あるアーティストとの決別・・・・・・、多分

 ことの発端はもちろん故人ジャニー喜多川氏の性加害である。

 もちろんその件についてはなんとなく知っていた。フォーリブスにいた北公次の暴露本が出たときも、出版社のデータハウスがこうした暴露本出版で有名だったこともあり、なんとなく「やってる、やってる」みたいな印象だった。その内容についても、噂的には聞いていたようにも思うし。芸能界にはありがちなことみたいな感じだっただろうか。

 

 その後も週刊誌による告発記事と名誉棄損の裁判があったことも、一応耳にはしていた。それでもいつものごとく情報としては受容してスルーしてただろうか。そもそもジャニーズにも興味もなかったし、芸能界ではアイドルや女優の枕営業なども常態化しているだろうし、男性だけの芸能プロダクションであるジャニーズ事務所であれば、そういうことがあっても普通みたいな感覚もあった。そもそも芸能と性はつきものみたいな理解もあったかもしれない。男性アイドルはある意味では若衆アイドルみたいな。

 

 芸能界における性被害が可視化されたのはやはり海外からの影響だった。いわずとしれたMeTooである。直接的には映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる女優や女性スタッフへの性加害が告発された事件だ。事件は大きな反響を呼び、ワインスタインは告発されて有罪となり現在は収監されている。またこれは近年映画化もされて話題にもなっている。

#MeToo - Wikipedia (閲覧:2023年7月10日)

SHE SAID/シー・セッド その名を暴け - Wikipedia (閲覧:2023年7月10日)

 

 MeTooは世界的にも大きなムーブとなり、今まで沈黙していた被害者=主に女性たちが声をあげた。しかしウィキペディアの記事にもあるように、日本の芸能界においては告発も限定的で、写真家の荒木経惟や映画監督の園子温などに数名が告発されただけにとどまっている。

 

 結果として、欧米を中心に燎原の火のごとくに広がったMeTooは日本では限定的だった。男性優位社会が厳然とあるアジアの各国では限定的であるというのが正しいかもしれない。当然のごとく日本の芸能界でそれがクローズアップされることはなかった。

 

 そのなかで再び日本でも問題が可視化され話題となった。またしても海外からである。BBCがドキュメンタリーとしてジャニーズ事務所における性被害の実態をルポルタージュしたのだ。

BBCドキュメンタリー「J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル」>


www.youtube.com (閲覧:2023年7月10日)

 

 このドキュメンタリーは一部のネットなのでは話題を呼んだが、日本のマスコミは新聞、テレビはこれを黙殺した。ジャニーズ事務所による影響力は大きく、もし事務所からタレントを出さないといわれれば、テレビ局のコンテンツは壊滅的になるとそういうことなのだろう。

 それでもじょじょにこのドキュメンタリーの反響は広がって行った。やはりイギリスの国営放送という大看板が制作したということは大きい。さらに実際にジャニー喜多川氏から性加害を受けたことを実名で告発する元所属タレントが数名、記者会見を開き、少しずつ新聞やテレビでも報道されるようになった。

 そしてジャニーズ事務所でも沈黙だけではすまなくなり、社長による謝罪動画が発表された。といっても謝罪は「世間を騒がせたこと」についてであり、ジャニー喜多川氏の性加害については、本人が故人であることから、事実かどうかは不明。そしてそうした疑惑があったことも現社長はまったく知らなかったというものだった。とはいえ週刊誌との間での裁判が行われていたときにも、現社長は取締役だっただけに、「知らなかった」はなにか空々しい印象もあった。

 

 ジャニーズ事務所の性被害問題、どこか沈静化してきたような気もしていた。相変わらずマスコミは取り上げないし、毎日テレビをつければ所属タレントが必ず出ているような状況。日本では結局のところMeTooは起きないのだろうなという、ある種の諦観みたいなものも感じていた。

 そんなところにTwitterでこんなツィートが流れてきて、そこに書かれた山下達郎がトレンドになってしまった。

(閲覧:2023年7月10日)

 寡聞にも松尾潔という人を知らなかったのだが、音楽プロデューサーであり作詞家、作曲家でもあるという。そしてスマイルカンパニー山下達郎のマネジメント会社であることは知ってはいる。これはラジオ番組等で松尾潔ジャニーズ事務所の問題に言及したため、契約関係のあったスマイルカンパニーとの契約を打ち切られたということのようだ。そのへんのことについて松尾潔は別のメディアに経緯を記している。

「スマイルカンパニー契約解除の全真相」弁護士を通じて山下達郎・竹内まりや夫妻の“賛成事実”を確認|日刊ゲンダイDIGITAL (閲覧:2023年7月10日)

 

 山下達郎がジャニーズのタレントのために楽曲を提供していることは知ってはいた。近藤真彦キンキキッズなどなど。しかし山下のビジネスパートナーでスマイルカンパニーの元社長がジャニーズ関係者で関連会社の社長を兼務していたことなどは知る由もなかった。まあ自分は単なるリスナー、一ファンみたいなものだったから。

 しかし思った以上に山下達郎ジャニーズ事務所の関係は深く、また達郎自身がジャニー喜多川氏を尊敬していると発言したことなどもなんとなく判ってきた。

小杉理宇造 - Wikipedia (閲覧:2023年7月10日)

 

 松尾氏とスマイルカンパニー山下達郎の件はこの間、ネット上ではトレンドであち続けた。その中で松尾氏の言い分だけが流れている状況の中で、山下達郎が自らのラジオ番組でこの件について言い分、声明、スピーチを発表した。すでにスマイルカンパニーから山下が声明を行う旨の発表もあり、かなり注目していた。

