府中市美術館「ただいま やさしき明治」

 5月21日から始まったばかりの府中市微絨t館「ただいま やさしき明治」展に行って来た。

孤高の高野光正コレクションが語る ただいま やさしき明治 東京都府中市ホームページ

 この企画展は昨年9月に京都国立近代美術館で開催された「発見された日本の風景」展の連携展である。

発見された日本の風景 美しかりし明治への旅|京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

 明治の初期、来日した外国人の画家や写真家によって描かれた江戸から明治へと移行する時期の日本各地の風景や庶民の暮らし。さらにそうした外国人に倣った初期の日本の洋画家たちによって同じ明治の風景。それらは主に来日した外国人の土産用として描かれたものだった。

 それらの絵は来日外国人たちの帰国とともに持ち帰られ、日本国内にはほとんど残っていなかったという。海外に散逸したそうした作品を一人のコレクターによって蒐集され、欧米から里帰りすることになった。それが高野光正コレクションとして発表され、京都国立近代美術館での「発見された日本の風景 美しかりし明治の度」へと繋がった。

 京都で行われたこの企画展は単館だけのものだったが、今回府中市美術館ではこの高野光正コレクションに自館で所蔵している作品19点を加えて連携展として行われることになった。

 江戸から明治へと移り変わる風景、風俗、ほんの100数十年前の日本の姿は、一部の写真や様式化された浮世絵版画などによって見ることができるだけだ。今回の企画展で展示される作品によって、よりリアルな写実的描写、それも着色された水彩画や油彩によって忍ぶことができる。前期、後期を含め展示される作品点数は300点余りという大規模な企画展で、何度か足を運ぶ価値あるものだ、

海外でみつけた一枚の絵には、百年前の古き良き日本が描かれていた。

誰に聞いても知らなかった明治期に憧れの日本に来日した画家たちの生を。

彼らが日本に憧れ、日本を描きとった絵のあることを。

何を見てもわからなかった。

日本人画家が日本をどう世界に示したのかを。

今は失われた穏やかな日本はどう美しかったのかを。

写真だけではわからない。

歴史資料では伝わらない。

絵だけが教えるほんとう明治。

「海外に眠る日本を描いた作品を一点でも多く里帰りさせたい。」

コレクターの願いと情熱と努力は、もうひとつの明治を地球の反対側から引き寄せた。

おかえり、ほんとうの明治。

ただいま、穏やかなるやさしさとほほえみたち。

「ただいま やさしき明治」チラシより

 今回展示される作品は府中市美術館所蔵の19点を除くすべてが高野光正氏のコレクションによる。氏は1939年生まれの名古屋市の実業家。同志社大学卒業後に留学のため渡米、その際にニューヨークの画廊を巡るようになる。後年、再度の渡米の機会にクリスティーズ鹿子木孟郎の「上野不忍池」を落札。以来、明治期に欧米に流出した明治期の風景画、風俗画を蒐集。その数は700点にのぼるとされる。

 去年の京都国立近代美術館での企画展は、対面にある京都市京セラ美術館で開かれていた上村松園の大規模な回顧展の後に行ったのだが、入館したのは4時少し前で滞在時間は正味1時間。そのなかで常設展とこの企画展を観たので、ほとんど駆け足のものだった。そのときに出来ればもう一度この古き良き明治の絵を観たいと思ってたので、この企画展の開催予定のポスターを見たときには、心躍るような気分だった。そういう意味では待ちに待った企画展でもある。

 また京都で観て興味を覚えた画家、笠木次郎吉の作品を再び観ることができるのも楽しみなことだった。

「牡蠣を採る少女」(笠木次郎吉) 水彩・紙

「農家の少女たち」(笠木次郎吉) 水彩・紙

「提灯屋の店先」(笠木次郎吉) 水彩・紙

 油彩のような濃密な色遣いだが水彩画である。情緒性と写実性が見事に活写されている。いくぶんか観光絵葉書によくあるような写真に彩色したような雰囲気もある。多分、こういう絵が来日した外国人に好まれたのだろうか。

 これらの絵の女性は明らかに同一の女性モデルのようにも思える。おそらく笠木は屋外で写生したスケッチを元にアトリエ(?)でこうした作品を描いたのではないかと思う。当時、専門のモデルなどはいなかったので、このやや洋風な趣のある女性は笠木の家族、おそらく妻ではないかと想像している。

 こうした田園風景を現地に取材したうえでアトリエで再構成して描くのは、フランス自然主義の画家ジュール・ブルトンがとっていた方法だったと記憶しているが、田舎や海外のエキゾチックな風物を描く場合にはよく使われていたやり方なのだと思う。

