東京都美術館「デ・キリコ展」を観る (5月9日)

『デ・キリコ展』公式サイト 

 東京都美術館デ・キリコ展」を観てきた。

  デ・キリコはというと、シュール・リアリズムの画家であり、ダリ、マグリットデルヴォーと同じくくりに入る。妙に立体感というか奥行きのある画面に、わけのわからん人形がいて、様々な部品のようなモチーフが取り散らかっているという、そんな感じがする。

 一般的には形而上学絵画といわれているようだけど、「形而上」=形のないもの、精神世界という雰囲気が、デ・キリコの作品にはない。同じくくりでもダリの方がよっぽど精神世界的な雰囲気がある。精神世界というよりも、夢という部分でいっても、そういう深層心理、フロイト的な夢分析みたいなものを感じない。多分そのへんもダリやデルヴォーの方が、よっぽど夢的である。

 ではなんだろう、シュール・リアリズムの手法の一つである「デベイズマン」的なものを始めて絵画に応用したみたいな部分だろうか。

デペイズマン (仏: Dépaysement) とは、「異なった環境に置くこと」を意味するフランス語で、シュルレアリスムの手法の1つ。日常から切り離した意外な組み合わせを行うことによって、受け手に強い衝撃を与えるもので[1]、文学や絵画で用いられる。「デペイズマン」の語は、1921年にパリで開かれたマックス・エルンストのコラージュ展の序文の中で、アンドレ・ブルトンによって動詞「仏: dépayser」として用いられ、さらに1929年にエルンストのコラージュ小説『百頭女(仏: La femme 100 têtes)』の序文で初めて名詞として用いられた。

デペイズマン - Wikipedia

 多分、見当違いかもしれないけれど、自分的にはデペイズマンは、あるモチーフをまったく文脈の違うところに配置することによる一種の異化効果みたいな風に考えたりしている。でもそういう部分でいうと、はるかに高い効果を現出させているのは多分マグリットじゃないかと思ったりもする。

 ということで、ダリよりも形而上学的でない、デルヴォーよりも深層心理的でない、マグリットよりもデペイズマンがない、そういうなんていうか第一人者というよりも二番手みたいな感じがする。ちょっと奇をてらった風変りなイメージの提示、そこにはさして深くない不安、あるいは不安定なものが表出しているみたいなところか。

 とはいえ、デ・キリコは実は、「歪んだ遠近法、脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を評した絵画を描き始め、後に『形而上絵画』と名付けた1910年代の作品は、サルバドール・ダリルネ・マグリットといったシュルレアリスムの画家をはじめ、数多くの芸術家に衝撃を与えた」(「デ・キリコ展チラシより)という。ようは彼が先駆者、パイオニアだったのだ。ただし先頭打者であっても、実は後続の方がそのジャンルを開花させる、展開させるというのはよくある話ではある。

 デ・キリコは1910年年代にこうした形而上的な絵を発表し始める。しかも彼の主要なモチーフともいうべき、あの人形(マヌカン)を用いることによって、ある種の非人間性を獲得する。マヌカンは様々な場面に出現し、あるときは預言者であり、あるときは哲学者、詩人、そしてギリシャ神話の主人公となって現れる。

 彼の形而上絵画はおおいに評価され、多くのフォロワーも生まれた。でももともとの画家として画力に欠ける部分もあったのではないか、シュール・リアリスム絵画のその他大勢の一人になってしまう。そこで彼は古典絵画の様式へと回帰し、バロック絵画、古典主義、さらにクールベからルノワールまでを受容して。

 その一方で自らの20代~30代までの形而上絵画をコピーした作品を大量に生産していく。それはおそらく金銭的な部分や、そういうオーダーに答えるためだったのかもしれない。デ・キリコの形而上絵画を最初に評価した一人でもあるアンドレ・ブルトンは、デ・キリコが金のために過去の作品をコピーしていると非難したとも伝えられている。

北川健次オフィシャルサイト/words  (閲覧:2024年5月10日)

