今回、浜離宮に来たのにはもう一つ理由があった。それは歴史的遺構としての文化財庭園の現代的意義とかそのへんに少しばかり関心があったこと。そしてうちの場合は、車いすの妻を連れて、こうした歴史的遺構を巡るとなると、やはりバリアフリーとの兼ね合いについて意識せざるを得なくなる。
歴史的な文化財という点でいえば、それを出来るだけ以前の状態で保存することが第一義とされる。そうであればバリアフリーのための設備は文化財保護と対立することになる。歴史的建造物にエレベーターを導入すべきかどうかといったこともよく話題になる。まあ一般的には木造建築物の保存を第一命題としてあるのだから、そこにエレベーターなどもってのほか。文化財は観光資源ではないという議論になる。一方で、高齢化社会が進行する現代にあっては、歴史的遺構の保存も現代の生活空間に即していく必要もあるのではないかと、そんな議論もでてくるかもしれない。
文化財としての日本的庭園は、もともとは周辺の自然景観との一体化が根底にある。日本庭園の伝統的空間認識とは、周辺の自然環境との連続したものとして形成されてきたのである。そうだとすると、都内の文化財庭園の周辺はどうかといえば、近未来的な高層ビルが林立するTOKYOが現出している。未来的かつモダニズムの極致のようなビル群に囲まれた伝統的文化財庭園。
今回、浜離宮の園地を周遊して、写真を撮っていても、常にその背景には周囲のビル群が映りこむ。それはあたかも伝統的空間の中に入ってくる、いわば未来的な借景としてビル群の風景なのである。近景、中景の伝統的空間と借景としての未来的遠景。それが大都市内の文化財庭園の在り様になっている。
そうであれば、もっと現代的な装置と伝統的空間を融合させるような所作があってもいいのかもしれない。まだ漠然とした思いつきのようなものだが、そんなこと考えつつ、浜離宮を訪れた。
<浜離宮園内図>
パンフレットには上記の園内図が掲載されている。点線部分がフラットな遊歩道であり、車いすで通行可能なコースだ。とはいえ舗装されているわけではないので、一部はかなり凹凸があるし、入口を入ってすぐのところは砂利道である。比較的砂利の密度が薄いので車いすを押して進めばなんとかなるが、多分自走は難しいかもしれない。
また車いす通行が難しいところは、石畳や明確な段差などがあるが、介助者の操作(前輪を上げて乗り越える)によっては通行できるところもけっこうある。逆に車いす通行可能なルートにもアップダウンがあり、また舗装された部分が痛んでいるためなのか、段差があちこちにある。車いすは小さな段差に前輪がとられてつんのめったりすることもあるし、本当に小さな段差や、それこそ小さな石などを乗り越えることができないで往生することもある。
まず大手門橋を渡ると入口の前に身障者用の駐車スペースがあり、大手門を入ってすぐの右手にあるサービスセンターで駐車許可書をもらい掲示する。この駐車スペースには身障者手帳の提示が必須のようだった。
池にかかる「お伝い橋」に行くには必ず石の段差があり、車いすで橋を渡ることはできない。当然、潮入りの池の中にある中島の御茶屋にはいけない。まあこのくらいの段差は、介助者が車いすの前輪を上げてやり過ごせばなんとかなるのだけど、今回はチャレンジしなかった。
池に沿った遊歩道は石段になっていて、その右側に一応う回路がある。でもけっこうでこぼこしている。
橋の前は必ず段差がある。まあこの程度は介助者がいればなんとかいけるとは思う。
基本都会のど真ん中の珍しい潮入りの庭園というのが浜離宮の特徴である。江戸時代は将軍家の庭園であり、鴨場があり、園地は海水を引き入れて干潮によって位が変わるようになっている。海浜を埋め立て造成することで生み出された、当時的には新しいタイプの庭園だったのだろう。そして埋め立てた先の海は自然そのままの東京湾だった。
でも現在はというと埋め立てが進み、目の前は運河、その先には晴海の臨海副都心のビル群が立ち並ぶ。さらに園の裏側は汐留のビル群である。そうしたなかで文化財庭園を出来るだけ昔のままにということの意義には、ちょっとだけ首をかしげるような気分もないでもない。
