政治のことなどをいくつか

トランプ再選という憂鬱

 どうやら共和党はトランプが大統領候補となりそうだ。そして今のバイデンの不人気、年齢からするとアメリカの次期大統領にはドナルド・トランプが再選されることになりそうだ。我々はまた4年間悪夢の世界を過ごすことになるかもしれない。いや、その確率は高まっている。

 フロリダ州知事として人気の高いデサンティスは、トランプと同じようなタカ派的発言を繰り返し、ミニトランプとして、またトランプの後継のごとく振る舞い、候補者指名を目指した。しかしその野望はついえた。しょせん彼はトランプのコピーである。そして現在進行中の共和党候補者争いには本家がいるのである。コピーがオリジナルに勝ることはあり得ない。そういうことだ。

 自分にとって不都合なことをすべて「フェイク」と断じる男、前回の大統領選での自らの敗北をいまだに認めない男、民主主義の象徴的存在であり、国権の最高機関である議会を襲撃するよう支持者を煽った男が、ふたたびアメリカの最高権力者、世界のトップに返り咲こうとしている。頭を抱えるような事象が日々着々と進行している。

 なぜトランプなのか。アメリカ人の良心、理性はどこへ行ってしまうのか。多分、リベラルなアメリカ人、民主党の支持者たちは、みんな頭を抱えつつ共和党の候補者争いを見つめているのだろう。世界中のリベラリスト自由主義者がそうであるように。

 

 朝日の国際欄に「アメリカ大統領選2024 混迷を歩く」という連載記事がある。その二回目にドナルド・トランプに心酔する共和党のニューカマー(新参者)について取材した記事がある。

 アイオワ州マスカティーンにある地元共和党本部に集まるトランプ支持者たちにインタビューした記事である。そこから浮かび上がるのは、トランプの熱狂的な支持者たちは従来の共和党員とは異なり、トランプの登場とともに政治に興味をもった人々であることだ。そして他の候補者たちが資金面で大口献金に依拠しているのに対して、トランプの選挙運動では、個人の小口献金に支えられている。トランプ支持者とは、従来の共和党員=金持ちとは異なる、無名のブルーカラーたちなのだ。

 以下彼らのインタビューを引用する。

「政治に興味を持ったのはトランプが登場してから。甘い言葉でごまかすことなく、本音で話をするのがいい。以前は地元の政治家なんて一人も知らなかったが、今なら全員わかる」(デニス・エゲンバーグ)

「トランプは金持ちなのに我々と同じような言葉遣いをする。選挙後も態度は変わらない。そんな人物を、どうして悪いヤツだと言うことができるんだ」(ダニエル・フリーマン)

民主党は米国に対する憎悪を人々に植え付けている。白人であれば誰もが人種差別主義者だ、とレッテルを貼られる。愛国主義だと言えばまるで悪いことのような扱いだ」

「だからトランプが好きなんだ。米国を愛し、我々の苦労を分かってくれる。米国人であることに誇りを感じさせてくれる」(ダニー・チック)

 無名のブルーカラー、体を張って仕事をし家族を養ってきた。彼らは「自分の力で米国を支えてきた」という自負を持っている。でも政府は彼らになにをしてくれた。トランプだけが「彼らにもう一度君たちが主役である偉大なアメリカを取り戻そう」と語りかけている。そういうことなのだろう。

 彼らに理性的なものごと、思慮分別を求めても仕方がないのだろう。様々な多様性、かっては大らかに容認されていたことがら現代のおいてアウトとなっていることにも、けっして理解など示さない。

 2025年からのトランプの4年間、世界はさまざまに逆コースをいくことになるだろう。アメリカ・ファーストを掲げるトランプは早々にウクライナ支援をやめるかもしれない。ヨーロッパのことはヨーロッパで、アメリカにとって利益にならないことへの介入は避ける。ある種のモンロー主義プラグマティズムだ。アジアは、中国との対立はどうか、中国がアメリカの商品、生産物を買ってくれる限りは、かの国は良い国になるかもしれない。

 そして様々な多様性への取り組みも逆コースとなるだろう。女性の社会進出、LGBT、人種差別撤廃への取り組みなどなど。

 アメリカの分断はさらに進行するだろうし、同時に世界もより一層分断されていくのだろうか。

 悪夢の4年間

土建屋政治家の顛末

 安倍派議員の中でもダントツの集金力をもち4千万円以上を集め略式起訴された谷川弥一議員が議員辞職するという。当選7回を誇り集金抜群。「金を集める力は、政治家にとって偉くなるために必要なことだと思っていた」と述懐するこの政治家は、また当選7回で大臣していないのは清和会(安倍派)で俺だけ」と自嘲君に語っていたとも。

 かって国会質問にたち、時間が余ったのでと般若心経を唱えたこともある名物議員でもあった。ある意味、当選回数と大臣就任はイコールであるなかで、この人が大臣にならなかったのは、自民党の見識でもあり良心の現れでもあったのではないか(皮肉)。こんな人物を大臣にしたら、おそらく国会答弁で立ち往生するだろうし、おそらく方言、失言の類で早々に辞任に追い込まれる可能性もあっただろう。それを思うと、いくら当選回数を重ねてもポンコツポンコツということなのだろう。