 前にも少し触れたことがあるが、笠木次郎吉のお孫さんが横須賀で画廊をされている。そのHPには「WHO IS J.KASAGI」というサイトが設けられていて、笠木次郎吉のことが紹介されている。笠木画廊では笠木次郎吉の作品や情報を集めているようで、新たな発見や、海外でコレクションされている作品のことなども触れられている。

笠木治郎吉 明治時代の伝説的画家 - かさぎ画廊 Gallery Kasagi

 また笠木次郎吉の伝記が今年になって上梓されているという。

 著者細井聖氏の笠木次郎吉の縁戚関係にあるという。かまくら春秋社は鎌倉でミニコミ誌や地元に密着した出版を行っているところだ。笠木画廊が横須賀と鎌倉にギャラリーを開いているということで出版となったのかもしれない。ちょっと興味あるので、そのうちポチるかもしれない。

 

 その他、笠木次郎吉以外で興味ある作品をいくつか。

「上野不忍池」(鹿子木孟郎) 水彩・紙

これが高野光正氏が最初に落札・購入した作品。

「洛東の陶器販売所」(満谷国四郎) 水彩・紙

「田植え」(河久保正名) 水彩・紙

鎌倉大仏」(エーリヒ・キブス) 油彩・画布

「豊穣への道」(本多錦吉郎) 油彩・画布

 ちょっとミレーのような趣がある田園風景だ。

「墨田川の花見」(渡辺豊洲) 水彩・紙

 鏑木清方のエッセイなどでよく出てくる墨田の桜。実際にはこういう風景だったのか。多くの人々で賑わう様が遠景で描かれている。

「用賀村」(丸山晩霞) 水彩・紙 

 用賀は世田谷区の用賀、東名の入り口のあるあの用賀である。あの一帯が明治初期はこんなのどかな風景だったとは。

「見物する人々」(チャールズ・ワーグマン) 水彩・紙

江ノ島」(ロバート・チャールズ・ゴフ) 水彩・紙

お茶の水・神保町周遊

 歯医者の治療が早くに終わったので、お茶の水周辺をぶらぶらすることにする。

 いつもだと、湯島方面に行くか、水道橋から小石川方面に流れるのだが、なんとなく神保町方面に下ることにする。まずは目についてのはニコライ聖堂。

東京復活大聖堂(ニコライ堂) | 日本ハリストス正教会教団 東京復活大聖堂公式サイト

ニコライ堂 - Wikipedia

 通称ニコライ堂、正式には東京復活大聖堂、日本におけるギリシア正教会(東方正教会)の総本山。ギリシア正教をついロシア正教といいがちになるけど、あくまでギリシア正教のロシア地区の支部みたいな存在がロシア正教だということで異なるものと理解しないといけないみたい。

 お茶の水の名所ともいうべき存在だが、昔に比べると周囲に高層ビルが林立しているので、ビルに囲まれた教会みたいな印象がある。昔は、高台にこの寺院だけがあるようだったのでランドマーク的な部分もあったのだと思う。

 自分の感覚としてはいつもの見慣れた風景の一つという感じであるが、改めて見てみるとと、なかなか荘厳な建物だ。ウィキペディアの記述によればビザンチン様式の教会だという。今は多分コロナの関係だと思うが拝観は中止されているので確認できないけど、多分内部は集中方式なのではと想像する。いずれ機会があれば内部も見てみたいものだと思う。

 ニコライ堂を右手に見て本郷通りを下る。昔、この坂を自転車の後ろに配達カゴを載せて登ったものだというようなことを、日販の社員だった方が話していたような記憶がある。多分、昭和30年代のことだと思う。

 駿河台の交差点をさらに下り小川町交差点の手前あたりで右に入って駿河台下方面の方に向かう。ごちゃごちゃとしたあたりを歩いていくとなんとも懐かしい通りが現れてくる。住所的には小川町近辺ということになるのか。ぐるりと回ってみると右手に八木書店や小川町郵便局があり左手に白水社がある。その前の細い路地を入ると、かっての鈴木書店の社屋がそのまま残っていてびっくりした

 鈴木書店は人文社会科学系の専門取次店で、大書店や大学生協と取引していた。岩波や有斐閣東大出版会などの堅い専門書を中心に取り扱い、迅速で丁寧な配送を売りにしていたと記憶している。

 専門書系の出版社は仕入れ正味も高く、それでいて大書店や生協には統一正味で取引していたので、逆ザヤとまでいかないにしても、かなり利幅が低く、さらに迅速な出荷のために人手をかけるため、売上や利益の割には従業員も多く、長年赤字経営が続いていた。確か2001年に破綻したはずだ。

 この狭い路地に面した社屋には、1階に販売部の一部、2階には仕入部、3階に経理部があった。取引出版社は、仕入部には新刊見本を持ち寄ったり、経理部には代金の集金で訪れていた。

