墓参りに行ってきた

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 昨日、墓参りに行ってきた。 

 毎回同じような写真だけど、まあこういう所なんで仕方がない。父親が死んだ時に、急遽購入した相模原の山の中の公園墓地だ。山を切り崩して作った斜面にある墓苑である。

 前にも書いたかもしれないが、この墓の山の向こうは相模川の河原がある。水郷田名というところだ。父と二人でドライブして行った最後の場所だ。夕暮れの河原に二人で座り込んで、なんとなく河岸の向こう側の山を眺めて小一時間くらい過ごしただろうか。

 時期は9月の下旬くらいだっただろうか。なんでそこに行ったのかもわからない。なんとなく車に乗って時分が運転して(父は車の免許を持っていなかった)、16号線を北上して城山の方に向かおうとしていたか、あるいは城山の方で遊んでの帰りだったか。

 そして父はそれから一月くらいして急性のクモ膜下出血で亡くなった。亡くなる一週間くらい前に時分は深酒で電車を乗り過ごし、父が夜勤で勤務していた工場に深夜父を訪ね、仮眠させてもらった。翌日父が簡単な朝食を作ってくれ、それを食べてから重役の工場長を送迎したハイヤーに乗って駅まで送ってもらった。父が仲の良いハイヤーの運転手に頼んでくれたのだった。

 父は夜勤のガードマンをしていた。私は当然昼間の仕事をしていて、あまり顔を合わすことがなかった。なので父が死んでから思い返すと、父と会って話をしたのは、時分が父を訪ねたその時が最後だった。

 父と二人で相模川の河川敷で話をしたのも、深夜東海道線で湘南まで行ってしまい父の勤め先に泊めてもらったのも、ある種の因縁なのかもしれないと30年も経った今でも思ったりもする。

 墓の前では随分と長い間手を合わせていた。いつものように家族と時分の近況を報告し、家族の健康を見守って欲しいと頼んだ。そして時分が父が死んだ年になったことを伝えたりもした。

 そう、父は63で亡くなったのだ。父も祖父もその年で亡くなっている。時分にとってはこれもなにか因縁を感じる年齢だ。

 もちろん今と30年前、祖父が亡くなった60数年前とでは医療の技術とかも違うし、平均寿命も伸びた。多分、時分がこの年でどうになるのかは神のみぞ知るというところだ。とはいえ時分にとっては強迫観念とまでは思わないが、なんとなくいろいろと考えることが多いのも事実ではある。

 墓の前で手を合わせたあとは、墓の掃除をし、数件手前にある父にとっては姉にあたる方が入っている墓にお参りをした。祖母を巡る様々な事柄のため、父には姉と妹が二人いる。そのへんのことはけっこうややっこしいこともあるし、まだ関係者も多数存命なのであまり書きたくはない。もう少ししたら少しずつ自分の知っていることを書いてみたいとは思うが、自分も実はあまり知らないことが多い。

 祖母が存命の頃、定期的に老人ホームに通って昔のことを聞いてみたが、「祖母がみんな忘れちゃったよ」と言い、ポツリポツリと断片的な話しか聞けなかった。とはいえ、最後までボケることがなかった祖母はけっこういろんなことを胸にしまいこんでいたのだとは思う。

 そうしている間に祖母も98歳で亡くなった。もう20数年も前のことだ。なのでほとんどのことがわからず仕舞いのままだ。なので自分が父や祖母から聞いたこと、兄が知っていることなどを、つなぎ合わせるしかないのだが、自分もまたこうやって歳を重ねているので、たぶん我が家のルーツみたいなことをまとめるのは多分無理だとは諦めている。

 しかし歳をとるといろんなことを思い出したり、懐かしく思ったりもする。墓参りをするたびに父のことや祖母のことを思い出したりもする。そしてさっきは、ついうつらうつらしている時に父の夢を見た。亡くなって30年も経つというのに、父の顔もぼやけているのだけど、なんとなく鮮明に父の存在を感じてしまった。これもまた墓参りのせいかもしれない。