 いわれてみると、彼の有名な《ヘクトルとアンドロマケ》をなにかあちこちの美術館で観ているような気もしないでもないか。

《自画像のある静物

《自画像のある静物》 1950年代半ば 油彩・板 39☓48.5cm 
ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団(ローマ)

 古典回帰し様々な画風に習熟し受容している時期。そしてこれはまさにセザンヌである。これを60代でやるというのがデ・キリコのすごいところなのか、なんていうのか。背後に自らの肖像画描くところも人を食っているというか。

《17世紀の意匠をまとった公園での自画像》

《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》 1959年、油彩・カンヴァス  154×100cm
 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

 こうしたコスチューム化した自画像が他にも数点ある。何を意味しているのだろう。ぱっと見、森村泰昌かよと突っ込みたくなるような。しかもこの作品は71歳。キャリアの晩年に差し掛かっている。古典回帰の延長上にあるのだろうけど、この作品もパースがどこか狂っていて、デ・キリコはどこか巨人化しているような感じがする。多分、ベラスケスとかそのへんを狙ったのだろうか。

《南の歌》

《南の歌》 1930年頃 油彩/カンヴァス 75×50cm 
ウフィツィ美術館群ビッティ宮近代美術館(フィレンツェ

 これは例のマヌカンである。しかし色使い、筆致はまさにルノワールだ。マヌカンは1910年代半ばから登場するモチーフだが、これでは何か自らの作品のセルフ・パロディである。デ・キリコルノワールしてみましたみたいな。昔、『話の特集』という雑誌で、和田誠がこういったパロディ画をやっていたのを覚えている。もっともデ・キリコはもちろんセルフ・パロディなんていう意識はもうとうなかったのだろうとは思うけど。

《風景の中で水浴する女たちと赤い布》

 

《風景の中で水浴する女たちと赤い布》 1945年、油彩・カンヴァス  109×140cm
 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

 これも古典回帰からネオ・バロックへという時代。クールベのような、リューベンスを意識したルノワールのような、背景は古典主義のような、左下の果物はオランダあたりの静物画のような、全体の雰囲気はどこかデルヴォーの夢のような・・・・・・。確かなのはデ・キリコが描いたこと、そしてデ・キリコではないような。

《予言者》

《予言者》 1914-15年、油彩・カンヴァス 89.6×70.1cm  ニューヨーク近代美術館

 1910年代半ば、形而上絵画にマヌカンが登場し始めた頃の作品。このマヌカンを見てなんとなく『二十世紀少年』を思い浮かべる俗人の自分。

《形而上的なミューズたち》

《形而上的なミューズたち》 1918年、油彩・カンヴァス  54.3×35cm 
カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与)

ヘクトルとアンドロマケ》

ヘクトルとアンドロマケ》 1970年、油彩・カンヴァス  30×40cm
 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

 デ・キリコ82歳の時の作品。30代の画業を老境にあってトレースし、再現している。芸術家は往々にして、若い頃の作品は全否定してかかるのだが、それを懐かしむわけでもなく、完全にコピーする。一般的にいえば制作に生きづまった40代~50代に、成功した若い頃の作品に回帰するというのはわからないでもない。もちろん金のこともあるかもしれない。ああいう作品を描いて欲しいというリクエストに応じる画家のサービス精神もあるかもしれない。

 しかし82歳、すでに画業の最晩年に差し掛かっている。そして画家としてはすでに世界的名声も得ている。それでもかっての作品をコピーし続ける。そういうモチベーションっていったいなんなのだろう。

 そしてデ・キリコにしばしば現れる寄せ木細工のような、積み木のような、製図の道具のような木はなにを意味しているのだろう。もともとデ・キリコは理工科学校を出ている。そのへんに何かヒントがあるのだろうか。

オイディプススフィンクス

オイディプススフィンクス
1968年、油彩・カンヴァス 90×70cm ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 

 これも80歳の作品。新形而上絵画といわれる。「オイディプススフィンクス」という個展的な題材をもちに、かって自分が産み出したモチーフによる作品。それでいて色調は明るく、明らかに1910~30年代のものとはまったく別種の趣がある。