 まだ建物が残っているとはちょっとした驚きだが、多分面している道路が狭いので再建築にはいろいろと諸問題があるのかもしれない。鈴木書店の破綻後は、どこかの出版社が使っていたはずなのだが、見た限りは空き家のようだった。

 その裏側には鈴木書店の店売があったが、そちらは立て直してマンションができている。その前は公園になっているが、ここはたしか小川小学校があったはずだ。ネットで調べるとこんな航空写真があった。

小川小学校 /歴史写真館【大好き神田】

 1970年頃の航空写真らしいが、そこには小学校の右側に鈴木書店の社屋が映っている。

 そして明大通り靖国通りが交差する駿河台下に出る。

 神保町の顔ともいうべき三省堂神保町本店は、建て替えのために5月9日に閉店した。開店したのは1981年のこと。自分は1980年に大学を卒業して書店に勤め始めたばかりだったか。1978年に八重洲ブックセンター開店、1979年にはワンフロアとしては最大規模の紀伊國屋梅田店が開店している。当時、職場の同僚とこれからはブロックバスターのメガストアの時代になるのだろうか、などと話した記憶がある。

 あれから40年、出版業界は壊滅的な状況にある。2016年に書籍売上が雑誌売上を上回った。それまで売上の大きい雑誌の利幅で儲からない書籍を支えてきたビジネスモデルが崩れた。雑誌売上の大幅ダウンはインターネットの普及による必然だ。スマホタブレットで簡単に情報が入手できる時代に紙の情報など不要になるということだ。それから1~2年の後にはコミック市場においても、電子書籍が紙の売上を上回るようになった。

 それでもここ数年、小学館集英社講談社など大手出版社は売上、利益ともに過去最大を更新し続けている。しかし売上の中身はというと、もはや紙の商品の売り上げというよりは、彼らがもっているコンテンツを様々な形で付加価値をつけて販売するというものだ。「ドラえもん」のコミックなどもう売れるものではない。でもアニメはテレビや映画として放映される。様々な「ドラえもん」のキャラクター商品が発売されている。ディズニーと同様にアニメ・キャラクターは多くの付加価値を持っている。

 もちろんアニメ以外にも様々コンテンツ販売やコラボ商売が成立している。グッズやブランドバッグがついた添え物的に紙の雑誌のついたムックの類が、大書店やコンビニで多数販売されている。ああいったものも含めて。

 この雑記でももう何度も書いてきたと思うが、24歳で本の業界に入った自分は、その業界がほぼ壊滅的な状況に陥るのを目の当りにしながら、自分のキャリアも終えた。それを思うと、駿河台交差点からみる三省堂本店の姿はきわめて感傷的だ。

 新たな開店は2025年の予定だという。さらに大きなメガショップとして我々の前に現れるのだろうか。あの一等地に再開発されるビルである。普通に考えればほとんどのフロアをレンタルし、書店は2フロア程度になる可能性もある。これから3年の間にさらに深刻な危機が出版業界を覆うかもしれない。

 本の街神保町は、一時期は本よりもスキー用品で集客する時期もあった。バブル前後のことだ。それも過ぎ去り、本の街、学生の街、普通のビジネス街、そのへんが混在としたまま数十年が経過している。古い小さなビルや商店もまだ多いが、それも相当に老朽化してきつつある。今回の三省堂のような立て直しも続くだろう。お茶の水、神保町周辺は再開発され普通の東京のビジネス街となっていくのかもしれない。

歯の治療について

 昨日の午後、歯医者の予約がありお茶の水へ。

 前歯の差し歯のところが時々うずく。レントゲン撮ると根の部分に少し病巣があるという。治療のためには被せもの(差し歯)をとり、さらに支柱部分も抜いて根の治療をやるという大掛かりなもの。支柱がかなり深く入っているので、無理にとると歯が割れてしまう可能性があり抜歯することになるのだとか。頭の中で「インプラント、30万」というフレーズが走馬灯のごとくリフレインしていく。おまけに被せものの接合部分に虫歯もできているという。

 医者の見解としては、今すぐ大掛かりに治療を行うか、しばらく様子見するかということらしい。歯のうずきは耐え難いというほどでもない。しばし考えて、もう少し様子見ましょうということになった。

 上の前歯には三本差し歯がある。いずれも20年以上前に治療したものだ。それを思うと、今回の一本だけでなくいずれは残りの二本もダメになる可能性が高い。奥歯はたしか4年くらい前に1年かけて集中的に治療した。根の治療、セラミックの土台の上に被せたりで、たしか50万くらいかかったか。

 加齢もあるし、いずれはもっと大掛かりな治療も必要になるのだろう。頭が痛いけど、基本的には先送り。強烈な痛みで耐え難いとか、差し歯が抜けたりということになれば待ったなしだろうけど、そうでないならしばらく様子見ってなってしまう。

