埼玉県立近代美術館「美男におわす」展

 前夜、子どもが久々帰宅。今日は午後から新しく入った吹奏楽団の初練習に行くというので都内まで送っていく。なんかこういうの高校時代よくやっていたな、なんなら大学生の頃も何度か都内まで送って行った記憶がよぎる。幾つになっても親バカしてる。

 

 その後、どうするかとなり、そのまま帰るのもなんだということで、都内でどこか美術館巡りでもするかとも思ったが、上野のゴッホ展は日時指定だし、アーティゾンや山種美術館とかは駐車場を探すのがしんどい。ということで埼玉へ戻るついでとばかりに、北浦和埼玉県立近代美術館に行くことにする。ここは新しい企画展が23日に始まったばかりだ。

2021.9.23 - 11.3 美男におわす - 埼玉県立近代美術館

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かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼

美男におわす 夏木立かな   (与謝野晶子

増殖する美男の園へようこそ。「美男におわす」は、日本のの視覚文化のなかの美少年、美青年のイメージをたどる展覧会です。これまで人々は数多くの男性像に理想を投影し、心をときめかせてきました。

しかし、それらは主に女性像からなる「美人画」とは異なり、「美男画」といった呼び名を与えられることはありませんでした。

ライフスタイルや嗜好が多様化し、ひとりひとりが異なる「美男」のイメージを持つようになった現在、果たして「美男画」との出逢いはどのようなものになるでしょうか。浮世絵、日本画、雑誌の表紙や挿絵、現代作家の作品、マンガなど、時代やジャンルをまたいだ様々な男性像をめぐるなかで、男性を美しいものとして表現すること/見ることに光をあてます。

                             パンフレットより

 美人画ならぬ「美男画」、美男子の世界を美術シーンから探る。なんともキャッチーな企画だ。これはもう美男子好き、マンガオタ、はたまたBL愛好家といった女子たちから垂涎のごとく期待される企画展ではないか(本当か)。あるいはお好きな男性の方々からも、いやBLGTの多様化する世の中ですから。

 ということで、実はあんまり食指が動く企画ではない。正直いうとジイさんなんで「美男子」も「美少女」もあまり興味がない。ないのだけれど、「美男子」というテーマをどういう切り口でどういう作品を集めたのかというところには若干興味を惹く部分もあったりもするので行った。まあそういうことだ。

 テーマは4章立てで出品点数は約120点、前期9月23日~10月10日、後期10月12日~11月3日までとなっている。埼玉での会期終了後は島根県立石見美術館で11月27日~2022年1月24日まで開催予定という。もとよりこの企画は2014年に石見美術館で開かれた「美少女の美術史」という企画展の続編として石見美術館の学芸員が企画されたもので、埼玉県立近代美術館(MOMAS)はそれに便乗する形で共同企画開催となったものだという。

1章 伝説の美少年

2章 愛しい男

3章 魅せる男

4章 戦う男

 この章立ての中で古典作品では谷文晁、鈴木晴信、歌川豊国、歌川国芳月岡芳年など。近代日本画では安田靫彦、松岡映丘なども出展されている。さらには挿絵画家の高畠華宵、現代作家では山口晃、入江明日香、川合徳寛、唐仁原希山本タカト木村了子などなど。またマンガからも魔夜峰央竹宮恵子なども。

 正直、谷文晁や安田靫彦と一緒にパタリロの原画やジルベールを見ることになるとは。そうした点だけでもこの企画面白いといえるし、けっこう楽しめる。個人的にはやはり安田靫彦の作品に興味がいく。

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風神雷神図』(安田靫彦) 遠山記念館

 俵屋宗達以来『風神雷神図』といえば鬼とパターン化されているのだが、安田は普通の擬人化された姿で描いている。これを美男とするかどうかは置いておくが、この風神雷神のポーズは、自分にはどことなく川端龍子の『火生』のヤマトタケルを想起させる。安田靫彦というと緊張感ある心理描写と細部にわたる装飾性、様式美みたいなことをいわれるが、こういう絵も描くのかと、ちょっと面白くも感じる。

 この絵は遠山記念館所蔵という。遠山記念館には1度しか行っていないけど、なんだか日本家屋と庭園、さらに中近東の工芸品というイメージが強かった。日本画もこの安田靫彦の作品の他にも鈴木其一、英一蝶、喜多川歌麿なども持っているらしいので、そのうちまた行ってみようかと思う。

 安田靫彦作品はこの作品を含めて3点出展されているがその中にこの作品も。

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『源氏挙兵』(安田靫彦)  京都国立近代美術館

 挙兵した時の源頼朝の図なのだが、重要文化財『黄瀬川陣』の頼朝と同じ顔をしている。まあ違っていたらそれはそれで問題かもしれないけど。

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『黄瀬川陣』(安田靫彦) 東京国立近代美術館

 安田靫彦とほぼ同年代の松岡映丘が描く義経も展示されているが、これを美男とするのはちょっと無理があるかもしれない。

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屋島義経』(松岡映丘) 京都市美術館

 現代の画家(作家)の作品はどれも面白くあり、妖しくもありでけっこう楽しめた。

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『L'Alpha et l'Oméga 』(入江明日香) 丸沼芸術の森所蔵

