グランマ・モーゼスと現代

 グランマ・モーゼス展の図録を見返していてふと思ったことがある。彼女が追憶の中の19世紀アメリカ東部農村地帯の生活を描いた作品の中には、どこにも黒人が存在していないのだ。今回の回顧展の出品作品だけなのか、試しに以前古書店で手に入れた1995年のグランマ・モーゼス展図録を見てみたがそこにも見当たらない。古き良きアメリカのファンタジーなのだから、どうでもいいではないかと思いつつちょっとだけ気になる。

 彼女が生まれたのは1860年ニューヨーク州グリッチである。南北戦争1861年から1865年にかけてであり、リンカーンの奴隷宣言は1862年に出ている。南北戦争以降も人種差別はずっと残っていたし、なんなら現代においてもBLMがアメリカの今日的問題となっている。とはいえモーゼスが生まれた育った時代はいちおう奴隷制は廃止されていた。

 彼女が生まれ育ち、また晩年を過ごしたニューヨーク州東部農村地帯、ワシントン郡、ベニントン郡、レンセリア郡、近接するヴァーモント州は現代でも農村地帯であるが、人口構成では白人が90%近くを占めているようだ。現在でもそういう状況なので、当時は黒人を殆んど見ることがなかったのかどうか。だとしても逆にネイティブ・アメリカンはかなりいたのではないかと思ったりもする。

 結婚した翌年、彼女は28歳の時にモーゼス夫妻はバージニア州に引っ越している。ワシントンD.Cに近接するとはいえ、南北戦争では南部連合に属していたバージニアである。現在でも黒人の人口比率は20%近くを占めている。当時でも相当の黒人労働者がいたはずである。南北戦争から20数年経ったとはいえ南部バージニアで最初は雇われ農民として、後に農場を買い農場経営を始めてモーゼス夫妻の周囲には黒人は沢山いたはずだ。

 グランマ・モーゼスの絵は同時代というよりも自分が少女時代あるいは20代、30代の頃の記憶をもとに描かれている。19世紀アメリカの田園生活である。そこには多数の黒人がいたはずなのだが、彼女の絵の中にはそれがまったく描かれていないのはどういうことなんだろう。

 彼女は人種差別主義者? いやそんなことはないのだろう。でも貧しい白人農家というテリトリーの中で暮らしてきた彼女の生活の中にはあまり黒人が入り込むことはなかったのかもしれない。いや確かに黒人はいたのだろうが、記憶を再構成する中では意図的に消し去ってしまったのかもしれない。

 彼女の描く19世紀の農民生活というファンタジー、そこには意図的にハードな生活の部分、貧困、厳しい自然に打ちひしがれる人々の姿などは捨象されている。彼女が十度出産し、そのうち五回は死産だったという事実も、あの絵の中にはどこにもない。そういった消し去った記憶の中の一つに、過酷な生活とその周辺に存在していたかもしれない黒人労働者の姿があったのかもしれない。

 良きこことだけを思い出して、それを美しい心温まる絵として再現してみせる。彼女のそうした表現方法の中では、悲惨な状態にある多民族の存在は意識あるいは無意識のうちに捨象されてしまったということか。

 グランマ・モーゼスアメリカの国民画家とわれている。彼女が有名になったのは1940年代から1960年代にかけてだ。ハリー・トルーマン大統領は彼女をお茶に招待したという。アイゼンハワーは彼女に絵を注文し、当時のニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーは彼女の100歳の誕生日を「グランマ・モーゼスの日」と制定した。

 40年代から50年代のアメリカ、まだ人種差別問題が顕在化する以前の古き良きアメリカの時代である。公民権運動が大きくクローズアップされるのは60年代になってからのことでもある。グランマ・モーゼスが著名となったのはアメリカが自由主義世界の覇者として自信に満ちていた時代であり、人種問題は大きな社会問題となっていなかった時代でもある。だからこそあの白人しか存在しない美しく、ハートウォーミングな世界は需要されたのかもしれない。

 今現在のアメリカにあって、グランマ・モーゼスはどんな評価となっているのだろう。50年代と同様にアメリカの国民画家としての地位を保ち得ているのだろうか。皮肉をきかせる黒人スタンダップ・コメディアンだったら彼女をどう言うか。例えばマイケル・チェだったらこんな風に切って捨てるだろうか。

グランマ・モーゼスだって、あまりよく知らないな。俺たち黒人が存在しない楽しきアメリカを描いたばあさんのことか」

 21世紀はかってほど簡単な世界ではない。純朴な美しい絵にも別の見方が要求される世の中でもある。芸術作品は一定の留保を持って需要することが望まれるかもしれないということ。