修善寺は修善寺温泉の中心にある曹洞宗の禅寺で源頼家の菩提寺でもある。ここは今年の3月にも一度来ている。こじんまりとしていてなかなか趣のある寺だ。
道路に面して階段を上ったところに門があり、そこをくぐると境内と正面に本堂がある。車いすの場合は両側にやや傾斜がきついスロープというか坂道があるのでそちらを上っていく脇から境内に入れるようになっている。さらに少しだけ階段を上ったところに本堂がある。前回もそうだったが、階段の脇に車いすを置いて本堂までは階段を上ることにする。
本堂の脇になにやら法被を着た数人の男性がいて、本堂の右裏にある庭園の期間限定公開の案内をしている。期間は11月22日~12月1日の10日間。通常非公開だという。身体が不自由でも大丈夫かと聞いてみると、ほとんどが斜面を階段を上るようなところで、平地も飛び石だったりして歩きずらいという。それでも年に1度の10日間の限定公開ということで、行けるところまで行ってみようかと思い入園料200円也を払い中に入ってみた。
この庭園は、かって大正天皇が皇太子時代に修善寺を訪れた際に、この庭園を見て「東海一の庭園である」と言われたと伝わっている。たしか沼津の御用邸は大正天皇が皇太子時代に静養するために建てられたという。たぶん御用邸を訪れた時に修善寺まで足を運んだのかもしれない。
大正天皇は1879年(明治12年)生まれで、沼津御用邸ができたのは1893年(明治26年)14歳の時のこと。そして修善寺を訪れたのは1907年(明治40年)のことらしいので28歳。明治天皇崩御が1912年(明治45/大正元年)で33歳で天皇に即位したが、病弱で1926年(大正15年)に47歳で亡くなっている。
そういえば夏目漱石が胃を病んで修善寺の旅館菊屋に静養中に大量吐血して危篤状態となった所謂「修善寺の大患」は1910年(明治43年)のことだ。そして6年後の1916年(大正5年)に49歳で没している。大正天皇が修善寺を訪れた際に漱石のことが話題になったかどうかは判らないが、すでに国民作家として人気の高かった12歳年長の著名な作家の名を耳にしていただろうことは想像できる。
修善寺訪問の際に、お付きのものからこんな説明を受けたかどうか。
「殿下、帝大の文学博士にして読み物を書いておる夏目某が当地で大患にあったそうでございます」
漱石が滞在した菊屋旅館の居室は修善寺虹の里に移築されていて、夏目漱石記念館として見学できるようになっている。自分は去年の6月に訪れている。
虹の郷・夏目漱石記念館 (6月15日) - トムジィの日常雑記
庭園への入口の部分が低くなっていて、背をかがめて入ることになる。
そして美しい庭園世界が広がる。
斜面に沿って細い階段を上り下りする。妻に下で待っているかと聞くと、「頑張る」というので手を引きながらゆっくり上る。健常者なら30分もかからないくらいで回ることができるこじんまりとした庭園だが、多分われわれはその倍、いやそれ以上かかったかもしれない。でもそれだけの価値ある美しい庭園だったと思う。
紅葉も青、黄色、赤と、ところどころに濃く染まっていてなかなかに美しかった。とりあえずこの庭園のベストショットはこれかなあと思ったりする。
そしてまた入ったのと同じ低い出口を通って境内に出た。