現在では景観を出来るだけ損なわないような景観舗装技術も随分と発展している。昔の庭園だから砂利を敷く。文化財庭園だから当然のように飛び石を置き、橋の手前には石段を置く。そのへんはユニバーサルデザインとの兼ね合いでいえば、そろそろ止揚していくことも検討してもいいのかもしれないなと、思ったりもする。
かっては支配者、権力者、富裕層たちのためだけに存在した、歴史的遺構、文化財庭園は、少なくとも現在は開放されて市民の憩いの場でもある。ユニバーサルデザイン的な誰でも利用できるという部分。
歴史的文化財の保存、保護といっても、もはや庭園を構成する周囲の自然は完全に失われている。京都あたりは景観を維持するために開発規制があるかもしれない。でも首都東京で景観保護はもう難しいだろう。前述したように、そういう意味では本来的な周辺の自然景観との一体性という伝統的空間としての日本庭園の本義は変質しているのである。そして現代的な都市の風景を借景とする形で、過去と未来が断絶するのではなく、一つながりの連続性を有する新たな景観=空間が生まれたというのが、ひょっとすると都市における日本庭園の新しい意味なのかもしれない。
まあ単なる思いつきの類だけど、少し文献にあたってこの思いつきを広げられないか思ったりもした。
とはいえ様々な小さなバリアーはあるにせよ、浜離宮という庭園は造作も美しく、埋め立て地という点でも全体的にフラットな空間で開放的でもあり、居心地の良い場所だとは思った。
そして事件というか事故が起きる。
ちょうど一番海沿い、運河に近いあたり、汐見の御茶屋跡のあたりを歩いていたときに、自分の腹具合がちょっと悪くなったので、妻を置いて一人でトイレに向かった。妻には出来るだけそのあたりにいてと話したが、まあいつものことでいえば、自走して少し散歩するかもしれない。
トイレから戻ると妻は車いすに座ってスマホをいじっている。そして顔をあげると、右側の目の周りに大きなアザと擦り傷がある。擦り傷には土もついている。どうしたのかと聞くと「判らない」と言う。おそらく転倒したのだろう、そして転倒のショックで一時的な記憶障害になったか。頭を打っているとなるとかなり大ごとになるかもしれない。
とりあえず近くのトイレに行き、ティッシュやハンカチを濡らして土のついた傷口部分拭く。上下の瞼の部分も青あざになっていてじょじょに腫れ上がってきている。傷の程度からするとかなり痛みはありそうなのだが、いかんせん片麻痺で左側の感覚がない。それは本人にとっては救いかもしれないけれど、骨折していても痛みが感じられないという問題もある。さてどうするか。サービスセンターで救急車を呼んでもらうか、車で近くの救急病院に連れていくか。とにかく急いでサービスセンターに行く。
そこで出てきた女性に転倒したこと、そのときの記憶がないことを話すと、すぐに救急車を呼ぼうということになる。そして30分かかるかかからないかくらいで救急車が到着。妻は車いすからストレッチャーに移って救急車へ。救急隊の人に、車いすから転倒したこと、顔の怪我とは別に、ショックで記憶がないので、頭を打っている可能性があることなどを説明する。そして受け入れ先が決まるまでは救急車の中で待機することに。
受け入れ先については、脳外科はないがCT検査はできる病院が近くにあり、受け入れ可能ということだったので、そちらをお願いすることに。それから妻はそのまま救急車で搬送され、自分は車で向かうことにした。病院は銀座四丁目にあり歌舞伎座の近く。浜離宮からはかなり近い。とはいえあの辺は一方通行が多く、おまけに駐車場もないという。なんとかたどり着くと救急車が止まっていたので、その後ろに車を止めハザードを出し、念のため駐車禁止除外指定車の標章をボンネットに置いて病院の中に入る。
夜間受付の抜けると救急隊の人もまだいて、その奥の処置室で医師が妻の怪我の治療をしていた。そこで説明を受けると、すでにCTを撮ったみたいで、その画像を見ながら、脳内の出血や頭蓋骨の骨折はないという。そのうえで傷と打撲については、これから腫れが酷くなるのと、青あざも目の周りに広がる。それは2~3週間で消えるはずとのこと。ようは打撲と擦り傷だけのようで一安心した。
