伊勢神社内宮
最初に向かったのは伊勢神宮内宮。本当は途中でどこか美術館にでも寄ろうかと思っていたのだけど、出遅れたこともあり直行した。埼玉からトイレ休憩と一度亀山で給油のため高速を降りた以外はずっと運転して6時間半。伊勢についたのは2時をだいぶ回っていた。
内宮に来るのは1年半ぶり。というか前回の伊勢志摩旅行がゴールデンウィーク開けの5月中旬くらいだったから。内宮はその翌年にも行っているのだが、その時はコロナ禍で閑散としていた。去年は行ったのが土曜日ということもありかなりの人出。そして今年はというとウィークデイでもけっこう人多かった。
去年はちょうど神御衣祭(かんみそさい)という神様の衣替えをやっていたのだけど、今年は特にイベントらしきものもなく。いつものように敷き詰めた砂利に難儀しながら車いすを進めた。
この規模の大きな神社はというと出雲大社には行ったことないので、せいぜい明治神宮くらいから知らないけれど、やっぱりここの雰囲気というか空気感はちょっと違うなと思ったりもする。荘厳とまではいわないけれど。宇治橋鳥居をくぐり宇治橋を通って神苑に入るとなんとなく空気が違ってくるような気がする。
一般的に空間デザインという点でいえば、鳥居は「ここから先は神聖な空間」ということを象徴的に示す境界である。連続した空間をこの鳥居で切断し、そこから先を神聖な空間に区分する。さらにこの内宮には宇治橋という全長101.8メートルの橋を通ることで、よりいっそうその先の神苑以降の神聖性を高めているといっていいのかもしれない。多分我々が感じる、空気感の違いはそうした意図して作られた空間デザインによるということなんだろう。
神苑から橋という感じのしない火除橋を渡ると右手に御手洗場と五十鈴川がある。結局なんだな、宇治橋にしろこの御手洗場にしろ、伊勢神宮の神聖性はこの五十鈴川の雰囲気によって醸成される部分がけっこうあるのかもしれない。
川面をよく見ると小さな魚が群れをなしている。それも半端ない数で。
そしてさらに神聖性を抱かせるのが巨木が続く森の中だ。妻はいつもここに来ると少しだけ歩いてみたりする。別の神的なパワーとかそういうことではまったくないのだろうけど。
そして森の先を左に曲がった階段をのぼると正殿にたどりつく。
この階段を鳥居の先の正殿は唯一神明造という日本古来の建築様式で、20年ごとに建物を建て替える式年遷宮によってかっての姿が継承されている。前回は2013年だからもう10年前になる。
神社建築についてのおさらい
いちおうおさらいで神社建築とかを少しだけまとめてみる。このへん去年日本芸術史でやったはずなのだが、まったく覚えていないのが悲しい。
神明造(しんめいづくり)・・・・・・伊勢神宮
切妻造、平入りで弥生時代の穀倉としての高床建築と類似する。伊勢神宮の本殿の様式である。
住吉造(すみよしづくり)・・・・・・住吉大社
切妻造、妻入りで内部が内陣と外陣に分かれている。大阪市住吉大社本殿が代表的建築
大社造(たいしゃづくり)・・・・・・出雲大社
高床、切妻造、妻入りで入口は妻の右側にある。内部は四つに分かれ、神座はいちばん奥にある。
春日造(かすがづくり)・・・・・・春日大社
切妻造、妻入りで正面の階段上に社殿と同じ幅の階隠(はしかくし、ひさしのこと)の屋根をつけているのが特色。奈良春日大社の様式。
流造(ながれづくり)・・・・・・上加茂神社
神明造りから発達したもので、屋根は前のほうが長くのびて、向拝(正面のひさし)をおおい、母屋の屋根と向拝の屋根が一連のなだらかな曲線を描くようにつくってあるのが特色。代表的なのが京都の賀茂御祖神社本殿であるが日本の神社の約7割は流造であるといわれる。
八幡造(はちまんづくり)・・・・・・石清水神社
後殿に軒を接して前殿をつくり、合いの間で連結している。宇佐神宮本殿の様式。
日吉造(ひえづくり)
切妻造の正面左右にひさしをつけている。日吉大社が代表的建築である。
権現造(ごんげんづくり)・・・・・・日光東照宮
本殿と正殿の間に石の間をという別棟を設けて、上から見ると「エ字形」に連ねたもの。京都の北野神社、日光東照宮などがその例である。