 六曲一双の屏風絵風だが日本画ではなく銅版画をベースにしたミクストメディア作品で、銅板で刷った薄い和紙を切り抜いてコラージュし、ドローイングを施す独自技法を用いているのだとか。しかし至近で見てもコラージュとは思えない。子細に見てみると人物や動物の肉体は風化、蝕まれて形骸化していたりと、意図がどこにあるのかは凡人の自分にはわからないが、作者の意匠のクオリティの高さだけはなんとなく理解できる。超絶技巧的な細密描写ながら不思議な作品である。

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『男子楽園図屏風-EAST & WEST』(木村了子) 作家蔵

 これはちょっと笑えたけど、笑っていいのかどうか。木村了子は「イケメン描いて十五年」という触れ込みの現代画家・壁画家のようだ。しかし左隻をよく見ると「大きなかぶ」してるんだが。

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 この木村了子という人、イケメン仏画とかも手掛けていてなんでも新潟県燕市のお寺の本堂壁画も手掛けているのだとか。怖いもの見たさで行ってみたい誘惑にかられる。

 

 その他で唐仁原希(とうじんばらのぞみ)という画家の作品もインパクトが強かった。

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 この人はまだ30代と若い画家のようだ。最近では今上映中の『マスカレード・ナイト』のエンドロールに絵が採用されているのだとか。

唐仁原 希 / Nozomi TOJINBARA

 この方のプロフィールはこのnoteでのインタビューに詳しくのっている。

人生は、自分自身を味わい尽くすことに意味があるー唐仁原 希(画家)|ニソクノワラジ@カラムーチョ伊地知|note

 

  まあ今回の「美男におわす」は肩の力を抜いて見れる脱力系企画展かもしれない。自分のような「美男」とか「美女」とか、イラストやマンガ類もさほどそそられないジイさんには気楽にといってしまうと語弊があるかもしれないけど、ちょっと脱力して観ることができた。まあこういう企画展も面白いし、いいかもしれない。後期展示では菊池契月やなんと川合玉堂のイケメンも出るらしい。機会があったらまた行くかもしれない。

群馬県立近代美術館常設展

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 この美術館に来るのは二度目である。前回は確か3月に来た。その時も建物内外の美しさや常設展示の広さや量などにけっこう圧倒された。そして自宅から車で1時間弱で行けるということもあり、多分来る回数は多くなるかもと思ったのだが、結局は半年ぶりくらいになってしまった。

群馬県立近代美術館へ行く - トムジィの日常雑記

 建物の設計は磯崎新であることも、前回確認していたし収蔵作品もけっこう印象的だったのだがすっかり失念していて、いざ絵の前に立つとそうそうこの絵あったね、そうすると確かあの絵もあるみたいな感じになった。

 磯崎新については、この人が設計した建物を割と身近に知っていたり、利用もさせていただいたりとかもあったので親近感はある。ただし美術館などにはいいけど、オフィスとかでうちっぱなしのコンクリの壁面は結構使いずらいとかいう話も聞く。まあいいか。

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 名画についてもモネやルノワールムンク、モロー、ルオー、シャガールピカソデュフィなど粒揃いだ。しかも多くの作品がガラスによる保護がなく、マチエールを至近で確認できる。

 今回、このフロアでそそられたのはこの2点

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『オースゴールストランの夏』(エドヴァルト・ムンク

 ムンクらしくないというか。どうしても我々が考えるムンクらしさというと、不安や病理性がキャンバスにあふれ出すようなおどろおどろした作品や、色づかいの激しい表現主義的な作品、ようは『叫び』の印象が強かったりする。しかしあの手の作品はムンク神経症というか病んでいたある時期に集中している。彼は80までと長命だったけれど、多くの期間割と凡庸な作品を描いていたりもする。

 26歳でパリに留学、その後は本国ノルウェー、ドイツと行き来して活動を続けたが、1908年にデンマークで精神病院に入院、翌年に帰国する。その後は30年近くを母国で活動し、国民画家となるといったキャリアだった。彼の回顧展は二度、一度は子どもの頃に鎌倉で、もう一度は割と最近東京都美術館で観ている。いずれも『叫び』がメインだったのだが、意外と凡庸というか普通の絵が多いのにけっこうびっくりした記憶がある。イメージ的には全編あのおどろおどろした感じがあったから。

 この『オースゴールストランの夏』は1889年の作品。おそらく最初のパリ留学の直前の頃の作品で、若々しい印象派的な雰囲気のある作品だ。ある意味、ムンクもこんな作品を描いていたのかと思ったりもする。まあ普通に良い絵だと思う。

 

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『人形を抱く少女』(レオナール・フジタ

 フジタの絵は個人的には今一つピンとこない部分がある。例の乳白色もそうだし、戦争画もそう。乳白色のやつは日本画の技法をうまく洋画に取り入れたアイデアがあたったみたいな感じがする。あれをあの時代にパリで、日本人がやるというアイデアを閃いたところにフジタの凄さがあるとは思うんだけども何度も同じような作品を観ていると、なんとなくもういいかなみたいな感じになる。

 戦争画についても最初に観た時はもの凄いインパクトだったけれど、何度も観ているとあれって、結局西洋の戦史というか、歴史画的な感じで戦闘シーンを大画面で描きたかっただけなんだろうと思ったりもする。あのサイパンバンザイクリフを描いた作品も戦争の悲劇というか劇的な場面を描きたかっただけなんじゃないみたいな見方をしてしまう部分がある。

