選挙についての雑観

 総選挙はいつものとおりの結果。前回勝ちすぎた自民党が若干減ったが、単独過半数を維持。前回急ごしらえで出来、野党第一等に躍り出た立憲民主党は当初議席増が予想されていたが大幅に議席を減らした。自民と立憲が減った部分を吸収したのは地域政党大阪維新の会。大阪の全選挙区と比例で躍進、3倍増以上の40議席を獲得した。

 政権党のコロナ対応の不手際、それ以前の安倍長期政権下での権力の私物化、公文書改竄という、他の民主主義国家ならそれだけで一発で政権が吹き飛ぶようなスキャンダルがあったのにもかかわらず自公政権は安定、維新を入れたと改憲に必要な勢力を維持してしまった。

 これはもう長く続く自公政権下で、社会が驚くほど保守化しているということなんだろうと思う。以下思いついたことの断片。

①  国民は一億総保守化した

 株価は実体経済を反映することなく上がり続ける。その中で格差はひろがり、さながら身分社会のように、階層は固定化され一部の富裕層に富は集中し、多くの者が貧困にあえぐ社会になってしまった。さらに高度成長期を支えた分厚い中間層が消えてしまった。

 そうした中、若者の間では親ガチャという言葉まで生まれる。つまり親の経済力によって人生が決定してしまう。そういう社会ではただひたすら安定を求め、現実を変える、自分の経済状況を向上させる想像力が失われてしまっている。

 みんな現在の状態が続けばいい、これ以下になりたくないというマイナススパイラルでの現状肯定を良しとしている。緩やかな上昇さえ求めない消極的な保守傾向。

② 多分国民は政権交代を求めていない

 ①の一億保守化、現実変革への想像力を失った国民にとって、政権交代は大きな社会変動となる。さらにかっての民主党政権下でのゴタゴタ、それはマスコミや自民党のキャンペーンによって過大に喧伝されたのだが、その刷り込みによって、政権交代という変化をまったく求めていない。しいていえば現政権の長期一強状況に少しだけお灸でもすえるかという意識くらいしかないということ。

③ 日本では革新という概念が消えた

 20世紀の日本の政治状況にあっては、保守対革新という図式が定着していた。そして保守の左より、革新の右よりがそれぞれ中道という中間点に位置しリベラル勢力と位置づけられていた。自分たちの認識では、リベラル勢力というのはどちらかといえば、自民党内の穏健派みたいな印象があった。

 しかし今の状況では保守対リベラルという括りになってしまい、かっては保守層の一部だったリベラルがあたかも左派勢力のごとくになってしまった。そのため革新=急進改革派、ラディカリズムはあたかも過激派のような扱いである。一億総保守化においてはかっての左派勢力は失われてしまったということ。

④ 反知性主義の定着

 民主主義を語ること、思想やイデオロギーを語ること、理想を語ることは、すべて「お高くとまっている」「きれいごとを言ってる」というように忌避されるようになってしまった。その代わりに地元志向だの、「気合い」「本気」「やるときはやる」「ぶっこわす」のような意味内容不明なフレーズが横行するようになった。

 地元至高、保守的傾向は、たしか斎藤環あたりが「マイルドヤンキー」と語っていたような気がする。そうした社会では政治を語ること、文化や芸術を語ることは禁忌されるようになってしまったようだ。