秋葉原周遊とか懐かしいオーディオの記憶 (9月1日)

 午前中、都内の健保の健康管理センターに行く。皮膚科と歯医者に通院。歯科では歯周病等のチェックとクリーニング。

 ここ二週間くらい右上奥歯に痛みがあるのでそのことを伝えると、以前虫歯治療したところが神経に抵触している可能性があるという。神経を取ることを含め別の専門医の治療を受けることになるので、次回の予約を入れる。神経を取ることになると、また根の治療とかに時間をかけることになる。ようやく7月の初めに治療を終えたばかりなのに二ヶ月後には再発か。

 なにか都内に出る用事がたいてい通院ということ。歳を取るということは医者にかかる機会が増えるということなのか。来週にはまた内科の定期通院がある。

 

 昼過ぎに治療が終わり、とりあえず美術館でも行くかと思い、まずはお茶の水から秋葉原まで歩く。秋葉原には久しぶりである。かっての電気街、パソコンショップの林立から、アニメやゲーム、アイドルなどオタクの街に変貌してからすでに十数年経過するか。

 かってコンピュータ関係書籍の出版者に勤めていたこともあり、この街にはそれこそ毎週のように営業に来ていた。大型のパソコンショップにはたいてい関連書籍のコーナーがあり、コンピュータ関連の書籍はけっこうよく動いていた。まあアニメやゲーム、アイドル以前にコンピュータオタクの街だったということだ。

 秋葉原駅前のラジオ開館にはNECビットインがあり、ある意味PC88やPC98ユーザーには聖地でもあったし、ソフマップなどにも書籍コーナーがあった。ラオックスが出店し、1階をコンピュータ書籍コーナーにしたときの売れ行きの凄さは他を圧倒していたっけ。当初は売り場担当者も本の売り方がまったく判らないようだったので、それこそ出版営業はやりたい放題で自社本を平積みで埋め尽くした。そしてそれが良く売れた。

 ラオックスのある通りのさらに裏あたりでは、痩せた若者が大声で自作パソコンを売っていた。あれは確かオウム真理教のショップだったような。あそこのパソコンはとにかく安かったが、品質は今一つという評判だっただろうか。

 

 営業の後の時間つぶしに大型家電に入って、気がついたらシステムコンポのセットをローンで購入してたなんてこともあったか。ソニーの重箱型コンポーネント・システム、リバティだったか。なんかカッコ良かったし夢があったね、あの手のコンポは。多分それは80年代の終わりから90年代のどこかでことような気がする。

 そういえば就職して最初に買ったオーディオも秋葉原だったと記憶している。デンオンだったかコロンビアだったかで30万とかしたかもしれない。初任給が10万と少しだった頃、今から42年くらい前になるだろうか。それ以前はオープンリール・デッキを使っていたので、カセット録音が嬉しかった。最初にレコードから録音したのは日野皓正の「シティ・コネクション」とかそのへんだった記憶がある。いろいろ録音してはウォークマンで通勤で聴くというようなことしてた。

 会社に行くのがたまらなくイヤな時には、ツェッペリンとか音量上げて聴いていたような覚えもある。多分かなり迷惑なやつだったのだろう。無神経なしょうもない若造だったに違いないが、まあ若気の至りということにしておこう。そのくらい勤めにいくのがイヤだったのでしょう。

 

 今の秋葉原はというと、一応大型家電店もあるにはあるが、それらは新宿や池袋にあるのと同じような店、同じような商品だ。オタクを惹きつけるような専門性もうさん臭さも消失したキレイな街になってしまったというのが印象だ。もともとアニメやゲームには興味もないし、アイドルにもとんと関心がないジイさんである。オーディオについてももう胸ときめくようなことはない、多分。

 そういう人間にはもう居場所のないところ、まあ秋葉原はそういう街になってしまっている。

 

 仕方なく来た道を戻ってお茶の水へ行くか、それとも上野まで行って美術館巡りをするか。とりあえず後者を選択して二駅だけど電車で移動することにした。まだまだ暑い。歩いて熱中症にでもなったら、洒落にならない年齢の高齢者だ。