 ようは根っからの絵描きだったフジタは、思い切り戦争描いていいぞといわれて、西洋の古典主義やロマン主義の大作にチャレンジするチャンスが巡ってきた、いっちょうやったるかみたいな絵描きのプロ意識と野心に突き動かされたのではないかと、そんな気がしてしまう。それは丸木位里の『原爆図』を観て、その訴求するものが違い過ぎるとかそんなことを思ったからだ。

 とはいえフジタの戦争画が単なる凡庸な作品だなどとは思ってはいない。あれはまさに一流の画家によって描かれた戦争画の大作であることは間違いないと思う。話は脱線だが、ようはあまりフジタの絵には食指が動かない、個人的な趣味の問題みたいなものだ。なのでこの絵もというと、ちょっとフジタっぽくないなというところが面白く感じた。白くないし。

 フジタの『人形を抱く少女』は人形を抱いた少女が正面を向いた木版画がけっこう有名のようだ。ネットでも簡単に検索できる。でもそれともこの油彩画は関係ないようだし、モデルも違う。この作品の制作は1923年、パリで大成功を収めていた頃だ。この白くない絵のモデルは誰なんだろうか。

 

 その他では日本近代として安井曾太郎岸田劉生中川一政佐伯祐三長谷川利行国芳康雄、岡鹿之助、さらに群馬所縁の福沢一郎、鶴岡正男の作品などが展示されている。安井曾太郎の『足を洗う女』はかなり気に入っていて前回も印象深く記憶に残っている。

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『足を洗う女』(安井曾太郎

 1913年、パリに留学していた頃の作品で全体の色調や多視点からの表現は明らかにセザンヌの影響だ。ただしモデルの情勢はどことなくルノワールの趣もあり、いずれにしろ安井が独自のスタイルを模索する習作的な雰囲気が濃い。

 

 さらに展示室4では、一室を鶴岡正男のドローイングや陶器などを集めて展示する「鶴岡政男ドローイングと立体」が行わていた(9月11日~10月10日)。

 

 また展示室3では「現代の美術」(9月11m日~11月7日)が開催されている。ここでは今井俊満堂本尚郎、福沢一郎、鶴岡政男、難波田龍起、宮脇愛子、李禹煥、丸山直文、福田美蘭、押江千衣子、小林孝亘、上田薫、額賀宜彦らが展示してあった。

 つい先日もMOMATで観た今井俊満はやはりインパクトを強く感じた。

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『晩秋』(今井俊満

 

 さらに福田美蘭のこの作品には思わず声を出して笑ってしまった。

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『リンゴとオレンジ』(福田美蘭

 セザンヌの名画を添削指導するというパロディ作品。総評は点数がB、「全体的に視点がバラバラです」のコメントは本当に可笑しい。福田美蘭は1963年生の58歳、名画をモチーフにした再解釈の作品を多数制作している。反転させた北斎の『神奈川沖浪裏』とかドラえもんレンブラントのコラボみたいな作品とかも。

福田美蘭 - Wikipedia

 ググる福田美蘭の企画展が千葉市美術館で10月2日から開催されるという。千葉市美術館所蔵の日本画作品を題材にした新作も16点出展されるという。ちょっと気になるので行ってみたいとも思った。

福田美蘭展 千葉市美コレクション遊覧 | 企画展 | 千葉市美術館

「福田美蘭展」千葉市美術館で - 日本美術の所蔵品を題材とした新作絵画、月岡芳年など発想元の作品も展観 - ファッションプレス

 

 企画展「江戸と上毛を彩る画人たち」の方に時間をとられてしまい、常設展は駆け足で観ることになってしまった。なにか前回も同じような失敗だったが、この美しい美術館の常設展示スペースとその展示品の量についてすっかり失念していた。次回来るときにはもう少し余裕をもって早くに来るか、企画展を流して常設展示に時間を割くかしないといけないなとは思った。

 

 5時の閉館と同時に美術館を出た。その後は美術館前の公園で、妻は車椅子で一人で散歩に行き、自分はというと芝生に寝転んで眠るでもなく、ただただぼーっと空を眺めていた。この美術館とその周囲の環境は最高にいい。群馬県民を羨ましく思ったりもする。

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群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」

 9月18日から始まった企画展「関東南画のゆくえ 江戸と上毛を彩る画人たち」を観る。展示作品は谷文晁、金井烏州、高久靄厓、渡辺崋山、立原杏所、椿椿山、福田半香、菅井梅関、春木南香、矢島群芳、松本宏洞などなど。

 正直、谷文晁と渡辺崋山以外はほとんど知らない。そもそも関東南画とはというと、18世紀に文人画などの中国絵画に影響を受けておこった南画が当初は関西で始まり、それが江戸に伝播し、谷文晁を中心に江戸で広まったものらしい。そしてその流れで上毛で金井烏州、矢島群芳、松本宏洞が活躍したという、ご当地関連型の企画展ということだ。

 しかし南画とは何か。展覧会ガイドの冒頭にはこういう説明がある。

「南画」とは、江戸時代の画派の一つです。中国の文人画などの影響を受けて、日本で独自に発展した絵画様式です。日本の画家たちが、主に中国の「南宗画」を手本にしたことから「南画」と呼ばれるようになったといわれています。

