63歳になった

 63歳になった。

 ポール・マッカートニー77歳になった。

 我が家の家系的にいうと、父親と祖父が亡くなったのは63歳の時である。つまり男系的にはこの年齢が鬼門といっていいのかもしれない。とはいえ平均寿命は昔と今では段違いでもある。ちなみに女系はというと、母は5歳の時に離別して以来音信不通なのでわからないけれど、祖母は98歳まで生きたから長命である。明治女のバイタリティ満載の女性だったから、これはちょっと別の話かもしれない。

 さらにいえば歩く成人病のような糖尿病、腎臓病を患っていて、週に3回透析を行なっている7つ上の兄は健在である。先日も透析を行なっている病院から電話があり、兄が透析の時間に来ないという。携帯と家電に電話してみるも呼んではいるが出ない。

以前、同じ状況で家にいってみると低血糖で倒れていて、救急車を呼んで一命をとりとめたことがあったので、最悪を想定して急遽出かけてみた。途中、念の為再度電話してみると、電話に出てすでに病院に行っているという。なんでも送迎バスに乗り遅れたのだとか。

 拍子抜けしたが、まあ無事でなによりという思いもありつつ、病院に来ないと連絡があるのに、来たという連学がないことに無性に腹が立ち、兄を叱り、病院にもクレームの電話をいれた。酷い話ではないかと思う。

 父が死んだのは1986年のことだ。もう33年も前ということになる。自分はまだ30歳だった。アル中で糖尿病、高血圧という成人病の百貨店みたいな人だったが、その頃にはだいぶ酒量も落ちていたけど、ある時医者にかかった時に血圧が300という驚異的な数字をはじき出し、医者から帰る際にはとにかく転ぶなというアドバイスをもらったと後で話を聞いたことがある。転ぶなと言う医者も医者だが、それを嬉しそうに話す父も父だとは思った。

 父はくも膜下出血で急逝した。夜勤明けで家に帰ってきたが、一緒にいた祖母に言わせると何かいつもに比べると妙に忙しなく、同じことを繰り返して言ったり、行動もへんだったという。自分で風呂を沸かして、服を脱ぎ浴槽に入る前に倒れたという。

 祖母は慌てて、私の勤務先に電話してきた。慌てた口調で「○○さんが風呂場で倒れている、大変だ、大変だ」とまくしたてた。祖母は父の名前をさん付け日頃から呼んでいた。

 電話でのやり取りから大変なことが起きていると思い、一度電話を切って勤務先から救急に電話をした。「父が風呂場で倒れている。意識がないようだ」と話して至急救急車を要請した。

 それから自宅に電話をして祖母に救急車を呼んだことを話した。しばらくそのまま電話を通話中のままにしておいた。だんだんと遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。祖母は玄関に出て、大声で「こっちよ〜」と叫んでいる。そうした声が電話口から聞こえてきた。

 救急隊の人間が電話に出て、かかりつけの病院とかがあるか聞かれたように覚えている。それから父の状況を聞くと、一刻の猶予もできない重篤な状態とのことだった。

 救急車が去ったのを確認してから、上司に訳を説明して急遽病院に向かうことにした。当時勤めていた神保町にある取次から自宅のある横浜までは1時間45分くらいかかる。電車の中で「父と死ぬな」と繰り返していたのも覚えている。

 病院に着くと父や集中治療室にいて、酸素吸入の度に体が起き上がるような状態で、もちろん意識はなかった。実際、父は翌日未明に亡くなったが、一度も意識が戻ることはなかった。

 父の尋常でない状態に自分も半分パニックっていたのかもしれないが、看護師から「あなた落ち着きなさい」と諭されたことも覚えている。

 だいぶ経ってから兄も病室にやってきて、夜になってから医師から病状説明があった。

今夜が山場になること。くも膜下出血の状態が酷く、回復の見込みは少ない。万が一一命をとりとめても植物人間のようになるというハードな宣告だった。

 その時は正直な思いとして、たとえ植物人間になっても生きていて欲しいと思った。その夜は兄と交代で父のベッド脇にいるようにした。日が変わってしばらくしてから、父と呼吸が次第にゆっくりとなってきた。その時、父の傍にいてボブ・グリーンのエッセイを読んでいたことも覚えている。

 ふと父の方を見ると、呼吸をほとんどしていないように見えた。慌てて看護師を呼ぶ。当直の医師も駆けつけて、いわゆる延命措置を行なった。心臓マッサージや胸に電気ショックをあてる例の処置である。人とおりの処置が終わると、医師は父の傍に立ち、脈をみてから「○時○分、ご臨終です」と自分たちに告げた。すべてがドラマでよく見る光景そのままだった。

 そう、あれから33年が経った。そして自分は父が死んだ年齢になった。

 父と祖父が同じ年に亡くなっている以上、自分もある部分強烈に自分の死を意識せざるをえない。実際、いよいよその歳になったかという感慨めいたものを感じている。

 高齢化社会にあって、63歳はまだまだという部分もあるだろう。しかしここで人生を終わることになるかもしれないというある種の強迫観念がある。それはずっと自分がかかえてきたことでもある。

 遅くにつくった子どももようや来年大学を卒業という年齢になった。無事勤めに出てくれればそれはそれで一安心というところだ。片麻痺、一級障害者の妻のことを思うと、まだまだ自分が頑張らなくてはいけないとは思う反面、こればっかりは仕方がないだろうと思う部分もある。

 幸い借金はない。蓄えは最近話題になっている夫婦で2000万には程遠いかもしれないが、持ち家だし妻には年金も出ている。妻と子どもがどうにか凌いでいけるくらいにはなんとかなっているのではないかと、甘く、甘く見積もってもいる。

 仕事に関しては、かなりシビアな状況が続いていて、もうしばらくは今の役職で取り仕切って欲しいとは言われてはいるが、ストレスは溜まるばかりである。本当のことを言えば、仕事をやめてわずかな期間でも好きなことをやってみたいという思いがある。

 とはいえ大それたことを考えているのではない。読みたい本を読む、観たい映画を観る、もう少し沢山の絵画を観る、ニューヨークやパリでゆっくり絵画鑑賞をしたい、そんな程度のことだ。

 仕事を辞めたとたんに病気になる、急死する、そういうのだけはなんとか避けたいとは思うのだが、なんとなくそんな風にして終わるような予感もある。まあ人生なんてそんなものかもしれない。

 今日、自分は63歳になった。父と祖父が亡くなった年齢だ。