哀れなるものたち  (1月30日)

 

哀れなるものたち | Searchlight Pictures Japan  (閲覧:2024年2月3日)

哀れなるものたち (映画) - Wikipedia  (閲覧:2024年2月3日)

 

 アカデミー賞11部門にノミネートと話題になっている作品ということで観てみた。特に主演女優賞にエマ・ストーンがノミネートされている。今回は贔屓にしているキャリー・マリガンが『マエストロ その音楽と愛』でノミネートされている。個人的には何度も賞を逃しているキャリー・マリガンの受賞をなんとなく押しているのだけど、世間的には圧倒的にエマ・ストーン優勢のようなので、はてさてどんな映画かと。

 『哀れなるものたち』はフランケンシュタインの女性版というふれこみで、身投げした若い妊婦ベラが天才外科医によって生き返る。しかも脳には自ら身ごもった胎児の脳を移植してというキテレツな設定(表現が古いなあ)。

 外科医はベラを自宅で養うのだが、身体は大人の成熟した女性だが、知能は赤ちゃん、身体的にもよちよち歩きという状態。そしてベラは急速に成長をとげ、見聞をひろめるため外の世界へと踏み出し、様々なことを体験する。

 この映画はR18指定となっている。最初に外科医が解剖するシーンなどが出てきて、けっこうグロいのでそっち方面かと思っていたのだが、途中からR18指定の理由がわかった。エグいセックスシーン満載である。とにかくエマ・ストーンがやりまくる。しかもヘアも露骨に描写されるなどなど、エマ・ストーンのまさに身体を張った演技。とにかく凄い。

 なぜにエロかといえば、身体は成熟した女性でも、心は子どものベラである。その成長の過程でまず自慰を覚える。次にはロリで放蕩な弁護士オヤジに外の世界に連れ出され、客船に乗って旅にでる。旅行の間、とにかくヤリまくる。ロリで好色なオヤジとセックス覚えはじめの心はローだか、ハイだかのティーン娘である。

 次に客船で知り合った老婦人とその共をするインテリの黒人青年から、本をすすめられ、哲学や文学に触れる。様々な知をむさぼるように吸収するベラはヤリまくるオバカ娘から脱していく。そして社会の矛盾、貧困などの社会問題にも目を向ける。そうなると好色なオヤジなどどうでもよくなる。

 ベラは好色なオヤジ弁護士を捨ててパリで娼婦となる。娼館のヤリ手婆は娼婦たちを搾取しつつも優しく客あしらいを教える。システムは簡単、客から30フランを取り、娼婦たちが20フラン、やり手婆は10フランを受け取る。

 娼館では社会主義者の娼婦の友だちもでき、ベラは誘われるままに集会にも顔を出す。そして娼館を訪れる客たちの様々な性の趣向。遊び人風のオヤジは挿入してあっという間に果てる。ブルーカラー風の親爺は無言で一方的に襲ってくる。なかには男の子を二人連れたインテリ風の父親は、自らがベラの上にのしかかりながら、セックスの手順を子どもたちに解説する。子どもたちはメモとるなどなど。

 この映画の原題は『Poor Things』は直訳すれば「かわいそうなこと」である。邦訳のあえて「哀れなるものたち」だが、この「哀れなることども」はさしづめセックスを介在した男性たちの所作であるかのようだ。男たちはセックスにより女に対して優越性を誇示している。でもそれはある種の虚実であり、実は性的欲望に支配された哀れな所業にしか過ぎない。多分、そういうものかもしれない。

 だとすれば現代の「Things」は男性優位の社会全般を暗示しているのかもしれない。哀れなる男性社会。

 そういう部分からもこの映画は実はきわめてメッセージ性の高いフェミニズム映画でもある。さらにいえば母親でありながら、自分の子どもの脳を移植されたベラの成長が時間軸として物語をすすめるそれは、女性の成長物語である。最初は親(外科医)の庇護のもとに育てられ、次にはエロオヤジによって性的に調教される。でも知識を得て、さらに娼婦として職業をもち、最後は自立した女性となる。娼婦は女性の原初的な職業とはよくいわれることだが、それをこの映画はあからさまに明示しているに過ぎない。

 映画の時代設定は19世紀から20世紀前半だが、外科医の講義する医大の教室、外科医の広い屋敷、さらにはベラが旅する客船、途中によるリスボンの町、すべてが古めかしくもどこか現実離れした人工性を帯びていて、この世のリアリティとは無縁だ。下敷きとなっているストーリー、フランケンシュタインの世界ともいうべき、ゴシック・ロマンス的世界を大がかりなセットで現出させている。

 エマ・ストーンアカデミー賞がどうなるか(受賞はかなり確率高そう)。それは置いといても多分確実に、美術賞と衣装デザイン賞はもっていくのではないかと思ったりもする。

 映画は世界的にも大ヒットしているという。確かに面白い映画だと思う。途中、若干のダレ場がある。主にセックスシーンだったと思う。この歳になるとセックスシーンは意外と退屈だ。人のセックスで笑うなではないが、笑えないし、興奮もない。ただただ退屈な。

 そういえば学生時代、日活ロマンポルノをよく名画座でおっかけて観たけど、あれもけっこう途中で退屈して寝ていたような気がする。寝て、起きてもスクリーンでは同じような「まぐあい」のシーンが続いていて、なんなら役者も同じだったりして。

 この映画でやたらめったらヤリまくるように描写されるセックスシーン、これもまた「哀れなることども」の所業なのである。なのでその哀れさをこれでもかこれでもかとばかりにスクリーンに映し出す。エマ・ストーン、すでにアカデミー賞女優なのに、よくもこの映画のオファーを受けたと思うし、まさに熱演しているとは思う。

 この映画、とにかく面白かった。そして繰り返しになるけど、この映画は極めて秀逸なフェミニズム映画でもある。でも、もう一度観ようかというとちょっと躊躇うというか。これも繰り返しになるが、過度に繰り返されるセックス描写はあまり好きではない。それがリアリティがあればあるほどに、人のセックスなどどうでもいいわという気持ちが生じる。

 2023年は二つの良質なフェミニズム映画が出現し、いずれも大ヒットした年として記憶されるのかもしれない。一本はマーゴット・ロビーの『バービー』。そしてもう一本がエマ・ストーンのこの『哀れなるものたち』だ。

 しかし、なんで『バービー』はあれだけ話題になり、大ヒットしたのに、アカデミー賞では監督賞にも作品賞にも、そして主演女優賞にもノミネートされなかったのだろうか。ひょっとしたらバービーたちの過激なセックス描写がなかったからかもしれないかと、ちょっとだけ穿ってみたりして。