 「南画」のうち、関西から江戸に持ち込まれ、様々な画風を取り入れながら関西とは異なる展開を見せたものを「関東南画」と呼びます。

「関東南画のゆくえ 江戸と上毛を彩る画人たち」展覧会ガイド P2

 「文人画」、「南宗画」っていうのはなんなんだ。ようは中国絵画の影響にあるということはわかったが画風や技法については説明がない。それは現物を観て理解しろということだろうか。

 しかたがないので日本美術の教科書的な本、美術出版の『カラー版日本美術史」巻末の用語解説を見てみる。長くなるけどそのまま引用する。

南宗画

中国明時代に菫其昌(とうきしょう)が提唱した画風。文人画とほぼ同義語。禅宗が唐時代に南宗禅と北宗禅に分かれたのち北宗禅がほろんだことになぞらえて、宮廷の画院画家による北宗画に対し、在野の文人高士らによる絵画の優位を示すために、自らを南宗画と呼んだ。始まりは北宋の菫源。巨然の絵画様式に求めた南宗画は明清時代に一般化した。

文人

文人の描く余技的な絵画をいう。南宗画とほぼ同義語。文人画はあくまで自ら娯しむ(自娯)ために描くものであり、職業的に絵を売ることはな行わない。中国の士大夫の自然主義的な生活態度を理想とし、日本ではいわゆる「南画」として発展した。実際には絵を売って生活するものが多かったが、武家としての生活を捨て脱藩したあと、飄々たる隠遁生活を送り、自分と友人と理解者にのみ絵を描いた浦上玉堂のような例もある。明治期には富岡鉄斎が活躍した。

 説明が冗長で的を得ていない。これって辞書によくあるカテゴリー問題ではないのか。あるいは適当に冗長巡回型語義って名付けているよくわからないやつだ。カテゴリー問題っていうのは、「カテゴリー」を辞書でひくと「範疇」とあり、「範疇」を弾くJと「カテゴリー」と出るやつ。冗長巡回はなんとなく音的な部分と堂々巡り的なイメージから適当に言ってるだけだけど。

 ようは「南宗画」と「文人画」は同義であり中国画の画風のようだ。しかしだ、日本画というやつはほとんど中国画の模倣から出発している。日本の南画だか文人画だかしらないが、それらが中国画の模倣しているといっても、例えば日本画のメインストリームの狩野派だって、「粉本」という形で中国の絵の徹底的な模倣で成立している。まあしいていえば中国では宮廷絵画と差異化すべく在野の画家たちが自らの絵を南宗画と呼んだとかそういうことだろうか。

 自分への理解のためにも、もう少し引用を続ける。今度は画廊さんのサイトからの引用。

心は仙境に遊ぶ ~南画・文人画~ | 美術品販売|東京銀座ぎゃらりい秋華洞

中国山水画において、在野の文人画家が取り上げた山水画である「南宗画」。
日本における「南画」とは、その「南宗画」を中心とした中国絵画の影響を受け、江戸時代中期頃の日本において盛んになった山水画を主とする絵画様式のことです。

描かれるのは、あるときは中国を起源とする理想の山間風景、
またあるときは憧れの隠遁生活、そしてまたあるときは自由な仙境世界といった山水画
引用や自作の漢詩を添えて描かれるものが多く、詩書画が一体として味わえるのも見どころ。

 この画廊の販売する絵の中には橋本関雪川合玉堂なんかも入っている。いわれてみれば玉堂の絵にはそういう雰囲気のものもあるし、けっこう詩文とかも入っていたりする。

 さらに他のサイトとかも参照してみる。

南画(水墨画)の技法一覧|はじめての日本画の描き方と技法講座 画材解説

南画の特徴は墨の濃淡で表現された禅的な表現や、中国や朝鮮の貴族文化を模倣した理想郷や欄や梅や松など大陸の貴族が愛でた縁起があり貴族にゆかりのある植物画によって儒教などの価値観を表現した作品がよく見られます。

 なるほどなるほど。「墨の濃淡で表現された禅的な表現」というのはよくわかる。ただし「貴族文化を模倣した理想郷」というのはどうか。確かに高貴な感じの人物を配して山や滝、渓谷などを描く風景画は貴族文化風ということか。自分にはなんとなく老荘思想や仙人がのいるような理想郷のイメージがあったのだが。さらにいえば「南画」と称される絵に描かれる植物-欄や松、動物-鶴などは、ある意味すべて貴族趣味を象徴しているということになるのか。

 

 日本画の解説における流派は技法の解説とその流派の歴史性や集団の特徴性とかがまざりあっていて、的を得ていないような気がする部分もある。例えばメインストリームの「狩野派」と「琳派」の解説においても、その画風についてだと「狩野派」が粉本をもとにした模写等による技術の伝承性とかをいうが具体的にはの説明が意外と不足している。

また「狩野派」が世襲や同門による技術の継承性に対して、「琳派」は私淑という言葉によって表現されることがあるが、時代や空間を離れた影響によって伝えられていくことが語られたりする。まああと「琳派」というとデザイン性といわれるけど、そのへんも今一つ理解できなかったりもする。ようは具象からデフォルメ化された形象とかそのへんのことをいっているのかどうか。

 まあいいか、ニワカの鑑賞者なので今一つ理解が足りていない。そのため今回の企画展でも絵もさることながらキャプション=解説を読む時間が多かった。そしてキャプションの情報量が多い。きっと解説好きというか、とにかく持っている知識を網羅して伝えたがりの学芸員の方が頑張ったのだと思う。ただちょっと意あまって・・・・・。

