『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を観た

 『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』をようやく観た。

 アカデミー賞の発表前後に公開されていたが、すぐに終わってしまったし、そもそもディープ埼玉では公開すらなかった。家から歩いていけるシネコンだと邦画はアニメ系かアイドル系、洋画はマーベルかディズニーみたいな流れが多く、こういう社会派ドラマはなかなかかからない。

 今回はTSUTAYAのDVDレンタルで観た。しかしTSUTAYAでのレンタルなど久しぶりのこと。サブスク配信で有料でレンタルできるようなのだが、なかなか時間がとれずに。まあ無料配信だといつでも観れる気軽さがあるけど、有料レンタルは観始めたら1日かそこらと時間限定されているとか、そのへんがどうも今一つな気がして。

映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』公式サイト (閲覧:2023年5月30日)

SHE SAID/シー・セッド その名を暴け - Wikipedia (閲覧:2023年5月30日)

#MeToo - Wikipedia (閲覧:2023年5月30日)

ハーヴェイ・ワインスタイン - Wikipedia (閲覧:2023年5月30日)

 

 さてと『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』である。今や誰でも知っている、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる長年のセクハラ、性加害を告発し、世界的な運動となった#MeTooの火付け役のニューヨーク・タイムズの二人の女性記者による取材と告発記事。ワインスタインからの性被害をためらう被害者者たち、女優やスタッフたちの苦悩。映画は原作に忠実に展開している。

 ニューヨークタイムズの記事は2017年で、それ以降この問題はマスコミを賑わすだけでなく、司法の場でもワインスタインの訴追も行わた。2020年にアメリカに旅行した際でもテレビのニュースショーではその裁判について連日報道されていた。ワインスタインがどの性加害を認めたとかなんとか・・・・・・。

 まず前提だけど、これは誰かが本のレビューで書いていたけど、もともとの原題は『SHE SAID』だけだ。それに「シー・セッド/その名を暴け」と副題をつけるのはちょっと過剰という気もする。普通に「シー・セッド」だけでいいし、タイトルに意味内容を含ませるなら「SHE SAID/彼女たちは声をあげた」とか「SHE SAID/#MeTooはここから始まった」とか。まあいいか。

 権力者の不正を記者たちが追求するという内容は、古くは『大統領の陰謀』、最近だと『スポットライト』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』なんかがある。ほぼ同じような映画の作りで、記者たちの地道な取材により権力者たちの罪悪に迫っていくという。俳優や監督の演出も含め、娯楽色というかエンターテイメントとして見せるという点でいうと、『大統領~』>『ペンタゴン~』>『SHE SAID~』>『スポットライト』みたいな順だろうか。

 逆に社会派ドラマとしてのシリアスさを基準にすると、『スポットライト』>『SHE SAID~』>『大統領~』>『ペンタゴン~』みたいな感じだろうか。取り上げる内容がローマ・カトリックの牧師たちによる性被害、著名映画プロデューサーによる性被害という深刻度みたいな部分が加味される部分大きいかもしれない。

 『SHE SAID』は原作読んでないけど、おそらく原作に忠実、さらにいえば報道された事件をそのままトレースしている。もうド直球的で娯楽的な遊びはまったくない。まあテーマが性被害というシリアスなものなので、へんに娯楽性を入れるとブレるという判断もある。ここでいう娯楽的な遊びとは、たとえば『大統領の陰謀』でいえば記者と上司のデスクとのやりとりとか、『ペンタゴン~』でのニューヨーク・タイムズの主幹ベン・ブラッドリー家での文書の解読作業のシーンでの、ブラッドリーの娘がレモネードを売るプロットとかああいうユーモラスなやつ。

 『SHE SAID』は性被害と声をあげた女性たちがテーマでもあり、追求する二人の女性記者の物語だ。もともとワインスタインの性加害を追求していたジョディ・カンターとオバマ家やトランプの不正を告発していて後から報道に関わるミーガン・トーウィの二人をゾーイ・カザンとキャリー・マリガンが演じている。この二人の演技が圧巻で、ある意味映画はこの二人でもっている感がある。

 本来的にはジョディ役のゾーイ・カザンがメインなのだが、ネーム・バリュー的になんとなくキャリー・マリガンが主役みたいになっている。まあこれはキャリアにもいたしかたない。キャリー・マリガンは例によって年齢よりも多少フケ役みたいな感じだが貫禄十分で、ゾーイ・カザンと並ぶとなんとなく年長、主役然としているし存在感が半端ない。逆にゾーイ・カザンはどこかセンシティブというか繊細なタイプという感じだった。

 当然、年齢もキャリー・マリガンの方が上かと思ったのだが、後で調べるとゾーイ・カザンの方が2歳年長だった。キャリー・マリガンのフケ役演技が半端ないか。ゾーイ・カザンについてはどこかオリエンタルな容貌で、インドとかそっち系かと思ったら、どうもトルコ系らしい。さらにいえば祖父はあのエリア・カザンだという。長生きすると往年の名監督の孫娘の活躍を目にするのだなとちょっと遠い目になる。

キャリー・マリガン - Wikipedia (閲覧:2023年5月30日)

ゾーイ・カザン - Wikipedia (閲覧:2023年5月30日)

 この映画はなんとなく賞レースからは無視されたみたいで、キャリー・マリガンゴールデン・グローブ賞助演女優賞にノミネートされただけで、アカデミー賞にいたっては一つもノミネートされていない。映画的には良質だし、役者の演技も見事な社会派ドラマなんだけど、やっぱりハリウッドの性被害というセンシティブな問題だけに、敬遠されたのかもしれない。逆にこの映画が賞を総なめしたら、「いかにも」感があまりにも大きいし、LGBTに続いてハリウッドは#MeTooに真剣に取り組んでます感があざと過ぎると思われたか。

 しかしこの映画を観て思ったのは、誰しもがそうかもしれないけれど、職場での男性優位、権力者による様々なパワハラ、セクハラ・・・・・・、そういうものが——20世紀的には許容され、当然視されていたものが——、21世紀的にはまったく許されないものになっているということを、再認識しなければいけないということなんだろうと思う。いわば社会意識のアップデートというやつだ。

 かっての映画界では権力をもつプロデューサー、撮影所所長、監督らによる俳優やスタッフへの性加害は日常的なことだった。日本でも「女優を妾にしたのではない、妾を女優にした」と豪語したプロデューサーがいた。目を覆いたくなるようなことだけど、子役だったジュディ・ガーランドがMGMの名プロデューサーだったアーサー・フリードから性被害を受けていたことなども判っている。ジュディがアルコールや薬物中毒になったのも、そうした影響があったのかもしれない。

 芸能界では、セックスをした相手に役や契約を回すキャスティング・カウチが横行していた。いや現在でも多分恒常的に行われているのだと思う。最近は日本でもジャニーズ事務所でのジャニー喜多川による少年たちへの性被害がようやく実名告発や報道がなされるようになった。欧米と日本の違いは、権力者ハーヴェイ・ワインスタインがきちんと告発され、訴追され、現在は収監中であるのに対して、ジャニー喜多川の場合は彼が死んで数年してからようやく告発されるようになったということだ。日本では権力者の罪は死なないと暴かれない。

 ここで引用するのは不謹慎といわれるかもしれないが、暗殺された安倍元総理も、亡くなって初めて統一教会との関係も明るみに出てきた。残念だが日本では「その名は死なない限り暴かれない」のかもしれない。