 「人生先送り」、「先送りの人生」

 今、ふと頭に浮かんだけど、まんま自分の人生そのものみたいな感じがする。

 とりあえず今のところ、その他に虫歯はないので、次に歯医者に行くのは半年くらい先。進行してなければさらに先送りにするかどうか。明日のことだって朦朧としているくらいなので、半年も先のことは考えられない。そういうものだ。

ソニー・スティット

Eight Classic.. -Digi-

Eight Classic.. -Digi-

Amazon

 アマゾンでジャズのCDボックス廉価版を見ていたら、CD4枚でアルバム8枚分686円と笑えるような値段で出ていたのでおもわずポチった。ソニー・スティットはパーカー直系ということで、昔からたまに聴いているし2~3枚はレコードも持っていたとは思う。しかし8枚で686円とは。

 収録アルバムは以下のとおり。

A Little Bit of Stitt

  1. "When the Red, Red Robin (Comes Bob, Bob, Bobbin' Along)" (Harry M. Woods) - 2:48
  2. "For All We Know" (Sam M. Lewis, J. Fred Coots) - 3:06
  3. "I'm Confessin' (That I Love You)" (Doc Daugherty, Ellis Reynolds, Al J. Neiburg) - 3:19
  4. "Cocktails for Two" (Arthur Johnston, Sam Coslow) - 3:38
  5. "Star Eyes" (Gene de Paul, Don Raye) - 3:39
  6. "On a Slow Boat to China" (Frank Loesser) - 3:21
  7. "Laura" (David Raksin, Johnny Mercer) - 3:18
  8. "J. B. Blues" - 3:56
  9. "Don't Take Your Love from Me" (Henry Nemo) - 2:55
  10. "After The Late, Late Show" - 3:56

Personnel
Sonny Stitt - alto saxophone, tenor saxophone (tracks 3,6,8)
Jimmy Jones - piano
Aaron Bell - bass
Charlie Persip - drums

Released    1958・Recorded    1958・Chicago, Illinois

 

THE SONNY SIDE OF STITT

  1. "Skylark" (Hoagy Carmichael, Johnny Mercer) - 2:50
  2. "Don't Worry 'bout Me" (Rube Bloom, Ted Koehler) - 2:55
  3. "I'll Remember April" (Gene de Paul, Patricia Johnston, Don Raye) - 3:46
  4. "Day by Day" (Axel Stordahl, Paul Weston, Sammy Cahn) - 3:34
  5. "Red Top" (Lionel Hampton) - 3:55
  6. "Moonray" (Artie Shaw, Paul Madison, Arthur Quinser) - 3:01
  7. "Old Fashioned Blues" - 4:47
  8. "I Never Knew" (Earl Carroll) - 4:31
  9. "Hitsburg" - 4:27

Personnel
Sonny Stitt - alto saxophone, tenor saxophone 5,8,9
Jimmy Jones - piano
Aaron Bell - bass
Roy Haynes - drums

Released    1960・Recorded    September 21, 1959・New York City

 

Stittsville

  1. "Angel Eyes" (Matt Dennis, Earl Brent) - 3:13
  2. "It All Depends on You" (Ray Henderson, Buddy DeSylva, Lew Brown) - 2:50
  3. "Stormy Thursday" - 3:22
  4. "Embraceable You" (George Gershwin, Ira Gershwin) - 2:35
  5. "It Could Happen to You" (Johnny Burke, Jimmy Van Heusen) - 3:23
  6. "But Not For Me (Gershwin, Gershwin) - 3:07
  7. "Memories of You" (Eubie Blake, Andy Razaf) - 5:09
  8. "I Cried for You" (Gus Arnheim, Arthur Freed, Abe Lyman) 3:15
  9. "Bright as Snow" - 2:44
  10. "Spinning" - 2:26

Personnel
Sonny Stitt - alto saxophone 1,4,10, tenor saxophone all others
Jimmy Jones - piano
Unknown musician - bass
Roy Haynes - drums

Released    1960・Recorded    June 1960・New York City

 

Sonny Side Up (Roost album)

  1. "Sonny Side Up" - 2:36
  2. "On Green Dolphin Street" (Bronisław Kaper, Ned Washington) - 3:56
  3. "The More I See You" (Harry Warren, Mack Gordon) - 3:43
  4. "Don't Take Your Love from Me" (Henry Nemo) - 4:47
  5. "My Blue Heaven" (Walter Donaldson, George A. Whiting) - 2:43
  6. "My Mother's Eyes" (Abel Baer, L. Wolfe Gilbert) - 3:51
  7. "When I Grow Too Old to Dream" (Oscar Hammerstein II, Sigmund Romberg) - 3:05
  8. "Bye Bye Blues" (Fred Hamm, Dave Bennett, Bert Lown, Chauncey Gray) - 5:04
  9. "I've Got the World on a String" (Harold Arlen, Ted Koehler) - 5:14