 結局、南画のなんたるかが今一つ理解が進まないまま現物を観ていく。でも今一つ南画についての理解が足りないというか、理解が深まらない。山水画との違いも今一つだしとか。

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赤壁図』(谷文晁)

 いい絵であることは間違いないと思う。こういう中国のある種の理想郷を描いた見事な絵という部分でなるほどこれが南画かということか。技術的には空気遠近法みたいなものがあるか。

 適当な思いつきだが、こういう中国の理想郷というのか、具体的な桂林のあたりの風景を描いた風景画。まあ実際にもある風景なんだけど、繰り返し描かれることによってある種の理想郷、原風景のようなテーマとなっていったのではないかと思ったりする。 

 そしてそれを日本の風景にあてはめて描いてみせたのが、実は川合玉堂の風景画とかではないかと。もちろん若い頃から奥多摩に写生のため訪れ終の棲家とした川合玉堂には、奥多摩の風景が慣れ親しんでいたとは思う。でも彼が描いた景色は単なる写実とは異なるある種の原風景みたいなものになっていったのかとも。まあ本当に適当な思いつきではあるけれど。

 展示作品については谷文晁も渡辺崋山、金井烏州、立原杏所、椿椿山などなどみんな画力があって見事な絵ばかりだ。後期展示には谷文晁の『富嶽図屏風』なども展示されるという。もう一度行きたいとは思っている。

 しかし、どうでもいいことだけど、渡辺崋山文人画として括られるのは、もちろん谷文晁の門下筋というのもあるけど、彼が田原藩の家老であったという出自もあるのではないかと思ったりもする。家老でありながら絵を嗜んでいた=文人みたいなところで括られたのではないかと。もっとも田原藩は碌高も低い貧乏藩だったので、家老という要職にあっても渡辺崋山は絵を売ることで生活していた部分もあるって何かで読んだことがあるけれど。

高崎で蕎麦とイカ天丼を食す

 高崎の群馬県立近代美術館へ行く。

 ナビのいうとおりに藤岡ICで降りる。以前来たときは玉村スマートICで降りた記憶があるのだが、新しいナビだとこうなる。こちらは成すがまま、言われるがままである。

 その後もナビの通りに走り、美術館の近くまで来る。時間は1時を少し過ぎた頃で、朝飯もほとんど食べていない状態だったのでどこかで食事をということに。

 美術館のすぐ近くにのぼり旗が出ているお食事やさんがあり、駐車場にもけっこう車が止まっている。どうも蕎麦屋らしい。そういえば前に来た時にもそんなのぼり旗をみたような記憶が。妻も行きたいというので駐車場に入ってみる。こういうお店。

店舗情報 | 手打ちそば 梅田屋

  駐車場はだいたい20台くらい止められるスペースだが空いていたのは2台分くらいだったか。1時半くらいだったが店内は満席、待つ客も一組いる。密を避けるため外で待つようにいわれしばらくすると店内で待つように案内。すぐにお座敷が空いたのだが、妻が足不自由なのでテーブル席希望のためパス。その後も次々とお客が来ていて外でも3組くらい待っている。

 ようやくテーブル席が空く。待っている間にメニューを見てたのですぐに注文する。蕎麦屋なのだが、蕎麦だけというのもなんなんで多分一番お得そうなセットを頼む。妻はかつ重セット、自分は一番安そうなミニイカ天丼セット。出て来たのはこんな感じ。

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 蕎麦、ミニイカ天丼、サラダ、温泉卵という内容でコストパフォーマンスは高い。蕎麦はそこそこ香があるし、普通に美味しい、普通のお蕎麦。イカ天はというと、これは当たりというか、厚くて柔らかく、しかもタレが程よい甘辛さで美味かった。妻のかつ重セットもけっこうイケてたみたいで、二人とも最後にご飯に温泉卵をかけて完食した。多分、今後は美術館に行くときは毎回寄りそうな雰囲気である。

 美術館とちょっとした食事、こういう楽しみもなかなか良いものではないかと思ったりしている。

東京国立近代美術館-「ニッポンの名作130年」

 所用で午後お茶の水に出る。用件終了後時間があったので、竹橋まで歩き東京国立近代美術館(MOMAT)に行く。

 ウィークデイでも企画展「隈研吾展」は盛況のようで、当日券は終了とのアナウンスをしている。まあもとより隈研吾は興味ない。建築系は今一つというか、そこまで興味広がらない。昔、勤めていた会社の社長が「建築はもともと人文系だったのに、日本では理科系の技術に堕してしまった」みたいなことおっしゃっておられた。多分、建築系の話で、自分は文科系だから建築わからないみたいなことを言ったことへの反論だったのだろうけど。まあいわれてみれば、建築物は芸術作品でもあるのでおっしゃるとおりではある。もっともニワカなアート趣味の自分には、本当建築までは視野というか、スパンが広がらない。歳も歳だし、そこまでいかないだろうなという淋しい述懐。

 という訳で常設展示「ニッポンの名作130年」である。MOMATが誇る名作、8点の重要文化財を含む作品約250点の一挙公開的な展示もいよいよ9月26日までである。前期展示、後期展示で4階ハイライトや3階10室日本画の大幅展示替え等もあったが、すでに3回足を運び今日で4回目である。