その後会計して(都内なので普通に3割負担)、病院の前の薬局で化膿止めの抗生物質の軟膏を処方してもらう。なんだかんだで6時をだいぶ回っていたみたい。
帰路は首都高からいったん下道に出て関越に乗り1時間くらいで地元に戻った。その間、妻は頭痛がする、吐き気が少しあると言い、さらに生あくびも何度かするのでちょっと心配になったが、しばらくすると寝入ってしまった。起きた時には吐き気はだいぶ良くなったみたいだ。
高速を降りてから、ドラッグストアでガーゼ、絆創膏、貼る眼帯などを買い帰宅。夕食は妻にはおかゆを作って茶碗の半分くらいを食べさせた。妻はそのあとすぐ寝てしまった。
翌日(6日)、妻の顔の腫れは結構ひどく、青あざも広がっている。とりあえずデイは休みにして、1日ついていた。食事はこの日は三食おかゆ。傷の手当も恐る恐るだが、消毒して処方された軟膏を擦り傷の部分に塗り絆創膏を張る。目の部分には貼る眼帯をあて、その上から冷えピタで冷やすようにした。傷の処置をしている間もあまりよく目が見えないと妻は言う。さらに左目が眼帯で完全にふさがると、さらによく見えないという。頭の方は問題ないが目の状態はどうなのかちょっと心配になってくる。
次の日(7日)、朝のうちに自分が白内障の手術を受けた眼科医に妻を連れていくことにした。ここはいつもえらく混むのだが、土曜日ということもあり待合室はほとんど満席状態。それでも土曜日は応援医師が入り、二人体制で診療するということで、45分くらい待って診てもらえた。
医師は自分が手術をしたときの人ではなく、応援の女医さん。転倒して目を打ったこと、救急搬送されてCTとかは受けている等を説明。そのえでいろいろ検査してもらったが特に異常はないという。ただもともと糖尿病の治療を受けていることも話しておいたので、眼圧なども検査してもらったところ、両目に白内障があるという。特に右目のほうはだいぶ進行しているので早めに手術したほうがいいという話だった。視力は右目が0.4、左が0.8ということだった。痛めた左目を眼帯で塞ぐと急に視力が減退するのは白内障が原因のようだった。
視力検査にも一応付き添ったが、右目は0.4どころかみた感じだと0.1くらいではないかとさえ思えた。視力検査の一番上の記号もけっこうどっちが開いているのか答えにくそうにしていたから。
とにかく今回の怪我に関しては、脳に異常はなし。目の方も問題はなさそうだ。ただし白内障はおそらく来年中に手術しないといけない。
デイにいけないので家で入浴させると、左の太もものあたりと膝のあたりにもアザがあることに気が付いた。車いすごと左側に転倒したのか、車いすから落ちて左側に転倒したのか。もし車いすごと転倒していたら、一人で車いすを起こして自分も車いすにつかまり座ることなどできるのだろうか。ひょっとしたら誰かが助けてくれたのか。でもそうだとしたら、自分が来るまでそこについていてくれるはずだ。
妻は3日目くらいからなんとなく記憶が蘇ってきたみたいで、どうも少し傾斜になっている遊歩道を後ろ向きに自走して進もうとしたところ、前輪が小さな段差にひっかかってそのまま車いすから落ちて顔から地面に激突したようだという。そして無意識に車いすにつかまって立ち上がり座ったようだと。ただし、まだ夢みたいな話ぷりで、完全に記憶が戻ったわけではない。救急で診てくれた医師はおそらくそのときの記憶は戻らないみたいなことも言っていた。
9日の月曜から妻はデイケアに行っている。日常が戻りつつあるということだ。
ということで転倒事故はなんとなく収束しつつある。
しかし都心にある有名な日本庭園を訪れ、介護する自分はなんとなく伝統的庭園のバリアフリー状況について問題意識をもっていて、それなのにちょっと目を離した時間に、ちょっとしたバリアで転倒事故が起きる。妻が障害をもってからすでに19年になるけど、転倒事故はまったく初めてのことだ。日常を生きるということは、緊張感を弛緩させるという部分もある。でも本人も自身が障害者であるということをもう一度自覚すべきだし、それ以上に家族であり、主たる介護、介助者である自分はもっと緊張しているべきだとは思った次第。