デヴィッド・クロスビー

 Netflixで彼のドキュメンタリーを見つけて観てみた。

 「デヴィッド・クロスビー:リメンバーマイネーム」

https://www.netflix.com/jp/title/81077717

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 若い人には多分判らないだろうフォークロックのスターである。クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング、CSN&Yのクロスビーである。70年代、4声コーラスとフォークロックを融合させたCSN&Yはスーパーグループだった。クロスビーはそれ以前はバーズの一員だった。

デヴィッド・クロスビー - Wikipedia

 ディヴィッド・クロスビー、1941年生まれ80歳。この時代のビッグ・ネームがセミリタイアしたり鬼籍に入るなかで、いまだに現役で活動を続けている。3年前にはスナーキー・パピーのマイケル・リーグら若いミュージシャンとコラボした「ライトハウス」を発表、今年に入ってもマイケル・マクドナルドらも共演した最新アルバム「FOR FREE」が発売されている。後期高齢者を超えてもその声は衰えることがない。


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 彼の生涯を現在の彼のインタビューを交えて描いたドキュメンタリーだ。ぶっちゃっけ彼のキャリア、主にバーズやCSN&Yのそれを知らないとただの老いさらばえたふっとちょジイさんのインタビュー映画である。それにしても人生の大半を薬物中毒だったこの人はある意味クズがクズのまま年を取り続けた人でもある。1980年代から90年代、入退院を繰り返しようやく薬から足を洗ったが、ねっからの偏屈、ガンコ親父気質のため、他人とぶつかるぶつかる。CSN&Yのメンバーからは断絶。唯一、仲が良く、長く二人での活動を続けてきたグレアム・ナッシュとも絶縁状態にある。

 音楽的才能、それは誰もが認めるところだろう。そして多分、薬が効いてないとき、素面のときは人好きがする魅力ある人物なんだろう。だから彼の周りには様々なミュージシャン、クリエイターが集まってくる。そうした人々と彼は有意義な時間をもち、素晴らしい仕事ができる。薬さえやらなければ。

 でも彼は薬をやらないと多分日常生活を送るうえでの様々なストレスを押さえられないのかもしれない。人との軋轢、そこから生じる心のもやもやを内的に処理するためには薬が必要だ。薬を絶ってからはそのストレスが対外的な形で怒りとして外に発出する。そして他者とぶつかり、人々は去っていく。今、彼を支えるのは家族、主に妻だけである。

 CSN&Yでのメンバーの中では音楽的な才能はニール・ヤングとスティーブン・スティルスが群を抜いている。グレアム・ナッシュはそこそこの才能と人格を備えている。それではデヴィッド・クロスビーはどうか。抜群のコーラスワーク、カッティング・ギター、4人の中では脇役的。そうビートルズでいえばジョージ・ハリソン的な役回りか。

 実はそうは思わない。彼は人好きする性格からかグループワークでクリエイティブな才能を発揮する。そしてアイデアが豊富だ。彼のエピソードとして有名なものをあげれば、ジョニ・ミッチェルを発掘し、デビュー・アルバムのプロデュースを担当している。このアルバムではジョニのピュアなサウンドを引き出すため、ジョニの弾き語りだけで制作されている。クロスビーはジョニの本質を見抜いていたんだと思う。


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 このアルバムの後すぐにクロスビーとジョニは恋仲になるのだがすぐに別れてしまう。それからジョニはCSN&Yのグレアム・ナッシュと一緒に暮らし始める。それからそれからフォーク時代の彼女はさらにニール・ヤングジェームス・テイラーとも浮名を流し間にレナード・コーエンとも恋に落ちて。ジョニは70年代後半からはジャズテイストの若いミュージシャンと付き合い始め、ジャコ・パストリアスと恋に落ちる。ジャコが薬とアルコールで急逝する前にはロマンスは終わっていたようで、その頃には同じ若いベーシストのラリー・クラインとつきあいついに結婚して・・・・・。

 話がジョニ・ミッチェルの恋話的に脱線した。ドキュメンタリーの中でもデヴィッド・クロスビーはジョニ・ミッチェルのことを忘れえない思い出として語る。その後に淡々と彼女が盟友だったグレアム・ナッシュと一緒に暮らし始めたことを語る。二人が住んでいた家が名曲「Our House」で歌われたのだというエピソードを交えて。

 ディヴィッド・クロスビーは秀逸なボーリストにとどまることはなく、バーズ時代にインド音楽シタールを導入したりオープン・チューニングを多用したという。60年代から70年代のフォークロック・シーンにおけるオープン・チューニングは主にジョニ・ミッチェルの風変りかつ独特なギターやCSN&Yの演奏から広がったのだが、その様々な試行にクロスビーは大きな役割を占めていたのかもしれない。それぞれのミュージシャンが人と異なる独創的なアイデアを閃いてはそれを仲間の誰かに聴かせて、さらにそれを技術的に昇華していく。そんなことが日常的に行われていたのだろうかと、想像してみたくなる。

 映画の中でそうしたクリエイティブな瞬間をとらえるようにして、デヴィッド・クロスビーのソロデビュー作「If I Could Only Remember My Name」の制作される過程がトレースされている。スタジオにはニール・ヤングが、グレアム・ナッシュが、ジョニ・ミッチェルが、ジェリー・ガルシアとグレイトフル・デッドメンガーが、グレース・スリックとジェファーソンの面々が集いセッションを行う様子が語られている。70年代、デヴィッド・クロスビーが一番輝いた時間だったかもしれない。

 80年代以降、デヴィッド・クロスビーが薬漬けの日々を行う。77年にCSNを再結成して活動を再開するが薬で朦朧とする日々が続く。1985年に銃器法違反で収監され薬物中毒の治療の後社会復帰する。1988年にCSN&Yとして再結成されアルバム「アメリカン・ドリーム」を発表。1995年には薬物中毒の後遺症により肝移植を行っている。

 1991年、CSNとして来日した時に確かNHKホールで彼らのライブを観ている。スティルとクロスビーは太っちょなオッサンという風にしか見えなかったけど、スティルスのギターはやっぱり超絶だったなとか覚えているか。あのライブ一緒に観に行った相手は誰だっただろうか・・・・。

 ドキュメンタリーの最後、デヴィッド・クロスビーは今でも友だちはいるが音楽仲間の多くが去って行ったことを述懐している。それはグレアム・ナッシュやニール・ヤングとの絶縁状態を意味している。もう彼らの関係は取り返しのつかないところまできているのかもしれない。互いに功成り名を遂げた。金のために昔の名前で出ています的なツアーを行う必要もない。デヴィッド・クロスビーの言葉の端々からは彼らとの仲を修復したいという思いが悔恨的に映像に現れている。でもどこかで諦めている部分もあるようだ。彼の中にも古き友人たちの間での様々な軋轢の思い出があり、どこかもうこりごりとしている部分もある。それは多分相手のほうでも同様なんだろう。

 デヴィッド・クロスビーもグレアム・ナッシュ、ニール・ヤング、みんな強さと弱さを併せ持ったナイーブなクリエイターなんだろう。だからこそ様々にこじらせたまま歳を重ねているということだ。ひょっとしたらあの時代にあって一番タフだったのは、病気で歌うことができないけれど、回復傾向にあるというジョニ・ミッチェルだったのかもしれないとそんな気がしないでもない。

 観終わってから、映画でも紹介されていた彼のソロアルバムをアマゾンでポチった。聴いたことはあるがこのアルバムは持っていなかった。今、それをしみじみと聴いている。デヴィッド・クロスビーが、その仲間たちが輝いていた時代を思って。