東京国立博物館特別展「ポンペイ」 (1月20日)

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 東京国立博物館(トーハク)の特別展トーハク「ポンペイ」に行って来た。

紀元後79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、ローマ帝国の都市ポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。埋没したポンペイの発掘は18世紀に始まり、現在まで続いています。
本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。
また、ポンペイ出土の膨大な遺物を収蔵するナポリ国立考古学博物館の全面的協力のもと、まさに「ポンペイ展の決定版」とも言える貴重な機会となります。  (HPより)

みどころ|特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII

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ヴェスヴィオ火山の噴火(CG映像より)

 ポンペイについては火山で壊滅した古代都市ということくらいの知識しかなかったのだが、紀元後79年、ヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流と大量の火山灰によって一瞬にして埋もれてしまったという。その発掘(盗掘)は18世紀以降行われて、じょじょにその全容が明らかになってきた。そしておおよそ2000年前に高度に発達した文明や豊かな文化が存在していたことが明らかにされた。

 火山噴火という災害のため一瞬にして埋まった都市は、時間が止まったままのようでもあり、経年劣化が進むはずの工芸品、美術品も火山灰に埋もれることで保存状態が良いまま出土されている。今回の展覧会でもそれらの数々を目にすることができる。

 都市ポンペイの歴史は紀元前700年代に集落が生まれ、紀元前500年代くらいからじょじょに古代都市として形成された。紀元前89年にはローマに征服され植民地となった。その100年後に噴火によって都市の繁栄は突如終焉した。

ポンペイ - Wikipedia

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『女性犠牲者の石膏像』 79年/1875年

彫刻

 今回出品されているものは、紀元前2世紀頃から1世紀までの絵画、工芸品など150点余りにのぼる。それは古代ギリシア・ローマ時代の優れた文化の痕跡でもあり、それを2000年以上の時を隔てた我々が目にするのはちょっとした感動を覚える。それをまず彫刻作品に顕著に感じる。2000年前の見事な大理石彫刻、ブロンズ彫刻作品である。

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『エウマキア像』 大理石 1世紀初頭

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「ポリュクレイトス『槍を持つ人』」 前1世紀~後1世紀

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スフィンクスのテーブル脚』 大理石 前27~後14年頃

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『ヒョウを抱くバックス』(ディオニュソス) 大理石 前27~後14年頃
ソンマ・ヴェスヴィアーナより

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『ペプロスを着た女性(踊り子)』 ブロンズ 前27~後14年
大ペリステュリウム出土

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『踊るファウヌス』 ブロンズ 前2世紀

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『イヌとイノシシ』 ブロンズ 1世紀

モザイク画

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『猛犬注意』 モザイク 1世紀

 悲劇詩人の邸宅の玄関にあったものらしい。当時から犬は番犬として飼われていたということか。2000年前でもきちんと首輪やリードもある。

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『ネコとカモ』 モザイク 前1世紀

 犬もいれば猫もいる、カモもいるということか。リアルかつ見事な色彩。2000年以上前にすでに写実的な表現と鮮やかな色彩表現が獲得されていることに驚く。

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『イセエビとタコの戦い』 モザイク 前2世紀末

 魚類図鑑のような表現である。ポンペイは地中海に面しており魚介類は食材としても身近な存在だったのだと思う。中心部が欠損していてわかりにくいが、確かにイセエビとタコが戦っている。漁師の目撃談をもとに描いたものだろうか。

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ナイル川風景』 モザイク 前2世紀末

 地中海を挟んだ隣国(?)エジプトの風景。このへんは写実性を離れた想像図なのだろうか。カバやワニ、そしてマングースなどは伝聞をもとに画家が想像力を発揮している。

フレスコ画

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『書字板と尖筆を持つ女性(通称「サッフォー」)』 フレスコ 50~79年

 書字板と筆を持ち詩作に耽るような表情から、ギリシア時代の女性詩人=サッフォーと呼ばれているという。女性をの肖像画として著名な作品なのだというが、確かに美貌と知性にあふれる姿が再現されている。ヨーロッパ芸術史における才媛のイコンみたいな感じだろうか。

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マケドニアの王子と哲学者』 フレスコ 前60~前40年頃

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『三美神』 フレスコ 前15~後50年

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『イフィゲネイアの犠牲』 フレスコ 50~79年

いろいろ思ったことー芸術表現の断絶と継承

 ポンペイ出土の芸術作品を見ていると2000年前だというのにその描写や表現力はすでに完成されたものがあるように思える。でもその後の西洋美術史の流れを見ていると、素人考えだけどその後はなんというか明らかに表現が退行しているような気がしてならない。

 ポンペイの芸術はまちがいなく古代ギリシア・ローマの文化の範疇にあると思う。そしてそれ以降はというとキリスト教がメインストリームとなった文化史の流れということになる。でも例えば初期キリスト教美術はというと、その表現の多くは二次元的かつ稚拙で立体的な表現や写実性、そして光と影などの表現は中世以降のおよそ1000年近くを経過しているようにすら思えてしまう。

