど。

 自分も二回だけ注意というか文句言ったことがある。一度は美術館関係者が作品の前でプレス(多分)の人と長話をしていた時、もう一つは学芸員が作者らしき人とぺちゃくちゃ話をしていた時。いずれも一言だけ、「それは別のところでやって下さい」とだけ言った。向こうからするとクレーマーかと思われたかもしれないか。

 とはいえ、今回の「シャッター、パシパシ煩い」爺さんはちょっと常軌を逸していたように思う。煩い、鑑賞のジャマだと言いながら、自らは大声で話を続ける。老害といってしまえば、それまでなんだろうし、高齢化社会、こういうことに遭遇するケースは多くなるんだろう。

 まあ、自分は出来るだけそうならないようにと思うだけだ。もちろんクレームした方にもそれなりの理由もあるだろうし、そこに居合わせた人でも自分とは違う見方をした人もいたかもしれない。これはこれで美術館によるある光景の一つということかもしれない