Personnel
Sonny Stitt - alto saxophone, tenor saxophone
Jimmy Jones - piano
Aaron Bell - bass
Roy Haynes - drums

Released    1961・Recorded    August 8, 1960・Bell Sound, New York City

 

Boss Tenors

  1. "There Is No Greater Love" (Isham Jones, Marty Symes) - 6:30
  2. "The One Before This" (Gene Ammons) - 7:09
  3. "Autumn Leaves" (Joseph Kosma, Johnny Mercer, Jacques Prévert) - 6:32
  4. "Blues Up and Down" (Gene Ammons, Sonny Stitt) - 8:47
  5. "Counter Clockwise" (Sonny Stitt) - 9:38

Personnel
Gene Ammons - tenor saxophone
Sonny Stitt - tenor saxophone (tracks 2-5), alto saxophone (track 1)
John Houston - piano
Buster Williams - bass
George Brown - drums

Producer    Creed Taylor

Released    1961・Recorded    August 27, 1961・Chicago, Illinois

 

Stitt Meets Brother Jack

  1. "All of Me" (Gerald Marks, Seymour Simons) – 4:50
  2. "Pam Ain't Blue" – 4:33
  3. "Time After Time" (Sammy Cahn, Jule Styne) – 4:38
  4. "Ringin' In" – 5:19
  5. "'Nother Fu'ther" – 6:24
  6. "When Sonny Gets Blue" (Jack McDuff, Sonny Stitt) – 6:42
  7. "Thirty-Three, Ninety Six" – 6:02

Personnel
Sonny Stitt – tenor saxophone
Jack McDuff – organ
Eddie Diehl – guitar
Art Taylor – drums
Ray Barretto – congas

Released    1962・Recorded    February 16, 1962

Studio    Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey

 

Boss Tenors in Orbit!

  1. "Long Ago (and Far Away)" (Ira Gershwin, Jerome Kern) - 6:17
  2. "Walkin'" (Jimmy Mundy) - 5:21
  3. "Why Was I Born?" (Oscar Hammerstein II, Kern) - 8:20
  4. "John Brown's Body" (Traditional) - 7:22
  5. "Bye Bye Blackbird" (Mort Dixon, Ray Henderson) - 9:58

Personnel
Sonny Stitt - tenor saxophone
Gene Ammons - tenor saxophone
Don Patterson - organ
Paul Weeden - guitar
Billy James - drums

Released    1962・Recorded    February 18, 1962

 

Feelin's

  1. "O Sole Mio" (Giovanni Capurro, Eduardo di Capua) - 3:42
  2. "Feelin's" - 3:53
  3. "Nightmare" - 2:15
  4. "S'posin'" (Paul Denniker, Andy Razaf) - 6:17
  5. "Look Up" - 3:09
  6. "Goodnight, Ladies" (Edwin Pearce Christy) - 3:49
  7. "If I Should Lose You" (Ralph Rainger, Leo Robin) - 5:17
  8. "Hollerin' the Blues" - 4:47
  9. "Stretch Pants" - 5:07

Personnel
Sonny Stitt - alto saxophone, tenor saxophone
Don Patterson - organ
Paul Weeden - guitar
Billy James - drums

Released    1962・Recorded    February–April 1962・New York City

 

杁ヶ池公園と長久手 (5月14日)

 名都美術館を閉館の5時ちょうどに出る。5月となると5時台だとまだ明るい。ナビを見ると近くに比較的大きな公園があるのでちょっと行ってみることにした。って、これが地元埼玉ならともかく、これから3時間以上のロングドライブするというのに、なにを自殺行為みたいなことしているのか。とはいえお散歩好きな妻は大喜びである。

 そして駐車場を見つけ入ってみた公園がここ。杁ヶ池公園・・・・・・、読めない。

 調べると「杁ヶ池」で「いりがいけ」と読むようだ。これって地名を電話とかで説明すると「木へんに入るで入り、小さいカタカナのケに池でイリガイケです」とでもいうのだろうか。

杁ヶ池公園 - Wikipedia

杁ヶ池公園|手軽に水遊びができる水遊び場が人気の公園 - 愛知まるっとパークガイド

 市街地に大きな池のある公園である。一周すると中々気分が良い。5月、若葉が頃ということである意味一番良い季節ということだ。池の周りの小径は多少アップダウンはあるが、車椅子を押していてもさほど苦にもならない。池の途中に橋があり、そこを渡るためには多少の階段を降りる必要はある。

 橋にはもう子どもの日は遠に終わったというのに鯉のぼりが上がっている。そして橋の途中ではアジア系の若いお嬢さんたちがスマホの音楽(アジア系ポップスみたいなの)流しながら、踊ったり笑ったりしている。なんとなくシカゴの「サタデー・イン・ザ・パーク」を思い出すような景色だ。

