龍子記念館、『草の実』を観る

 午前中、都内の歯医者に通院。コロナ感染も拡大しているので、何か恐る恐る電車に乗ってる感じ。歯医者では歯周ポケットのクリーニングとかを全体にやってもらう。次回は歯周ポケットの深い部分を専門医に診てもらうことになった。

 その後、神保町の古本屋街、三省堂東京堂あたりをブラブラする。一応気をつけながらだけど、まあワクチンも二回接種終わっているし、久々の都内だし、でかい本屋に来るのも久しぶりだからと、適当に自分に言い訳している。

 それから都営線を乗り継いで西馬込まで行き、大田区立龍子記念館に足を運ぶ。ここは一度6月に来ているのだが、今回は龍子が所有していた北斎富嶽三十六景』と龍子の描いた富士山を画題にした作品とのコラボ企画『葛飾北斎富嶽三十六景」✕川端龍子の会場芸術』である。

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https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/exhibition?20976

 それとは別に前回には展示してなかった龍子の大作『草の実』が展示されているというので、これを目当てに行くことした。日本画はダメージを受けやすいため長期展示に向かない芸術品といわれている。そのため各美術館とも展示期間を限り、頻繁に展示替えを行っている。洋画でも保存、修復のため定期的な展示替えを行っているのが普通だし、さらに名画ともなると他館からの貸し出し等もある。名作を所蔵している美術館に行ったとしても、必ずその作品を観ることができるとは限らないのだ。

 『草の実』については事前にHPで展示中と確認していた。

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『草の実』(川端龍子

 以前、国立近代美術館で川端龍子の『草炎』を観てえらく感動した覚えがある。それと対になる大作として『草の実』は近代日本絵画の本などでも観て知ってはいたが、改めて現物を観ると、よくいわれる夏草の生命力を描き出したということよりも、これも同じくこの絵の解説として指摘される装飾性と写実性の融合を強く思ったりもする。

 さらにいえば、ほとんど黒に近い紺地に金泥の濃淡によってだけで描く夏草は、画家の色彩感覚とその表現の自由さみたいなものを思ったりもする。線としての写実表現と奔放な色彩感みたいな部分か。

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『草炎』

 夏草の生命力という点でも『草の実』の右から流れるスタイリッシュな構図は際立っているような気がして、自分的には圧倒的に『草の実』が気に入った。

 絵の前に置かれたソファにしばし、多分30分くらい座っていた。多分、左隻に10分、右隻に10分、中央で5分、残りはちょっとウトウトしてたかもしれない。残念なことに寝入っても『草の実』の絵の中に入り込むような夢は見なかったけど。

 龍子記念館は細長く、途中で折れ曲がる回廊のような作りになっている。その右側に龍子の大作が展示してあり、今回はその逆側にガラスボックスに入った北斎富嶽三十六景』の代表作が展示してあった。まあ人気作であり、まばらな観覧者たちは主に北斎の版画を観ている感じだった。

 自分はというと、ここのところ府中市美術館、太田美術館、町田国際版画美術館などで、北斎や広重、小林清親川瀬巴水を観続けて若干食傷気味なところもあり、なんとなく複製版画よりも肉筆大画面のいわゆる龍子のいう会場芸術の方が圧倒的にインパクトがあるように思えた。

 まあこれはある意味、例えばリトグラフの小品を観続けた後でルーベンスの大作を観れば、どっちがインパクトありかと、そういう類のことかもしれない。

 ちなみに『草の実』の左隻で手前に描かれている葉の大きな草、これはタケニグサというのだとか。野山でよくみかけるけっこう大きくなる草で、名前のいわれは竹と一緒に煮ると竹が柔らかくなるからとか、茎が空洞で竹に似ているとか所説があるらしい。そういえば下村観山の『木の間の秋』でも描かれていたような気がする。

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