東京国立近代美術館へ行く - トムジィの日常雑記

MOMAT-東京国立近代美術館再訪 - トムジィの日常雑記

東京国立近代美術館~MOMATコレクション - トムジィの日常雑記

 前期展示、後期展示それぞれ2回観に行ったことになる。なので土田麦僊の『湯女』、小林古径『唐蜀黍』も安田靫彦『黄瀬川陣』、下村観山『木の間の秋』も堪能した。3回10室でも竹内栖鳳『『飼われたる猿と兎』、加山又造『春秋波濤』、『千羽鶴』も良かった。また6室でお安井曾太郎梅原龍三郎の並列展示も良かった。

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『春秋波濤』(加山又造

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奥入瀬の渓流』(安井曾太郎


 日本画は劣化の問題もあり長期展示が難しい。これらの名作ともしばらくお別れかなと思うとちょっと淋しいところでもある。還暦過ぎの身ではいつなにがあるかわからないし、これが見納めになる可能性だってある。名画の鑑賞は一期一会みたいな部分あるからなあともっともらしいことを思ったりもする。

 洋画ももちろん劣化もあるのだろうけど長期展示は可能だ。今年、MOMATには多分6回くらい行ってる。そうなると毎回観ている原田直次郎『騎龍観音』、和田三造『南風』などは少し食傷気味になる。重文だとしてもだ。

 「ニッポンの名作130年」の出品から外れた作品もちょっと気になったりする。そういえばMOMATで鏑木清方はしばらく観ていない。そのせいか美人画系、伊東深水山川秀峰なんかもとんとご無沙汰なような気がしている。画風や画題の趣向が面白い小倉遊亀『浴女その一』とか太田聴雨『星をみる女性』などもしばらく観ていない。まあ10月から始まる常設展ではしばらくご無沙汰の作品との遭遇も楽しみかもしれないけど。

 

 今回、気に入ったというかようやく作品と画家名が一致してきた作品。

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『作品』(今井俊満

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『朝のオートルート』(菅井汲)

 抽象画は正直理解不能な部分がある。何を意味するかとかそのへんの想像力や知識が欠如してる部分がある。でもこういうのってどうとでも取れる部分もあるし、美的価値というか面白味を感じるかどうかではないかと思ったりもする。

 自分は中学生の時にポロックの『秋のリズム』を画集かなにかで観て面白いと思った。なにかオーケストラのようだと思った。しかも調和のとれたウィーンフィルみたいなそれではなく、不協和音を奏でるオーケストラみたいなイメージだ。大学生くらいの時にフェリーニの『オーケストラ・リハーサル』を観て、不調和、混沌とするオーケストラみたいなものの映像化みたいなものを感じた。まああれはちょっとマンガチックではあったけど。

 でもカオスに陥ったオーケストラのイメージがポロックの絵から感じた。多分そういう部分で面白いと思った。それについては今でも同じような感じ方だ。まあ適当に絵から受ける印象、イメージみたいな部分、それを面白く感じるかどうか、それが抽象画の醍醐味なのかもしれないとそんなことを思っている。具象ではどうして受け取るイメージは描かれる具象物の文脈に制限されてしまうだろうから。

 そういう意味でいうと、まだまったく言語化できないけれど今井俊満も菅井汲も、なにか面白味を感じるようになってきた。二人の作品はけっこう地方の近代美術館に収蔵されている。そういう作品に触れると、「おっ、菅井汲」みたいな感じになってきてもいる。まあそんな訳で、ちょっとずつ抽象現代絵画もお勉強中である。

青梅市立美術館~「創立100周年記念青梅信用金庫所蔵美術展」

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特別展「創立100周年記念 青梅信用金庫所蔵美術展」 - 東京都青梅市公式ホームページ

 青梅信用金庫青梅市に本店を置き東京多摩地域から埼玉県南西部で事業展開を行っている信用金庫である。この信用金庫が日本画の有数のコレクションを有していることは一部では有名らしい。コレクションの収集は昭和30年代に地元在住の大家川合玉堂の作品収集から開始され、その後も竹内栖鳳横山大観前田青邨川端龍子平山郁夫加山又造など日本の近現代美術史を形成した画家たちの作品を体系的に収集しているという。

 このコレクションは本展で定期的に展示されたり、多くの美術館の企画展に貸し出されているが、まとまった形で展示されることはあまりなく、これまでには2012年に一度青梅市制60周年特別展が開かれているのみという。今回の企画展は9年ぶりの大型展示企画展で展示点数は46点。特に収集の発端となった川合玉堂作品は12点にのぼる。

 地方都市の市立美術館でこれだけの点数による企画展はなかなかできる者ではないと思う。青梅市立美術館は以前、玉堂美術館の帰りに寄ったことがあった。所蔵している玉堂の4曲の『赤壁』が観れるかと思っていったのだが、そのときは宮本十久一の回顧展が行われていた。

 地方都市の公設・公益美術館が名画を収蔵する条件には、その地の企業や所縁のある篤志家からのコレクションの寄贈や寄託があると思う。三重県美術館はイオンだし、山形美術館は吉野石膏などが有名だ。そういう点で青梅市立美術館にとって青梅信用金庫のコレクションは重要な存在なんだと思う。