 それにしても長久手というと思い浮かぶのは小牧・長久手の戦いくらいである。小牧はというと、大昔、トーハンの物流センター、中部ロジスティックセンターなるものがあり、名古屋に出張すると必ず寄るようににしていた。たしかあそこは名鉄犬山線岩倉駅まで行き、そこからタクシー使っていったような記憶がある。

 地図で確認すると小牧市長久手市はけっこう離れていて、間に春日井市名古屋市尾張旭市がはさまれている。小牧・長久手というが春日井や尾張旭はどうなってるねんとちょっと突っ込みたくなるような。

 最初、小牧と長久手はほとんど同じような場所という風に思っていたので、自分の知っている30年くらい前の小牧の風景と長久手の風景がまったく結びつかなかったのだが、まあこれだけ離れていてはと納得した。といっても多分、小牧の方も相当に変わっているのだろうとは思う。なんといっても30年という月日の流れは、特に都市部ではもの凄い変貌きたしているはずだから。

 改めて愛知県の地図を見てみると、豊田市岡崎市新城市の三市はかなり広いということがわかる。関東というか埼玉の辺境に住んでいる側からすると、愛知は関西や伊勢志摩とかに観光するときに通過するところでしかないという印象だ。

 これまででも愛知県内で観光したというと、ここ10年かそこらだと名古屋城熱田神宮に一度ずつ行ったことがある。2016年には名古屋ボストン美術館ルノワールの企画展に行ったことがある。この美術館は慢性的な赤字が続いていたため2018年に閉館となってしまったのだが。あと思いつくのはたしか2014年だったか、犬山近辺に宿をとって明治村に行ったこともあった。そうやって思い出してみると、まあそれなりには観光しているみたいだ。

 愛知や岐阜は史跡も多いし、元気なうちに行ってみたいところはけっこうあると思う。知らない場所、知らない町、通り過ぎるだけでも車で走らせるのが好きだ。今は日本全国どこへ行っても同じようなロードサイドの店、ファミレスだのユニクロだの、ニトリだのと同じ顔した店が並んでいる。それでも知らない場所、名前を耳にした町などを通るのが好きだ。

 もう若くないことは十分理解しているし、何度も繰り返しているが、今みたいに車運転してあちこち出向けるのも、せいぜい後4~5年というところだろう。それでも知らない場所を車で走らせるのは楽しい。

 愛知県の長久手市に木へんに入ると書いて杁るの杁ヶ池公園。そんな初めて知る場所を散歩できたのは嬉しいことだった。

名都美術館へ行く~「上村松園と伊藤小坡」 (5月14日)

 伊勢神宮とおはらい横丁での観光を済ませて一気に三重から愛知縦断して長久手まで走る。目当て一度行ってみたかった名都美術館である。

名都美術館

名都美術館 - Wikipedia

 この美術館の存在は去年、高崎市タワー美術館で名都美術館の名品コレクション展を観た時に知った。なかなか充実したコレクションだったので、後期展示だけを二回観に行っている。それからもあちこちの日本画の企画展で名都美術館所蔵品が貸し出されていたので、一度行ってみたいと思っていた。

 さらにいえば前日に行った伊勢の伊藤小坡美術館でも今やっている企画展のチラシをもらっていたので帰りに行けるものならと思った。途中、安濃SAで食事をとったので、長久手市内に入ったのは3時を少し回ったあたり。そしてこの美術館は住宅地の中にひっそりとある。

 この美術館はウィキペディアの記載によれば、自動車部品メーカー林テレンプのオーナー林軍一が一大で蒐集したコレクションを展示する私立美術館だという。愛知で自動車部品メーカーということで、トヨタの傘下企業かと思ったのだが、この林テレンプは全方位で国内自動車メーカーとはほとんどと取引しているのだとか。非上場企業らしいので、かなりの技術力と堅実経営そしているところなのかもしれない。

 しかしこういう中堅企業のオーナーで美術品コレクターがいて、それを財団法人化して美術館として公開するというのは、よくあることである。まあ二代目オーナーとかが先代の意思をきちんと承継しているということもあるのだろう。長野の水野美術館なんかも同じ形のようだ。

 そして今回の企画展はというと上村松園と伊藤小坡の二人展である。

名都美術館

二人のハンサムウーマン

近代の京都画壇で活躍した上村松園と伊藤小坡。女性ゆえの試練を乗り越え画道い邁進した二人の生き様は、彼女たちの手になる美人画同様に見る人の心を打ち、今なお人気を博しています。本展では三十数年ぶりにそんざいがかくにんできた松園の《汐くみ》を含む4点の松園作品と小坡3作品を新収蔵品として初披露し、当館が誇る松園・小坡作品を一堂に展覧します。また、小坡の代表作を拝借し充実を図ったラインナップも見どころで、凝縮されたないようにより二人の画業を振り返ります。