 おそらくセルフ・コピーを続ける中で、画家はある種新奇な画想が生まれたのかもしれない。

《バラ色の塔のあるイタリア広場》

《バラ色の塔のあるイタリア広場》 1934年頃、油彩・カンヴァス  46.5×55cm
トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)

 今回の企画展には出品されていないが、デ・キリコの代表作《通りの神秘と憂鬱》(1914年)と同じような雰囲気をもつまさに形而上絵画である。影によってあらわされる人間なのかそれとも違うなにか。非現実的な世界であり、どこか寂寞としていて不安とともに郷愁的なものも帯びている。街とモニュメント、精密な遠近法でありながら、どこかずれたような揺らぎ。古典回帰や、マヌカンとは異なり、こうした街を描いた作品にはどこか観る者を魅了するものがあるように思う。

 デ・キリコは人物やそれを類推させるモチーフは不要なのかもしれない。

《球体とビスケットのある形而上的室内》

《球体とビスケットのある形而上的室内》 1971年、油彩・カンヴァス 80×60cm
ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

 これは83歳の作品。おそらくセルフコピー的作品。青い板に張ってあるのは画家が多用したモチーフでビスケット。複数の消失点をもつ遠近法と製図機、定規のような木製品など、すべてかっての画家の作品そのものの形而上室内画。

 

 今回のおそらく国内では9年ぶりらしいデ・キリコの回顧展。正直にいってデ・キリコの全貌を把握するには、あまりにも自分の知識が欠乏しているようにも思った。そしていわゆるデ・キリコの形而上絵画についても、同じような作品が続くと何かワンパターンのようにも思えてくる。

 形而上という以上、哲学的な意味性をどうしても考えてしまう部分もあったりもする。でもそれは当然のごとく解き明かされることはないだろうし、得てしてその意味するところは思いのほか皮相なものだったりするかもしれない。

 自分がデ・キリコをどう受容するかというと、どこかで困惑しているのかもしれないし、どうにも理解を超える部分もあったりする。でも、例えばシュール・リアリズムやダダイズムはある種のハプニングというか、偶然性に即していたりする。自動筆記とかあれは明らかに偶然の産物だ。

 いっそ作家の思惑がどうであれ、その作品の受容についていえば、ようは面白いかどうか、そこに面白味があるかどうか、そういう部分で受容していけばいいのではないかと思ったりもする。マグリットは画家の思惑がどうであれ、彼のシニカルで人を食ったような、およそタイトルと作品にまったくの関係性がない部分を含めて、面白いという部分だけでそれを受容している。

 デ・キリコも多分そういう風に作品を面白く感じられるかどうか、その部分だけでいいのではないかと思ったりもする。もともとは第一次世界大戦前後の時代性、そこで若い芸術家が感じた不安を、人の不在、どこか現実離れした空間を描くことで、夢のような世界を現出させたことに、画家の新奇性があったはずなのだ。それを誰かが形而上と呼んだ、あるいは画家自身がそう呼んだのだろう。あとはそのコンセプトをトレースすることを続けた。そのままでは行き詰まりに違いない。だからこそ画家は絵画史の流れ、技法、モチーフを遅まきながら学び、それを自らのコンセプト絵画に取り込んでいったのだろう。それが成功したかどうか、知識の乏しい自分は判断しずらい。

 でもこれまでなんとなく小難しい超現実的な作品を描くということで、なんとなく距離をおいていたデ・キリコになんとなく親近感をおぼえた部分もある。なんといっても果てしなくセルフ・コピーを行い、キャリアの中盤にさしかかってから古典に学び、〇〇風のデ・キリコを描いてしまう部分など。

 それにしてもルノワール風のデ・キリコなんて、想像もつかなかった。それだけでもこの回顧展に来た意味があるかもしれない。「デ・キリコ展」は4月27日から8月29日までのロングランだ。機会があればもう一度くらいは足を運びたいと思っている。