この千木は伊勢神宮の場合、内宮は内削、外宮が外削となっている。
外削ぎは祭神が男神で、内削ぎの祭神は女神といわれている。そのため伊勢神宮内宮は内削ぎ、外宮は外削ぎとなっている。さらに鰹木も内宮は10本(偶数)で外宮9本(奇数)となっているが、これもまた偶数は女神、奇数は男神を祀ることを表しているという。
御朱印
ここ最近は神社仏閣に行くときはできるだけ御朱印をもらうことにしている。もともと御朱印などというのはあまり興味もなかったのだけど、たしか2017年に平安神宮で御朱印帳を買ってから始めた。といってもその後1年くらい放っておいた。観光に行くときに必ず持っていくという習慣も特になかった。そこでせっかく買ったのだからと、車に載せている車いすの後ろのポケットに御朱印帳を入れておくようにした。そうすればすぐに出せるとかまあそういうことだ。
その後ももらったり、もらわなかったり。なぜか伊勢神宮内宮だけは毎回御朱印をもらっているので、今回で都合3度目である。同じ神社で何度ももらうことにはいろいろな意見もあるようだが、まあある種の記念、記録みたいに思っていたりする。内宮の御朱印は以下のように簡素なもの。初穂料は300円也でした。
丸干支
神苑の近くにある参集殿(休憩所)には売店があって、土産物やグッズが販売されている。そこにある小さな丸干支を妻がえらく気に入ってしまった。2024年の干支である辰は通常は薄い青色なのだが、限定品として金色もある。当初家用と子ども用などで3個ほど買ったのだが、翌日になって妻が人にも上げたいという。そう思い立つとずっと言っている。ほとんど子ども状態になる。それが障害に起因するのかどうか。
病気の後、転院したリハビリ病院で最初に検査したときには認知機能も相当に低下していた。リハビリ等で回復した部分もある。でも途中で心理のテストを受けたときに先生からは小学生くらいの知能みたいなことを言われてショックを受けたこともあった。
そういうことがあるので、丸干支がもっと欲しいので内宮にもう一度寄ってほしいとは翌日、翌々日もずっと言っている。拘泥と言ってしまえばそれまでだけど。なので9日の最終日、鳥羽から内宮に向かった。土曜日でも4時近くだったので駐車場もすんなり入れた。そこで再び参集殿に向かったのだが、売店は4時で終わっていた。
ちょっとがっかりしつつも引き返す。せっかく内宮に来たのに正殿に参詣なしであるまったく罰当たりである。まあ前々日にお参りすませているしということですぐに戻って宇治橋鳥居の横にある参宮案内所で聞いてみる。すると神宮会館の売店に多分あるはずだという。神宮会館は参道沿いにある参拝者専用の宿泊施設である。徒歩で300メートルくらいの距離であり、おかげ横丁にもほど近い。
車いすをおして行ってみるとグッズも置いてありました。そこで妻が言うにはデイサービスの友だちたちにあげるからと全部で4つ購入することに。前々日の分を合わせると都合7つ。まあこういうもので1個500円也でした。
NIGHT SHRINE
9日、神宮会館を出た後道路を渡っておかげ横丁に向かう。まだ昼食をとっていないので、ふく助で伊勢うどんでも食べようと思ったのだが、このへんの飲食店はだいたい4時半くらいで終わる。遅いところでも5時とか。それでおはらい町の通りをうろうろと。さすがに薄暗くなってきている。その後たまたま5時半まで空いているところを見つけて食事をとる。
駐車場に戻ったのは6時少し前。宇治橋鳥居の前には通行禁止の柵が置かれている。参拝は5時までのようだ。もうほとんど真っ暗な中、周囲の灯りに照らされた大鳥居はちょっと荘厳な雰囲気。夜の神社、深夜この鳥居を縊り宇治橋を渡って神苑を通り、巨木の森を抜けて正殿に向かう。間違えると黄泉の国にでも行ってしまいそう。
夜の神社はどこか異世界のような雰囲気が漂っている。もっとも大晦日から正月にかけては夜間を含めて終日参拝できるのだからなんということもない。でももし普段の日に深夜、ここに迷い込んだら・・・・・・。本当に戻ってこれなくなってしまうような、そんな感じもしないでもない。