 しかしなんでこんな男が代議士を続けることができたのか。谷川氏は1971年に創業し、グループ売上高300億円超の九州有数の住宅メーカー谷川建設のオーナーだという。おそらく地方にあって政治家の権力とビジネスはうまく融合していたのだろう。土建屋が政治家となれば、様々な便宜を自らのビジネスに活かすことができただろうことは想像に難くない。そして建設業はもっとも資金を集めやすい。みんな公共事業を含め仕事と政治が直結している。おそらくその差配をもっぱらにして、地方で権力構造を構築してきたのだろう。

 21世紀にあってもこんな土建屋が政治家を務められることがちょっとした驚きではある。でも地方にいけばいくほど、政治家は地元の地主や中小企業経営者、自営業などの資産家によって支えられ、その利権構造の中で醸成されていくのである。どこも保守政治家が強いのは多かれ少なかれ、そういう富裕層の利害の上にのっているのではないかだろうか。

 それを思うと、谷川弥一議員の記者会見、パワハラ力満載のその語りは、ある種の典型、ロールモデルを見る思いでもある。

それでも自公が勝つ

 自民党派閥による裏金疑惑は、結局のところ大物議員の起訴は見送られ、谷川弥一議員のような陣笠的な小物な数名起訴されるだけで終了した。自民党は岸田総理総裁が、早々に自身の岸田派の解散を明言し、安倍派、二階派がそれに追随する。でもそれが単なるポーズ、問題のすり替えであり、政治資金を巡る問題が一掃されることはないことは、多くの国民が感じている。それは内閣や自民党の支持率にも反映されている。

 そんな自公政権にとって台風並みの逆風が吹くなかで、疑惑の中心にいる安倍派幹部萩生田氏のお膝元である八王子市で市長選が行われ、自公が推薦する候補者が当選した。聞けば日本維新の会都民ファーストの会小池百合子知事も応援したという。国政レベルでの大きな敵失があっても、野党統一候補は勝つことができなかった。投票率38・66%と低調だった。それでも前回(31・46%)よりは8ポイントも上昇したらしいのだが。

 低投票率下にあっては、自民党基礎票公明党基礎票創価学会票)があれば多分かなりのところまでいく。今回のように自公にとって逆風であっても、浮動票はおそらく維新は小池都知事の方に流れるということだ。

 野党の力不足、野党はだらしがない、野党は受け皿にならない、そういう論調もいつものように見受けられる。いずれもその指摘は微妙に当たっていない。マスコミは自公、政権党や維新と立憲民主や共産とでは、対称的に報道していない。つねに与党と野党では非対称である。維新は関西ではある意味、自民党を凌ぐ第一党である。しかし大阪万博を巡る問題でも維新を追求する報道はあまりなされていない。

 さらにいえば、今の立憲民主らと自公の議席数の差では、受け皿になどなりえないのではないか。国会の質疑等でも今の議席差では野党の力不足といった指摘をしても致し方ないとは思う。国会質疑においても、官僚の作文を繰り返し読む大臣たちのそれを許容し、きちんと報道していないのはマスコミである。国会中継をきちんと見ていれば、政権のポンコツぶり、作文の朗読だけに終始する姿勢などがよくわかる。でも新聞やテレビではそれはほとんど報道されない。

 まあこのへんはある意味繰り言でもある。しかしこれだけ政権に逆風が吹いていても、与党は選挙に勝つのである。日本の民主主義は20世紀に比べて相当に劣化してしまったのではないかと、そんなことをしみじみ思ったりもする。

 民主主義はドラスティックには進まない。漸次的に時間をかけてすこしずつ良い方向にいく可能性があるだけだ。もちろんその逆もあるけど。その漸次的進歩を保証するのは、多分政権交代によってだと思う。政権が代わるたびに、ちょっとした揺り戻しを経つつ、少しずつよりよい方向に進んでいく。そういうものだと思う。それを思うとほとんど政権交代が行われない日本は民主主義の後進国であり、台湾や韓国の方がよほど先進的であると思ったりもする。

 日本でこれまで行われた政権交代はというと、たいていの場合政権を担っていた保守党が分裂した時に起きている。自民党から民主党への政権交代といっても、民主党の議員の多くは自民党自由党、さきがけなど保守党の側にいた人々が中核にいた。そういうことである。

 今、自民党に相当な逆風が吹いていて、支持率も低迷してきている。選挙地盤が弱い若手議員などはけっこう動揺しているのではないかと思う。かっての新自由クラブのような形で自民党を出る者がいればそこそこの支持を集めるかもしれない。

 もし近時的に政権交代が現実化するとすれば、多分自民党が割れる時だろうかなどと、昔の事象を換用しつつ思ったりもする。

 それとは別に、ここまでの低投票率。やっぱりこの国で民主主義が定着するまでは、棄権者にはある種の罰則を設けてもいいかもしれない。事前事後にしろきちんと棄権理由(所定用紙で原稿用紙1枚程度)を提出できない場合は一律500円を住民税への加算として納付するとかなんとか。まあそういうことも必要ではないだろうか。