 実際のところ初期キリスト教美術の作品なんてこんな感じなのだから。

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 なぜに豊かなギリシア・ローマ文化とそこから生まれた芸術作法が、ある意味キリスト教文化の中で退行してしまったのか。不勉強を承知のうえでいえば、多分キリスト教偶像崇拝を禁止していたことの影響があるのかもしれない。イコンとしてのキリストが描かれるようになるには数百年の歳月を要したということらしいので、ここで人物像を描く表現方法が進歩をみなかったのではないかと思ったりする。

 さらにいえばキリスト教社会の中では、それ以前のギリシア・ローマ芸術は異教徒の文化にあたり、多分それは徹底的に忌避されていたのだろう。なのでギリシア・ローマの作品、彫刻における立体的な躍動感のある理想化された肉体の美や絵画における写実的な立体表現もまた異教徒の表現として忌避されたのかもしれない。

 エーコの書いた『薔薇の名前』の中で、中世の修道僧たちが密かに禁書であるギリシア哲学書の写本を作っていることが描かれていたような記憶がある。敬虔な修道僧にとってギリシア哲学は異教徒の思想であり禁忌すべきものだが、その豊穣な思索は彼らにとってはある種の知的快楽を伴う誘惑でもあったと。

 ローマ教会が支配する歴史の中では、多分ギリシア・ローマ美術も哲学や文学と同様に忌避されていたのではないかと思う。そしてそれらが再興されるのはおそらくルネッサンス期だったのではないか。文学にしろ絵画や彫刻などの美術作品にしろ、ルネッサンス以前以後では質的にもまったく異なるものになっている。

 ルネッサンスという「古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動によって、ギリシア・ローマの優れた文化を再発見し、それを模倣しそこからさらに新たな文化的発展を遂げるみたいなところがそれ以降600年の人類の歴史みたいなことなんだろうかと、なんとなく漠然と考えてみたりする。

 それを思うと西洋の歴史=キリスト教の歴史みたいな部分があるにしろ、キリスト教が西欧人の思想や文化性を抑圧してきた部分もあるのかもみたいなことをちょっと思ったりもする。もし古代ギリシア・ローマ期の文化がそのまま継承されていったら、紀元後の2000年はかなり違っていたのではないかとか。

 ポンペイ展で2000年前の文化に触れることで、なんとなくそんなことを漠然と考えた。例えば日本の絵画が立体表現を取り入れるのは、西洋絵画がオランダを通じて入ってきた18世紀あたりからである。それまでの日本の絵師には立体的な表現や光と影の明暗を描く表現、空気遠近法などの技法はまったくなかったのではないか。平賀源内が小野田直武にお供え餅を上から描いてみよと命じたところ、直武は二重丸を描いたという逸話がそれを示しいる。でもヨーロッパにおいては1700年以上前にすでにそれらの表現をとっくに取得されていたとか。

東京のみ展示作品 

 ポンペイ展はキリスト教以前のヨーロッパ文化を実際に見るという得難い体験でもある。会期は1月14日~4月3日まで。その後は京都市京セラ美術館(4/21~7/3)、宮城県美術館(7/16~9/25))、九州国立博物館(10/12~12/4)と巡回予定。ただし東京のみの展示作品も多いので、トーハクで観ておいた方がお得かもしれない。全出展数数158点のうち29点が東京のみとなっているみたいだ。

東京のみ出品作品(数字は展示番号)

2   凝灰岩にはまり込んだ片手鍋

12    ポリュクレイトス「槍を持つ人」

17 三美神

18 ビキニのウェヌス

27 辻音楽師

31 円形闘技場での乱闘

33 金のランプ

35 ブドウ詰みを表した小アンフォラ(通称「青の壺」)

39 女性頭部形オイノコエ

41 饗宴場面

43 燭台

47 マケドニアの王子と哲学者

49 エウマキア像

60 賃貸広告文

61 ワニとカモ

62 ワニとカモ

63 書字板と尖筆を持つ女性(通称サッフォー)」

90 パン屋の店先

104  鍬

105  三日月鎌

110  単灯ランプ

113  小アンフォラ

116  イタリア製テッラ・シジッラータの皿

119   単把手付きオッラ(鍋)

121   オスキ語の銘文のある小祭壇

123   スフィンクスのテーブル脚

128    鎖

ポンペイの位置関係

 学習というかヴェスヴィオ山とポンペイの位置関係を実際の地図で確認する。噴火によりヴェスヴィオ山の南東にあるポンペイ火砕流が噴出し膨大な火山灰によりポンペイは埋没した。そしてヴェスヴィオ山により近い西側海沿いのトルデルグレコやエルコラーノには大量の溶岩が流れ、こちらも全滅したという。ポンペイの発掘が進んだのは火山灰による埋没だったせいもあるようで、エルコラーノなど溶岩によって埋まったところでの発掘は近年になってから始まったみたいなことも解説されていた。

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