土日、ずっと資料読みしていて、昨晩からようやくそのノート取りをする。それからだから朝方の4時過ぎから芸術教養講義のレポートにとりかかる。まったく関心のないジャンルなので、なかなかとりかかることができずグズグズしていた感じ。
とはいえ21日にビデオ授業見終えてから、資料集めて4日で仕上げたということでいえば、まあまあ頑張ったほうだろうか。といってもいつものごとくレポートというより、読書感想文の類。まあテキストや資料の引用は多いけど、さすがに丸パクリということでもなく、多分剽窃とかいわれることはないのではと思っているが。
採点するのはおそらく院生あたりのバイト組か、非常勤講師、准教あたりかと推測しているが、彼らもこんな駄文読まされて大変だなあと思う反面、それもまたお仕事かと、適当に思ったりもする。
でもわざわざ金払って、苦行続けるというのもなんなんだろうね。
10時過ぎにレポート仕上げて、すでに出来上がっていた3科目と合わせてネットで提出。うまくすれば4科目8単位取得のはず。そうすれば卒業レポートを書くために必要な62単位に到達するのだが、どうなることやら。なんとなく微妙。
卒業レポートも2か月足らずで書く必要があり、現段階でテーマはほとんど決まっていない。まあこのままいくともう1年続ける必要ありだろうか。3年次入学で2年で卒業予定なのに、すでに3年経過。
やっぱりね、年齢的には難しいのかもしれないなと思ったりもする。経年劣化でただでさえ記憶領域が日々狭まっている。そこにあまり関心のないジャンルを詰め込んでも、ほとんど素通りというか、漏れ出すどころかとどまってもくれない。
メモリ8ギガ以上必須の今のパソコン的世界に、16ビット、2メガのPC98で臨んでいるような感じ。自分のスペックなんて多分そんなもののような気がするからな。そういえば昔、メモリの一部を拡張メモリとして使うみたいなEMSなんていうのがあったような。どうでもいい話だ。
最後のレポートは「平安時代の「におい」空間について」。まあこういう作文というか読書感想文でした。
嗅覚による知覚対象を表現するときに用いられる言葉が、「におい」や「かおり」である。現代において、「におい」は鼻で感じるものものすべてについて、良し悪しを前提にしない全体語として用いられる。「かおり」はその一部として「好ましいもの」、「よいにおい」という意味で用いられる。ただし、この場合の「におい」は「匂い」と表記する場合であり、このましくない「におい」は「臭い」と表記される。
趣味判断としての好ましい「匂い」あるいは「香り」は、古くから日本の文化に根付いてきた。それは仏教の伝来とともに香の利用が行われてきた。その後平安時代の貴族社会に薫物という香りの調合とこれを焚きしめることで、独自の香りの空間を構成し、それを楽しむ文化が形成されてきた。また植栽による草花の仄かな香りを愛でていたことなどが『源氏物語』の記述にも表されている。
こうした平安時代の貴族社会で、香りの文化が形成されたのは、おそらく居住場所の形状も影響しているのかもしれない。
当時の高級貴族たちの住居は寝殿造りで、南に開けた園池に臨んで建てられた寝殿と東西の対屋が繋がる配置となっていて、建物には母屋と庇という建築構造に板張りの濡れ縁を巡らせ、内部は丸柱のため、壁はほとんどなく、床は板張りで、部屋は屏風などの調度類を配置して仕切るようになっているだけ。外周は蔀や御簾などの開放可能な建具などで覆いでいるだけだった。
寝殿造りの遺構は残っていないが、当時の日記などをもとに復元された図などをみても、きわめて開放的で風通しがいい住居であったといえる。こうした空間であれば、草花の香りを感じたり、香りの文化として、空薫物によって室内に香りをくゆらせたり、薫衣香によって衣に香りを移して楽しむことが容易な空間であったことがわかる。
一方でこの開放的で風通しの良い空間には、様々な生活臭や異臭も混入してきたはずだ。『源氏物語』や『枕草子』などの王朝文学においては「匂い」や「かおり」という好ましいイメージの記述は多数あるが、一方で好ましくない「臭い」についてはほとんどないという。
庶民の生活が描写される『今昔物語集』には、死にかかった病人を道端に捨ててくる話などもある。また『御堂関白記』にも道端に置かれた死体についての記述がある。さらに当時の庶民は道端で糞便をするのが普通だったのであり、下水道などのない時代でもあり、平安京は糞尿都市でもあった。また疫病が蔓延すれば死体があちこちに放置される死臭都市でもあったのである。
風向きによっては、異臭は貴族たちの住居にも流れてきたはずである。貴族たちはこうした異臭から逃れるために、薫物によって自らの生活空間を満たしたのではないか。貴族社会の香り文化は、よりよい生活を維持するために必要だったのかもしれない。さらにいえば当時の貴族は、入浴も占いで日を選び、せいぜい五日に一度程度とされていた。髪の毛の匂いや汗臭い体臭などを防ぐためにも香を焚く必要があったのだ。
平安朝の優雅な香りの風景には、一方で様々な日常生活における臭いも存在していたのかもしれない。