 今回の企画展は6部構成となっている。

1.秋の音図会

2.山を描く 富士を中心に

3.青梅ゆかりの画家 川合玉堂

4.水辺の風景

5.花の競艶

6.逸品の数々



 やはり気になったのは川合玉堂の作品。

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『小春』(川合玉堂

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『五月晴』(川合玉堂

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『渓山帰樵』(川合玉堂

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『松上八哥鳥』(川合玉堂

 近景と遠景の描き分け、近景の強調など、川合玉堂はけっこう浮世絵版画の構図を研究したのかなと適当に思っている。特に広重の雰囲気に似ているとはあえていわなけど、風景の写し取り方や空気間などにそんなものを感じる。

 

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新月銀波図』(川合玉堂

 墨の濃淡による樹木の表現、揺れるような葦の表現など美しい絵で心に残る作品だと思う。ほぼ同じ構図で月がやや中央よりにある絵がたしか玉堂美術館で展示してあったように記憶している。

 

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『杜鵑』(横山大観

 「杜鵑」(ほととぎす)はどこにいるのか。山の左側の点が飛び行く杜鵑なのだ。低く垂れこめた雲の間に連なる山々、孤高に飛ぶ鳥。これも心に残る作品だ。やはり大観はもっていくなと改めて思ったりする。

 

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『水郷』(竹内栖鳳

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『菊三茎』(川端龍子

 川端龍子の美しい絵である。龍子は大掛かりな大作はもちろん素晴らしいのだが、こうした作品でも美しさと緊張感の同居させている。ちなみ入場の際に記念品としてマスクケースを進呈いただいたのだが、その絵柄がこの絵だった。

 マスクケースはこんな感じで内側に青梅信用金庫のロゴが入っているがたいへんお洒落。多分、青梅信用金庫が作ったものだろうけど小粋というか良い趣味で、企業のイメージアップに貢献しているかもしれない。青梅に住んでいたら口座作ったかもしれない。

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『ささやき』(伊東深水

 肩を寄せ合いひそひそ話を交わす若い女性。深水は同じ図柄で日本髪に結った若い芸妓によるものも描いている。名都美術館所蔵で高崎タワー美術館で観ている。日本画の芸妓のそれは鏑木清方上村松園の雰囲気もあるが、この洋髪の絵のはモダン風味があり伊東深水のオリジナリティが高いように思う。

 

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『吹雪明ける』(加山又造

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『飛翔』(加山又造

 大作『春秋波濤』や『千羽鶴』に通じる奇想というか、現代の琳派と称された加山又造のエッセンスが凝縮されているような絵だ。

 

 川合玉堂のコレクションの素晴らしさ、さらに大観、龍子、加山又造の作品。会期は11月7日までなのでもう1~2回を行ってみたいと思っている。

 

 会場を後にしたのは3時半頃。玉堂作品の心地よさもあり、ちょっと足を伸ばして御岳の玉堂美術館に足を伸ばしてみた。青梅市立美術館からは車で20分程度。5時閉館で4時半までに入ればなんとかなる。

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 ここでも玉堂作品につつまれて短い間だったがゆったりとした時間を過ごした。館内に入ったとたん、そして庭に入ったとたん、なにか時間が急にゆっくりとしてくるのを感じる。

 青梅から奥多摩での美術周遊は青梅市立美術館~玉堂美術館だ。

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デヴィッド・クロスビー

 Netflixで彼のドキュメンタリーを見つけて観てみた。

 「デヴィッド・クロスビー:リメンバーマイネーム」

https://www.netflix.com/jp/title/81077717

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 若い人には多分判らないだろうフォークロックのスターである。クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング、CSN&Yのクロスビーである。70年代、4声コーラスとフォークロックを融合させたCSN&Yはスーパーグループだった。クロスビーはそれ以前はバーズの一員だった。

デヴィッド・クロスビー - Wikipedia

 ディヴィッド・クロスビー、1941年生まれ80歳。この時代のビッグ・ネームがセミリタイアしたり鬼籍に入るなかで、いまだに現役で活動を続けている。3年前にはスナーキー・パピーのマイケル・リーグら若いミュージシャンとコラボした「ライトハウス」を発表、今年に入ってもマイケル・マクドナルドらも共演した最新アルバム「FOR FREE」が発売されている。後期高齢者を超えてもその声は衰えることがない。


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 彼の生涯を現在の彼のインタビューを交えて描いたドキュメンタリーだ。ぶっちゃっけ彼のキャリア、主にバーズやCSN&Yのそれを知らないとただの老いさらばえたふっとちょジイさんのインタビュー映画である。それにしても人生の大半を薬物中毒だったこの人はある意味クズがクズのまま年を取り続けた人でもある。1980年代から90年代、入退院を繰り返しようやく薬から足を洗ったが、ねっからの偏屈、ガンコ親父気質のため、他人とぶつかるぶつかる。CSN&Yのメンバーからは断絶。唯一、仲が良く、長く二人での活動を続けてきたグレアム・ナッシュとも絶縁状態にある。

 音楽的才能、それは誰もが認めるところだろう。そして多分、薬が効いてないとき、素面のときは人好きがする魅力ある人物なんだろう。だから彼の周りには様々なミュージシャン、クリエイターが集まってくる。そうした人々と彼は有意義な時間をもち、素晴らしい仕事ができる。薬さえやらなければ。

 でも彼は薬をやらないと多分日常生活を送るうえでの様々なストレスを押さえられないのかもしれない。人との軋轢、そこから生じる心のもやもやを内的に処理するためには薬が必要だ。薬を絶ってからはそのストレスが対外的な形で怒りとして外に発出する。そして他者とぶつかり、人々は去っていく。今、彼を支えるのは家族、主に妻だけである。