チラシより

 建物はきれいだが1992年開館ということですでに30年が経過している。1階、2階のツーフロアなのだが、2階に上がるのは業務用エレベーターを使うことになる。監視で常駐している警備の人が案内してくれて資料室内あるエレベーターを利用するのだが、いつも近くに警備の人がいる感じでちょっと落ち着かない。いつでも声かけて下さいということで、大変に親切に対応してはいただいているのだが。

 館内のイメージはというと、どうだろう近代日本画中心ということでいうと、山種美術館をだいぶ小ぶりにしたような印象だろうか。

 展示作品は当然企画展ということで松園と小坡の作品だけなのだが、すでに高崎市タワー美術館でこの美術館のコレクションの名品を知っているので、常設展示品を観たいのにと思う部分もないでもないというところ。

 とはいえ展示作品は申し分なく、久々松園作品にうっとりする。そして前日の伊藤小坡美術館で観ることができなかった「山内一豊の妻」もしっかり観ることができた。「乳母浅岡」は前期展示だったようで観ることは叶わなかった。多分、すでに伊勢に戻っていて、お休みしているのかもしれない。

 展示作品の中では、個人的には上村松園の新収蔵品「天保歌舞」がベストだったか。

天保歌舞」(上村松園)1935年

「汐くみ」(上村松園) 1935年

「父のあと」(伊藤小坡) 1918年 四日市市

 上村松園、伊藤小坡は、明治から昭和にかけて活躍した女流画家ということで比較されることが多い。年齢的にいうと上村松園が1875年生まれで伊藤小坡は1877年生とほとんど同時代人ということになるのだが、画家としてのキャリアは松園の方がかなり早くにスタートしている成功を収めてもいる。

  試しに二人の経歴を簡単に併記してみる。

    上村松園   伊藤小坡
1875 0 誕生    
1877 2   0 誕生
1887 12 京都府画学校、鈴木松年に師事 10  
1890 15 第三回内国勧業博覧会一等 13  
1893 18 幸野楳嶺に師事 16  
1895 20 竹内栖鳳に師事 18 伊勢の磯部百鱗に師事
1898 23   21 京都に出て森川曽文に師事
1900 25   23 幸野楳嶺門下谷口香嶠に師事
1902 27 長男(松篁)誕生 25  
1903 28   26 第五回内国勧業博覧会に出品
1905 30   28 谷口香嶠門下伊藤鷺城と結婚
1906 31   29 長女知子誕生
1910 35   33 次女芳子誕生
1914 39   37 三女正子誕生
1918 43 「焔」制作 41  
1928 53   51 竹内栖鳳主宰竹杖会に入会
1930 55   53 「伊賀のつぼね」帝展に入選
1934 59 母仲子死去、「母子」制作 57  
1936 61 「序の舞」制作 59  
1940 65   63 山内一豊の妻」制作
1941 66 帝国芸術院会員 64  
1944 69 帝室技芸員 67  
1948 73 文化勲章 71  
1949 74 死去 72  
1968     91 死去

 二つ違いの女流画家ということだが、キャリア的には圧倒的に上村松園の方が上だし、早熟である。12歳で京都府画学校に入学、15歳で第三回内国勧業博覧会一等である。確かこの一等作品はイギリス皇太子の買上げになったという。最終的には帝室技芸員で女性として初の文化勲章だ。帝室技芸員はたしか松園の前に女流南画家の野口小蘋が1937年になっていたと記憶している。

 竹内栖鳳の門下に入ったのも上村松園は20歳で1895年のことである。それに対して伊藤小坡は51歳で1928年。ずいぶんと離れた姉弟子妹弟子(そんな言葉はないか)ということになる。まあ画業においては圧倒的に上村松園だ。

 ただしことプライベートな部分でいえば、上村松園が私生児として一子上村松篁をもうけただけなのに対して伊藤小坡は結婚して三女を産み育てている。母として妻として家事や子育てをしながら画業を続けたのは、おそらく夫の伊藤鷺城の協力があったのだろうとは思う。

 別に結婚して子どもを育てたということが、いわゆる女の幸せなどというつもりは毛頭ないし、子育てや家事を母親にまかせて画業に専念した上村松園の実人生が不幸だったなどとも思わない。でもどこかに絵に対する向かい方みたいなところで松園、小坡にはかなり異なるスタンスがあったのではないかと思う。

 上村松園は、精神性や女性美の理想形を純化して捉えようとしていたところがある。それに対して伊藤小坡はどことなくゆるい部分がある。同じ母子を描いても、自分の実母に理想の母親像を投影した松園と、自身と子どもへの愛情のある眼差しを描いた小坡はどこか異なる部分がある。さらにいえば母子像への第三者的な目線と主観的な思いみたいなところか。

