先日、友人と話をしていたときのこと。
ちょうど手術を受けてから一か月後、医者に恐る恐る酒飲んでもいいかと聞いたところ、少しならというお言葉をいただき、早速飲んだときのこと。一か月酒やめてたけどさほど感動もなく、中生二杯で数時間ねばるという。いつもなら生二杯からのハイボールとかバーボンのロックとかでダラダラするのに。
その時にどういうことでそんな話になったか覚えていないが(まあ酒席での話なんてみんなそうだ)、「戻れるなら。若いときのどの時点に戻って人生やり直すならいつ」みたいな話になった。還暦遠に過ぎたジイさんとかバアさんとかが、いったい何の話をしているんだか。
でもって、そのときに自分はというと、「どこにも戻りたくない、またあそこから人生やり直すのはしんどい」みたいなことを話した。
「あれ、前は十代に戻ってもっと勉強してみたいとか言ってなかったっけ」
「いや、どの時点に戻っても貧乏だったし、とても学習に専念できるような環境じゃなかった。しかも青臭くてしょうもないあの頃に戻るのもイヤだし、たぶんきっと同じことやるに違いない」
「戻ってやり直したくないってことは、今が一番いいってことだよ」
「それは違う。今もしんどい。結局、あまり良い人生じゃなかったみたいな気分だ」
「たぶん傍からみれば、今現在はけっしてまんざらでもないように見えるよ。仕事もしていないし、当座金にも困っていないでしょ。通信教育の大学までいってるし」
同い年の友人はまだ現役バリバリで仕事をしている。もちろん金にも困っていない。向こうからすれば、プラプラしている自分は不幸とは思えないらしい。まあそうかもしれない。
たしかに以前は、若いころに戻りたいみたいなことをよく言っていたかもしれない。中学とか高校くらいの頃に。戻ったらたしかにもっと勉強していい学校にいって、できれば研究職とかそういう仕事につくみたいな、そういう人生やり直したいとか思ったり、口にした時期もあった。
でもね、戻ってもあの環境だったら。そう思うくらいに我が家は貧乏だった。片親で祖母も家事をしていたけれど、たぶん中学くらいからは自分が家事とかしていたことを思い出す。一週間に一度洗濯をすると、父、兄、自分の分の下着類だけでもけっこうな量になった。結局、子どもの頃からいまにいたるまで、家事はいつもついて回る人生だった。
大学は入学金だけ出してもらったが、授業料はアルバイトでねん出した。新学期になっても学費稼ぐまで授業に出れないなんてこともあったか。文化系のサークルで部長していてた時、新勧時期に学校に来れないというのが常だった。新人が「部長さんは不在なんですか」「部長はバイトで忙しいみたい」みたいな感じだったか。
金のこと、家庭のもろもろ、いろんな抱えることが多かった。よくよく考えれば、あの抱え事をもう一度はちょっときつい。
転職を繰り返したことは何度も書いている。通算6回会社を変えた。どの時点も戻りたいと思えるような楽しい仕事だったかどうか。だいたいが営業職が多かったから、ある意味頭下げて回る仕事ばかりだった。三十代で小さな出版社の営業責任者を何度かやった。課長だったり、部長だったり。仕事に追われる日々だったが、それなりに充実してたかもしれない。とはいえ週に一度や二度会社に泊まるような日々をもう一度送りたいかといわれれば。
最後に移った会社はどうか。以前の会社で上司だった人からの紹介でまあまあ安定したところではあった。でも安定と同時に古い社風、決まりきった仕事など面白味はなかった。ちょうど結婚を考えざるを得ない時期だったので、話にのったけれどあの選択は今となってはどうだったのだろう。
それまで管理職をずっとしてきたのに40間際で一兵卒になった。課長になるのに10年近くかかった。そしてそのころに妻が病気になり、仕事以外にも家事、育児、介護のすべてがのしかかった。まあこれも何度か書いているけど、よくこなせたものだと思う。それができたのも、結局10代の前半から家事全般をやってきたからなんだろう。
50を過ぎてからは巡り合わせもあり、いつのまにか経営職についた。そして中小零細とはいえサラリーマン双六でいえば上がりとなり数年前に退任してリタイアした。結果だけでいえばまあ悪くないと傍からは見えるかもしれない。でも正直、もう一度やることになったら御免という感じだ。
「あの日に帰りたい」、ユーミンの歌ではないがそういう気分は以前にはあったかもしれない。でも今はとてもとてもだ。恋愛でもいい、二十代の頃別れた女性と一緒になっていたらとか。人生の分岐で並行的な人生が存在する、そういうパラレルワールドがあったら。でもどの地点で分岐してももろもろ抱える部分が一緒だったら、たぶんさほど変わらない人生のような気もする。
映画『エブエブ』ではないが多元宇宙が存在し、まったく違う自分の人生、世界があるとしたら、それはちょっと違ってくるのかもしれない。でも想像できる人生はというと、たいていの場合は自分が経験してきた、生きてきた世界によって限定された想像であるかもしれない。
もしも戻れるものなら、あるいは生まれ変わったら。なんとなく思うのは、自分が生まれてすぐの頃。父と母は仲良く、二人で始めた事業もそれなりにうまくいく。住んでいたのは元町と中華街の間くらいのところだったか。あそこで父母の事業がうまくいっていれば、たぶんそこそこに恵まれた人生を歩むことができたかもしれない。高校は山手あたりのどこかへ行き、大学は横国か慶応あたりとか。横浜育ちの絵にかいたようなボンボンの人生か。
でも現実はというと、父母は仲たがいして自分が5~6歳の頃に別れ、同じころに事業も破綻して・・・・・・。そういうものだ。
父は30数年前に脳卒中で急逝した。死ぬ少し前、一緒に酒飲んでいるときになぜか分からないが母親の話になった。そのとき父は「ママはいい女だった。好きなった女性はママだけだったかもしれない」とポツリと言った。いやそんな風に聞こえた。いろいろな悪い巡り合わせが重なり父母は別れたのだけれど。
父の人生もあまりパッとしたものではなかった。自分の人生はどうか。父ほどではないがやっぱりパッとしないものだろうか。
「戻りたいと思える時期がないって、不幸な人生だね」と自分が言う。友人はというと、「結局、今がまんざらじゃないっていう風に聞こえるけど」と返してきた。