 CSN&Yでのメンバーの中では音楽的な才能はニール・ヤングとスティーブン・スティルスが群を抜いている。グレアム・ナッシュはそこそこの才能と人格を備えている。それではデヴィッド・クロスビーはどうか。抜群のコーラスワーク、カッティング・ギター、4人の中では脇役的。そうビートルズでいえばジョージ・ハリソン的な役回りか。

 実はそうは思わない。彼は人好きする性格からかグループワークでクリエイティブな才能を発揮する。そしてアイデアが豊富だ。彼のエピソードとして有名なものをあげれば、ジョニ・ミッチェルを発掘し、デビュー・アルバムのプロデュースを担当している。このアルバムではジョニのピュアなサウンドを引き出すため、ジョニの弾き語りだけで制作されている。クロスビーはジョニの本質を見抜いていたんだと思う。


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 このアルバムの後すぐにクロスビーとジョニは恋仲になるのだがすぐに別れてしまう。それからジョニはCSN&Yのグレアム・ナッシュと一緒に暮らし始める。それからそれからフォーク時代の彼女はさらにニール・ヤングジェームス・テイラーとも浮名を流し間にレナード・コーエンとも恋に落ちて。ジョニは70年代後半からはジャズテイストの若いミュージシャンと付き合い始め、ジャコ・パストリアスと恋に落ちる。ジャコが薬とアルコールで急逝する前にはロマンスは終わっていたようで、その頃には同じ若いベーシストのラリー・クラインとつきあいついに結婚して・・・・・。

 話がジョニ・ミッチェルの恋話的に脱線した。ドキュメンタリーの中でもデヴィッド・クロスビーはジョニ・ミッチェルのことを忘れえない思い出として語る。その後に淡々と彼女が盟友だったグレアム・ナッシュと一緒に暮らし始めたことを語る。二人が住んでいた家が名曲「Our House」で歌われたのだというエピソードを交えて。

 ディヴィッド・クロスビーは秀逸なボーカリストにとどまることはなく、バーズ時代にインド音楽シタールを導入したりオープン・チューニングを多用したという。60年代から70年代のフォークロック・シーンにおけるオープン・チューニングは主にジョニ・ミッチェルの風変りかつ独特なギターやCSN&Yの演奏から広がったのだが、その様々な試行にクロスビーは大きな役割を占めていたのかもしれない。それぞれのミュージシャンが人と異なる独創的なアイデアを閃いてはそれを仲間の誰かに聴かせて、さらにそれを技術的に昇華していく。そんなことが日常的に行われていたのだろうかと、想像してみたくなる。

 映画の中でそうしたクリエイティブな瞬間をとらえるようにして、デヴィッド・クロスビーのソロデビュー作「If I Could Only Remember My Name」の制作される過程がトレースされている。スタジオにはニール・ヤングが、グレアム・ナッシュが、ジョニ・ミッチェルが、ジェリー・ガルシアとグレイトフル・デッドのメンバーが、グレース・スリックとジェファーソンの面々が集いセッションを行う様子が語られている。70年代、デヴィッド・クロスビーが一番輝いた時間だったかもしれない。

 80年代以降、デヴィッド・クロスビーが薬漬けの日々を行う。77年にCSNを再結成して活動を再開するが薬で朦朧とする日々が続く。1985年に銃器法違反で収監され薬物中毒の治療の後社会復帰する。1988年にCSN&Yとして再結成されアルバム「アメリカン・ドリーム」を発表。1995年には薬物中毒の後遺症により肝移植を行っている。

 1991年、CSNとして来日した時に確かNHKホールで彼らのライブを観ている。スティルとクロスビーは太っちょなオッサンという風にしか見えなかったけど、スティルスのギターはやっぱり超絶だったなとか覚えているか。あのライブ一緒に観に行った相手は誰だっただろうか・・・・。

 ドキュメンタリーの最後、デヴィッド・クロスビーは今でも友だちはいるが音楽仲間の多くが去って行ったことを述懐している。それはグレアム・ナッシュやニール・ヤングとの絶縁状態を意味している。もう彼らの関係は取り返しのつかないところまできているのかもしれない。互いに功成り名を遂げた。金のために昔の名前で出ています的なツアーを行う必要もない。デヴィッド・クロスビーの言葉の端々からは彼らとの仲を修復したいという思いが悔恨的に映像に現れている。でもどこかで諦めている部分もあるようだ。彼の中にも古き友人たちの間での様々な軋轢の思い出があり、どこかもうこりごりとしている部分もある。それは多分相手のほうでも同様なんだろう。

 デヴィッド・クロスビーもグレアム・ナッシュ、ニール・ヤング、みんな強さと弱さを併せ持ったナイーブなクリエイターなんだろう。だからこそ様々にこじらせたまま歳を重ねているということだ。ひょっとしたらあの時代にあって一番タフだったのは、病気で歌うことができないけれど、回復傾向にあるというジョニ・ミッチェルだったのかもしれないとそんな気がしないでもない。

 観終わってから、映画でも紹介されていた彼のソロアルバムをアマゾンでポチった。聴いたことはあるがこのアルバムは持っていなかった。今、それをしみじみと聴いている。デヴィッド・クロスビーが、その仲間たちが輝いていた時代を思って。