9.11

 9月11日。

 なんか気になる日付だ。なんだったっけ。そうか、9.11だ。

 世界同時多発テロ。2001年9月11日、日本時間で火曜日だったか。ハイジャックにあった二機の旅客機がワールドトレードセンタービルに激突した。まず最初の旅客機がノースタワーにぶつかり、それから15分ほどしてもう一機がサウスタワーに。炎上する二つの高層ビル、緊迫した時間が過ぎる中で、高層ビルは二つとも崩落する。

 とんでもないことが起きた。ソ連及び社会主義陣営が崩れ去りアメリカ一強の自由主義陣営が勝利して冷戦構造の20世紀は消えた。アメリカと資本主義の一人勝ちが確定した21世紀の幕開け。そこにイスラム過激派によって計画された大規模なテロが、アメリカの総本山ともいうべきニューヨークで起きた衝撃。

 あれから22年の歳月が過ぎた。22年である。

 あの時、自分は何をしてたか。昔の手帳をくくるとまだ平社員のようで翌年に係長になっている。年齢は46歳、子どもはまだ小学校にも通っていない。妻と二人で保育園の送り迎えをしていた。前年に新車で買った車を9.11から二日後に妻がスーパーで事故っている。スーパーかなにかで左側の後ろのドアのあたりを盛大にへこませた。ドアの交換だったような記憶がある。

 そもそも9.11の日何をしていたか、いつものように仕事をして、いつものように酒を飲んでいた。記録では親会社の管理職とその同僚と一緒に飲んでいる。多分、比較的早目に切り上げたのだろうか、電車の中で携帯のショートメールで事故の第一報を知った。ニューヨークで大きなテロ事件があったというような。

 まっすぐに帰ればいいのに、最寄り駅に着いてから行きつけの飲み屋に行き、そこでテレビのニュースを見た。何度も繰り返される旅客機の激突するシーン、そして崩落するシーン。かなり飲んでいたはずなのだが、ちっとも酔わない、酔えない。逆にどんどん冷静になっていくような感じだったか。

 初めてアメリカ本土が空襲にあった。死傷者は数千、へたすれば数万になるかもしれない。戦争になる、間違いなく戦争になる。そんなことを思いながらテレビを見ていた。帰宅後も多分明け方近くまでずっとテレビを見ていたのではないか。とにかく情報を集め、自分なりにいろいろと考えなくてはいけないと、そんなことを思っていたのではないか。

 とはいえある意味遠い海の向こうの戦争だ。安保条約があり在日米軍の基地がある極東の島国も、テロや攻撃の対象となる可能性もある。それなりの緊張感があったとしても、どこかそれは希薄なものだったかもしれない。

 そしてアフガニスタンイラクでの長きにわたる戦争が続いた。イラクでは独裁者が死刑となったが、アフガニスタンでは米軍が引き上げたのちに2021年、タリバンが再び全土を制圧した。

 当初、文明の衝突とまでいわれたあの世界同時多発テロは、結局何をもたらしたのだろう。よく判らないまま南北の緊張関係は霧消したようにも見える。アメリカは超大国として君臨し、ロシアは後退した。それに代わって中国が超大国に名乗りをあげ、アメリカ、中国、そしてユーロという巨大な経済圏が生まれ、そこから凋落したロシアがNATO包囲による危機感から破滅的な戦争を遂行している。

 結局のところ、あのテロはソ連崩壊後の世界の再編成、資本主義の一強化を促進させるための地ならしみたいなことだったのだろうか。答えは出ているような、まったく出ていない混沌のままか。

 

 2001年9月11日・・・・・・。

 手帳の日誌を捲っていくと、日々単調な仕事が続いている。毎週のように会議、会議。プライベートでも当時住んでいたマンションの管理組合の理事会や資料作りの記録も。子どもがおたふく風邪になり、妻と二人で交互に休んで看病したり。

 2002年には日韓ワールドカップがあり、2003年には一戸建てに転居している。2004年には子どもが小学校に入学して、翌年の2005年に妻は病気で倒れ障害者になる。それからは、仕事、家事、介護、育児、無我夢中な日々が続く。

 2001年、21世紀に入った最初の年、世界同時テロにより世界は激変した。でも個人史的にいえば平穏な日々だったのかもしれない。そして22年の月日が経ち、同じだけ自分も家族も歳を重ねた。

 

 本棚の上の方にひょっとしてと思ったら、当時の雑誌が数冊残っていた。