群馬県立近代美術館-常設展 (10月8日)

 企画展の後、いつものように常設展示にいく。現在は「日本と西洋の近代美術Ⅱ」9月17日~12月21日までとなっている。

 最初に展示してあるのは湯浅一郎の作品で13点ほど。湯浅一郎についてはほとんど予備知識がないので、美術館の解説を参考にプロフィールを。

湯浅一郎 1868-1931(明治元-昭和6)

 安中の湯浅家に生まれる群馬県ご当地の画家。父親は政治家・実業家で同郷の新島襄と親交があったため同志社英学校に入学。1888年に山本芳翠の生巧館画塾に入り、その後黒田清輝の天真道場に学ぶ。1896年、東京美術学校に新設された西洋画科に入学、同年白馬会の結成にも加わる。1905年から09年にかけて渡欧し、スペインではプラド美術館で数点の模写を行い特にベラスケスに傾倒した。帰国後、山本新太郎らとともに二科会の結成に参加。その後二科会を中心に作品を発表した。

《徒然》 (湯浅一郎)

《巫女》 (湯浅一郎)

 全体として西洋絵画の習作という感じで特に黒田清輝の影響が強い。ただし渡欧後は次第に外光派的な明るさよりやや沈んだ色調の作品も多くなっていったようだ。この人も明治期に西洋絵画の技法や表現を学び、それを受容するために悪戦苦闘した画家の一人だったのだと思う。県立の美術館ということもあり、ご当地出身の画家の作品の蒐集に務めているのだと思う。今回出品の13点のうち12点が寄贈、遺贈によるもの。

柳橋水車図屏風》 (長谷川宗宅) 紙本着色 桃山時代

 展示室7は日本画を展示しているが、9月17日~10月30日は「水のある風景」と題して「水」をモチーフにした作品が展示してある。その最初に展示されているのがこの作品。長谷川宗宅(?-1611)は長谷川等伯の次男で、長男の死後を一時期家督を継いだが、等伯の亡くなった翌年に没している。等伯には久蔵,宗宅,左近,宗也と四人の子どもがいたが、才能があったのは長男の久蔵だったが26歳で亡くなっており、宗宅が家督を継いで等後と号したが父の死の翌年亡くなっている。結局、長谷川派は三男の左近が継いだという。

 長谷川派は父等伯が、自然描写と抒情性を備えた作品を多く描いているが、この宗宅の絵には、抒情性よりもどこか幾何学的な部分やデザイン性を感じたりする。

 

《祝祭》 (福沢一郎》

 福沢一郎も群馬県出身の画家のため、この美術館でも多く作品を所蔵している。この人はシュルレアリスム的な作品、ナンセンスな作品が多く、それらを東近美でよく観ているが、時代によって画風も大きく違っていてけっこう驚かされる。この絵もブラジルやメキシコに旅行したときに着想を得た作品だと思う。ルオーの宗教画を想起させる作品でどこか心に残る。