 自分はというと達郎の音楽こそ長年聴いているが、そこまでこの件については実は興味もなく、ラジオもたまにしか聴かない。でも放送が終わった後にTwitterで流れてきたタイムラインをみていると、かなりひどい内容だったという。さっそくradikoで聴いてみた。そう、そしてその内容は本当に酷いものだった。

【全文】山下達郎、ジャニーズへの忖度は「根拠のない憶測」 事務所の契約巡る騒動に初言及 | ENCOUNT (閲覧:2023年7月10日)

 今、話題となっている性加害問題については。今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時、私のビジネスパートナーはジャニーズの業務を兼務していました。けれど、マネジャーでもある彼が、一タレントである私にそのような内情を伝えることはありませんでした。えー、性加害が本当にあったとすれば、それはもちろん許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば、第三者委員会等での、事実関係の調査というのは必須であると考えます。しかし、私自身がそれについて知ってることが何もない以上、コメントの出しようがありません。

 不都合な事実については、「聞かされていない」「知っていることが何もない」という。ビジネスパートナーの小杉氏がジャニーズ・エンターテイメントの社長を兼務しているというのに、裁判や性加害について「知らない」「聞かされていない」はあり得るのだろうか。それはジュリー藤島氏が動画での釈明でも、当時も役員でありながら「知らなかった」と弁明するのと同様かもしれない。

そうした数々の才能、タレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません。私の人生にとって1番大切なことは、ご縁とご恩です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが、戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては、素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁をいただいて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えていただいたことに心から恩義を感じています。私が一個人一ミュージシャンとしてジャニーさんへのご恩を忘れないことや、それから、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的、倫理的な意味での性加害を容認することとは全くの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。

 この後、達郎は繰り返すように「性加害を容認しているのではない」と語る。でもジャニー喜多川氏が数多くのタレント育てた一方で、彼によって性被害を受けたという告発が実名で出ていること、ある意味でジャニーズ事務所のタレント育成システムが性加害のための装置となっている部分さえあるように伝えられることに対しては、まったく目を背けているように思えてきた。

 山下達郎は本当にジャニー喜多川氏を尊敬しているのかもしれない。ビジネス面を含め義理、恩義を感じてるのかもしれない。長年のビジネスパートナーとの関係上からも、そっちの側にたたざるを得ないのかもしれない。

 しかし性被害が可視化された現在、こうも明確にそっちの側に立つのであれば、一アーティストとして沈黙しても良かったのではないか、というのが率直な感想だった。彼のいう作品に罪はないというのであれば、その作品、ここでは達郎自身が創り続けてきた作品群になるが、それを守るためにも沈黙しても良かったのではないかと思う。

 山下達郎との付き合いは長い。一リスナーとしてということになるが、多分70年代の後半、深夜放送から流れてきたシュガーベイブの曲からだ。そしてソロアルバムを発表してからもずっと聴いてきた。多分、アルバムはほとんど持っている。ライブはチケットが取れないので行く機会はほとんどない。多分、一回大宮で聴いた記憶がある程度だ。

 日本のアーティストの中ではもっとも長く聴いている人の一人かもしれない。そして彼のポップ・ミュージック、ブラック・ミュージックへの造詣には尊敬の念すら覚えている。iTunesには彼のプレイリストも作り、家でも外でも聴くことができるようにしてきた。ある意味では、いつも達郎の音楽は身近にあった。それを思うと彼の今回の発言は残念でしかならない。

 MeTooの渦中にあって、ハリウッドの俳優だか監督だかが、「ワインスタインには世話になったし、恩も義理もある。プロデューサーとしての能力もかっている。彼の性加害については知らないし、批判するなら自分の映画は観なくていい」と語ったらどうなるか。想像するするだけでも世間の反響は明らかかもしれない。

 

 最後に山下達郎はこう述べて声明を終わらせた。

このような私の姿勢をですね。忖度あるいは長いものに巻かれていると、そのように解釈されるのであれば、それでも構いません。えー、きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。

 残念でならない。

 その後、自分はというと、とりあえずiTunesの彼の楽曲、約300曲、23時間分くらいあっただろうか。その音源はもちろん購入したCDからのものだが、さすがに削除する気にはなれず、とりあえず曲情報の中のジャンルを別のものに書き換えて同期から外した。淋しいけれどこれもまた致し方ないか。

 しかし50年近く聴き続けてきたアーティストとこんな風に別れを告げるというのも、なんとも悲しいことだ。淋しい、淋しい。ある意味では自分の人生のかなりの部分を失うような、そういう喪失感でさえあるかもしれない。

 

 MeToo、その大きな流れの中でジャニーズの問題もあるのだろう。多分にそれは20世紀的な諸問題が現代にあってはスルーできなくなっているということなのだと思う。圧倒的な男性優位社会、あるいは強者による弱者の意識、無意識な抑圧。セクハラ、パワハラなど、かっては普通に行われていたことの多くが、今では看過できないことになってきている。

 自分自身、男社会の中で仕事をしてきた人間として、数々のパワハラをしたり、されたりはあったと思う。セクハラは多分あまり自覚はないが、多分無自覚なまま加害者であった部分もあるかもしれない。でも、それらはもはやスルーしてはいけないし、スルー出来得なくなっているのだと思う。

 そして「知らなかった」というエクスキューズもまた免罪符にならないことを、歴史は教えてくれているとも思う。かってドイツ国民は、ナチスによるホロコーストについて何一つ知らされていなかったかもしれない。でも「私たちは知らなかった」は弁明として通用するのだろうか。同じことは戦争中に日本が東アジアでしたことにもあてはまるかもしれない。

 20世紀的には普通であったこと、常態化してきたこと、それが21世紀の今的には許容できないということにもっと自覚的になる必要があるのだろう。我々は21世紀的にアップデートしないといけないんだろう。