MOMAT-東京国立近代美術館再訪

 歯医者のあとお茶の水から竹橋まで歩き、MOMAT=東京国立近代美術館に行くことにする。時間は3時くらいで2時間くらいある。常設展を流すにはちょうどいいかもしれないと思った。ここは3日にも来ているが、ふらっと寄るにはいい美術館だ。

東京国立近代美術館へ行く - トムジィの日常雑記

 今は休館中の上野西洋美術館と竹橋の近代美術館、自分が多分一番好きな美術館だとは常々思っている。

 企画展は18日から隈研吾展が行われる。とりあえず今、日本で一番著名な建築家の回顧展であるから、コロナ禍とはいえかなりの人が来ることになるだろうから、その前にのんびり常設展を観ておくのもいいとは思った。しかし隈研吾展の準備のためだろうか、関係者や設備設置の業者などが出入りしていていて少々落ち着いた雰囲気とは違っていた。3階の展示を観ているときに、多分関係者らしき人数人がちょっと大きな声で話をしているのが聞こえてきて興ざめな思いをした。そういうのは閉館してからやれよと思わないでもなかった。

 展示品は3日に観たときとまったく変わっていない。4Fのハイライトは土田麦僊『湯女』や小林古径『唐蜀黍』など。その裏側は横山大観の『生々流転』などなど。

 という訳でほぼ3日に観たときのおさらいみたいな感じでぶらぶらと観て回る。

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『夏』(中沢弘光)

 中沢弘光は黒田清輝に師事し、黒田の影響下にあった画家だ。外光派、明るい雰囲気の写実的な絵が多い。とはいえ最初にこの人を知ったのは『花下月影』という幻想的な雰囲気のある絵だったと思う。MOMAT所蔵の絵だけど確か山梨県立美術館に貸し出されているのを観てなんとなく心に残った。それ以来、ちょっと気になる画家という感じである。 

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安倍能成像』(安井曾太郎

 この絵については以前にもちょっとコメントを書いたことがある。

 安井曾太郎安倍能成像」。今となっては安倍能成を知るものも少ないだろう。東大漱石門下の秀才にして、学習院の学長、戦前日本の知識人、リベラリストの代表みたいな人物にして、岩波茂雄の盟友だった人物である。戦後は確か吉田茂内閣で文部大臣をやったのではないだろうか。頑固な人物だったと聞くが、そうした人柄がよく画面に出ていると思う。

  岩波書店創業者岩波茂雄の盟友として岩波の自伝を執筆した人物。多くの知識人を輩出した漱石門下にあってまさに戦前日本のリベラルな知識人の代表的存在でもある哲学者だ。ウィキペディアの略歴をみると戦前に現在の東大の教養課程にあたる一高の校長を務め、戦後は文部大臣や学習院大学の院長を歴任した。著名な人物の割には代表作となるような哲学における著作は少なく、どちらかというと翻訳を中心に西洋思想の紹介するものが多かったという。

安倍能成 - Wikipedia

 安倍能成については岩波茂雄の娘婿で、岩波茂雄亡き後会長として戦後の岩波書店を牽引した小林勇が小文を残している。

 安倍能成は機嫌のよい時、人にいわれるとする応じて「鉄道唱歌」を歌い出した。「汽笛一声新橋をはやわが汽車は離れたり」からはじまって延々京都までいってしまうことがあった。明治生まれの人ならたいていの人はこの歌を知っている。しかし「品川」「横浜」くらいまで歌えればよい方で終わりまで歌える人は稀有である。酒席で安倍の鉄道唱歌がはじまると、初めての人は感心し、拍手するが、たびたび聞いた者は閉口する。私は時に「急行で願います」などと野次った。

 安倍は鉄道唱歌のみならず軍歌や一高の寮歌を歌った。日新戦争や日露戦争のころの歌、旧い高等学校の寮歌も熱心に歌うのを、人は記憶力がいいといって感心した。このことは多くの人に語られ伝説的になっている。安倍の声量は豊かであった。

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 ある夜、人に招かれての酒席であった。あとから小宮(豊隆) に強引に呼ばれた吉右衛門(初代中村吉右衛門)も加わっていた。安倍は陽気になって女達におだてられて「鉄道唱歌」を長々と歌った。和服姿の小宮は端然と座って酒を飲んでいたが、「鉄道唱歌」がひと区切りつくと、「おい、波野ひとつやってくれ」といった。吉右衛門はあまり歌いたくない様子であった。しかし女どもに攻めたてられて、とうとう歌い出した。独特の小唄である。吉右衛門は自分の小唄をひとり言といっている。渋いものであった。すると安倍が吉右衛門について歌い出した。これは安倍がよくやることであるが、歌っている者にも聞く者にも迷惑であるが遠慮して止めろとは誰もいわない。

 急に安倍は歌うのをやめて、ごろりと寝てしまった。眼を閉じて、やがて眠ったらしい。歌をやめた吉右衛門がその寝姿を見ながら「先生はびしそうだな」というと、「うん、安倍は寂しいんだ」と小宮豊隆がいった。

『遠いあし音・人はさびしき』(筑摩書房) P111~124

  この絵には安倍能成の頑固な面持ちがよく出ている。それとは別にセザンヌに傾倒していた安井曾太郎はこの絵において多視点からの描法を展開している。人物、背後の壁、椅子、床、すべてが異なる視点によって描かれている。その中で頑固な老リベラリストの実像が見事に活写されている。

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『パリ風景』(藤田嗣治

 1918年の作品、パリで人気を博す少し前あたりらしい。まだ彼のオリジナリティを特徴づける「素晴らしき乳白色」も日本画的な線描もない。モノトーンな色調は若き藤田の様々な不安、異国での生活、将来について、そうしたものへの心象風景がストレートに出ているように思う。この絵を最初に観て思ったのは、藤田らしくないということと、なんとなく単色のアンリ・ルソーみたいというものだった。その印象は今でも変わっていない。

 前回も書いたことだが、今回もまた萩原守衛の『文覚』と『女』の展示、配列が気になってしかたなかった。自分の支援者である中村屋の夫人相馬黒光に恋した萩原守衛が黒光を思い描いた作品『女』。そして自ら模したという『文覚』。その視線と憧憬。

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『冬華』(東山魁夷

 3F日本画の間は横山大観竹内栖鳳東山魁夷の三人にスポットをあてている。その中で東山魁夷作品は7点展示してあった。そのキャプションをよく見てみると、7作品すべてが作者魁夷の寄贈品だった。東山魁夷は国立近代美術館に対して人一倍思い入れが強かったのかもしれない。