 自分でも感覚的にものいっているような感じがするので、どうにもうまく言語化できていないけど、例えば同じ印象派の女流画家であっても、メアリー・カサットの描く母子像とベルト・モリゾの母子像はなんとなく異なる。いずれも親近感あふれる絵なのだが、カサットにはどこか覚めた部分がり、モリゾのそれはより私小説的な感じ。

 そのへんはなんとなくだが子どもとの距離の近さを日々実感したかどうか、それよりもあくまで母子像を対象として画家の目で客観的に見る部分みたいなところもあるのではないかとか、まあ思いつきではあるがちょっとそんなことを考えてみる。

 多分、伊藤小坡は松園の描いた「母子」のような作品は描かないだろうし、上村松園も小坡の「父のあと」のような生活臭がある作品は描かないだろう。これは絵の良し悪しではなく、絵に対峙する際の精神性みたいな部分かもしれない。

 愛知県の美術館ということでなかなか足を運ぶことは難しいだろうとは思う。でも、機会があれば二度三度と行ってみたい、名都美術館はそういうところだと思う。しかし愛知県民は、そして長久手市民はけっこう幸運だと思う。気軽に行けるこじんまりとした、それでいて豊富なコレクションがある美術館があるということで。

伊勢神宮内宮 (5月14日)

 旅行最終日、ようやく雨も上がったので伊勢神宮内宮に行くことにする。宿はチェックアウトしたのは10時ちょい過ぎくらい。それからちょっと土産物を物色したり、荷物を車に積んだりで出発したのは10時20分くらいだったか。宿から伊勢神宮までは前日と同じ道なのでだいたい30分くらいか。しかしあまり効率の良い観光してないな。

 伊勢神宮は去年の6月にも行っている。そのときは天気に恵まれていたけど、今回は朝方までずっと雨。とはいえ土曜日の伊勢神宮である。けっこう混んでいるだろうとは思っていたけど、案の定内宮前の駐車場はほぼ満車状態。少し待ってからようやく入ることができる。人はけっこう出ている。定点観測という訳ではないけど、去年と比べると宇治橋鳥居のあたりはこんな感じだ。

2022年5月           2021年6月

 ついでにおはらい町通りはだいたいこんな感じである。

2022年5月          2021年6月

 去年の5月~6月というのはオリンピク前で東京や大阪には緊急事態宣言が出ていた頃(6/20にまん延防止に移行)という時期だというのはある。ただしというか、まあ今とは状況は違うのだろうけど、写真を撮った去年の6月9日の全国新規感染者数は2242人、死者96人。今回の5月14日の全国新規感染者数39416人、死者30人。まあ死者は三分の一に減ったけど。

 境内の風景はというと、まあコロナがあろうがなかろうが、五十鈴川の風景は変わらないし、人出がはけたところを見計らったところで撮影すればだいたいこんな感じではある。

 そして今回は内宮へのお参りは昼少し前くらいだったのだが、係の人が何か案内をしている。なんでも祭事があるので昼頃から一時的にお参りができなくなるという。警備の人に聞いてみると年に二回ある行事の日なのだとか。

神御衣祭|年間行事|祭典と催し|伊勢神宮

 神御衣祭(かんみそさい)というのだそうな。警備の人がいうには、まあ簡単にいえば神様の衣替えだそうで、5月14日、10月14日にそれぞれ麻と絹の反物をお供えするのだそうな。なにやらおごそかに行列なして正宮にお供えする。多分かついでいる籠だか御輿の中にその反物が入っているらしい。

 まあそれほど感興溢れるような催しものでもない。この祭事の前に自分も妻もお参りをすませていたし、祭事前ということで人も割と少なかった。

 自分はもう完全に無宗教の人だし、伊勢神宮はある意味神社、天皇制の総本山みたいなところがある。そのへんをきちんと考えていくとけっこうややこしい話になるので、基本的にスルーする。まあ原始的な信仰というか、江戸時代までのお伊勢参りじゃないけど、人の移動が制限されている時代、庶民がとにかく旅行ができる唯一の理由となるのがお伊勢参りみたいなところもあるので、それに倣って物見遊山しているだけ。

 しいていえば、別にこれは信仰心とかそういう部分でもないし、へんな霊的なうんちゃらなんちゃらでもなくだけど、やっぱり俗世界とはちょっと異なる空気感があるかなどと思わないでもない。ちょっと空気が引き締まるみたいな。これは流行りのパワースポットみたいなもので、単なる思い込みの部分かもしれない。とにかく一庶民がお伊勢参りしているっていうだけ。例によってお祈りの中身は妻と子どもの健康とか安全とかそんな類だった。