以前から行きたいと思っていた浜離宮に行ってきた。
ここのところ芸術教養の講義で日本庭園について少しだけかじっている。歴史的遺構としての日本庭園は圧倒的に京都に多く、東京は近代以降のものが多い。江戸期に造営されてものは浜離宮と六義園などが有名。そして浜離宮は埋め立て地に海水を取り入れて造られた「潮入り庭園」ということで一度見に行きたいと思っていた。ここはまたテレビなどでも取り上げられることも多く、妻も以前から行きたがっていたので、なんとなく思い立った。
ウィークデイということで空いている。最初、駐車スペースが見つからずに周囲の何度か回ることに。ナビの通りに行ってもはつかない。結局、ナビの地図を拡大してから大手門をピンポイントで指定した。大手門の橋を渡ったところに観光バスと身障者用の駐車場スペースがある。運が良ければそこに車を止めることができる。この日はウィークデイなので2台停まっていただけ。
園内に入るとまさに都会のオフィスという感じ。汐留付近の高層ビルから湾岸地域、さらに運河を隔てた臨海副都心のビル群と運河に囲まれた園地は、まごうことなき回遊式の美しい庭園。
浜離宮概要
海浜の埋め立て造成によって生み出された「潮入りの庭園」。東京湾からの海水を取り入れて潮の満ち干によって園池の水位は上下し、それによって景色の変化を楽しめる潮入りの回遊式築山泉水庭園。
海水を引き入れた潮入りの池と庚申堂、新銀座という二つの鴨場(鴨の狩猟場)があり、江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園。1654年(承応3)、徳川将軍家の鷹狩場に、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、海浜を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。その後、綱重の子である綱豊が六代将軍家宣となったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、「浜御殿」と呼ばれるようになった。これ以来、歴代将軍によって幾たびかの造園と改修工事が行われ、十一代将軍家斉の時代にほぼ現在の姿の庭園となった。
明治維新ののちには皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変えた。その後関東大震災や戦災によって、御茶屋など多くのの建造物や樹木が損傷して、かっての面影はなくなったが、1945年(昭和20)11月3日に。東京都に下賜されて整備ののちに1946年(昭和21)4月から「浜離宮恩賜公園」として公開された。
その後、1952年(昭和27)11月22日に「旧浜離宮庭園」(文化財指定名称)として国の特別名勝及び特別史跡に指定されている。
紅葉
都会はもう確実に四季から二季に移行していて秋がないに等しい。本来なら紅葉は11月下旬あたりからなんだろうけど、都会のど真ん中は12月上旬がまさに見頃、いい感じで色づいた木々が築山や園地に映えている。
これまで巡ってきた紅葉巡礼的にいえば、11月中旬の埼玉は1~2分、11月下旬の伊豆の紅葉は3~5分みたいな感じだったが、12月上旬の東京都中央区の紅葉はまさに見頃。
現代の借景
借景とは、造園技法のひとつで、庭園外の山や森林などの自然物等を庭園内の風景に背景として取り込むことで、園内の近景、中景とその背景となる借景を一体化させるもの。もともとは中国庭園の造園技法のひとつで、「庭園の構成に背景景観を取り入れる」というガーデンデザインの原則に則っている。借景は住まいづくりにも応用されていて、窓によって風景を絵画のように切り取ってみたり、室内から外への空間の広がりを意図したりすることができる。
よく敷地外の美しい自然=中景としての雑木林や遠景としての山を窓によって切り取り、風景を楽しむような家を作っていたところ、敷地の前にマンションが建ってしまい、借景が台無しなったというような話も、20世紀の後半にはよく耳にしたような気もする。
そういう意味からすれば、周辺の自然景観と一体化された日本庭園の伝統的空間は、首都圏にあってはその周囲に高層ビルが林立する現代にあっては、周囲の自然との一体化という点でいえば、ほぼ台無しな状態になっているのかもしれない。
浜離宮の園内を周遊していても、どこにいても高層ビルが目に入ってくる。これは浜離宮だけではなく、都内の比較的大きな庭園であれば、例えば六義園や小石川後楽園でも条件は同じ。明治の元勲山縣有朋が私財を投じて作庭した私邸椿山荘は、現在はホテル椿山荘である。その一体にもじょじょに高層マンションが立ち並ぶようになってきている。なんなら皇居の一角でもある東御苑などは、周囲はほぼ高層ビルだらけという状態だ。
もはや大都市の中で自然と一体化を目的とした日本庭園はあり得ないものなのかもしれない。逆に都市の中のオアシス的な自然空間を凝縮した日本庭園は、その外部をモダニズムの極致ともいうべき高層ビルに囲まれ、その近未来的な風景を借景とするというような逆説性があるかもしれない。
浜離宮でその美しい園地を写真に撮るたびに、遠景に入り込むまさに現代的風景としての高層ビルを見ていて、これは現代の借景なのかもしれないと、少しだけそんなことを思いついた。まあいつもの適当な思いつきではあるけれど。