『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を観た

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル|映画|ディズニー公式 

(閲覧:2023年7月11日)

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル - Wikipedia (閲覧:2023年7月11日)

 『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を地元のシネコンでカミさんと一緒に観た。シリーズ5作目でおそらく最後となるであろう作品。そして最初の『レイダース』から数えて実に42年という息の長いシリーズだ。

 インディ・ジョーンズ・シリーズは、大好きだしほぼリアルタイムで観てきた。『レイダース』が公開されたのは1981年、25歳の頃だったか。多分、その頃は映画を一番観ていた頃で、年に100本くらいは劇場で観ていた。

 前年の80年の暮にはジョン・レノンが撃たれて死んだ。アメリカの大統領はたしかロナルド・レーガンで、エイズが世界的に流行し始めた。翌年の1982年にはCDが発売され、スペインでワールドカップが行われた。そしてさらに翌年の1983年にTDLが開園し、インターネットが日本でも東大や東工大などで実験的に開始された。

 なにが言いたいかといえば、インディ・ジョーンズ・シリーズは、自分史的にももちろんそうだがすでに歴史の一部になっているということだ。

 ハリソン・フォードはすでに1977年に公開された『スター・ウォーズ』で大スターとなっていた。そして『インディ・ジョーンズ』はジョージ・ルーカスが制作総指揮、スティーヴン・スピルバーグが監督した。これはもう面白いに違いないと劇場に足を運び、実際に面白かった。第一級の娯楽作品だ。

 それから41年、ハリソン・フォードは世界的な大スターとなり齢80歳となった。さらに記憶をたどればあの『アメリカン・グラフティ』でチンピラ的な走り屋を演じていた彼がである。なにか「遠い目」的に来し方を見やるみたいな感じである。

 今回、シリーズ第5作はおそらく最後のインディ・ジョーンズとなるだろう。さすがにハリソン・フォードにアクションはもう難しいだろう。007シリーズのように役者を変えてシリーズを延々と続けるということもできただろうが、それをルーカス、スピルバーグはしなかった。そして多くのファンもそうだっただろう。誰もライアン・ゴズリングダニエル・クレイグインディ・ジョーンズを観たいとは思わなかった。インディ=ハリソン・フォードとして定着したということだ。

 

 さてと今回の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』である。まあ普通に面白かった。さすがにハリソン・フォードは老けすぎだが、1969年という時代設定、大学教授も退官となるというところでうまくマッチしている。アパートに一人暮らしのインディが隣人の若者たちの大音響の音楽で起こされるシーン、その音楽がビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」だというのも笑えるところだ。一説によれば、これ一曲の使用料が一億以上になるのだとか。

 

 映画はプロローグとして1944年のドイツを舞台にして、今回のキーとなる秘宝「ロンギヌスの槍」をインディがナチスとの間で奪い合う。この時のインディはCGにより若々しい。

 

 ここまでの再現性があるのであれば、全編これでもいいんじゃないかと密かに思ったりもした。

 そして1969年の年老いたインディ。

 

 80歳のハリソン・フォードはアクションシーンもこなしたというが、さすがにこれはシンドイだろうとは思った。もっとも最初は気になった年齢もストーリー展開とともにあまり気にならなくなる。まあ映画とはそういうものかもしれない。長くインディ・ジョーンズ・シリーズを観てきているファンからすれば、動くハリソン・フォードがスクリーンにいるだけで満足なのかもしれないし、少なくとも自分はそうだった。

 

 今回のシリーズからは制作総指揮だったジョージ・ルーカスが抜け、スピルバーグは制作に回った。そして監督はジェームズ・マンゴールド。ハリウッドではかなりのキャリアのある監督で、最近では『フォードvsフェラーリ』も彼の作品。あれはけっこう面白かった。

 ただし自分のような古いファンからすれば、やはりこのシリーズはスピルバーグの監督作品で観たかったし、制作はジョージ・ルーカスであって欲しかった。やはりインディ・ジョーンズ・シリーズ独特のテンポアップされた構成は、ルーカス・スピルバーグのタッグでないといけないみたいな感覚がある。

 実際、この映画を観ていると、中盤の部分で若干ダレ場があったような。具体的にどのシーンというのではないのだが、どこかモッサリしたものを感じ、少々眠くなった。観ているこっちの年齢のせいもあるのだろうが、このシリーズでダレ場を感じたのは初めてのことだ。

 

 本作でヒロイン役を演じるのはフィービー・ウォーラー・ブリッジ。長身でスタイリッシュな女優だ。役柄はインディの旧友の考古学者の娘ヘレン・ショーで、子どもの頃インディが「ウォンバット」とあだ名をつけたというエピソードがある。今は秘宝を盗んでは競売にかけるヤクザな仕事をしている。考古学の知識は父親譲り、そしてインディ顔負けの冒険アクションをこなすという。さしずめ女性インディ・ジョーンズだ。

 

 フィービー・ウォーラー・ブリッジは好演だが、これも何か違和感がある。年老いたインディ=ハリソン・フォードの代わりにアクションをこなすような感じだが、このシリーズのヒロインは少なくとも第一作、第二作とも、インディにかかわって冒険に加わる巻き込まれ型の役柄だ。それが三作目、四作目からはインディに対峙する敵役となり、五作目では女性版インディである。なにか違うぞという感じがする。

 インディ・シリーズのヒロインはやはり第一作『レイダース』のカレン・アレンが一番だ。インディの師匠である考古学者の娘で、インディのかっての恋人、しかも大酒飲みという立ちすぎのキャラクラーだ。彼女のキャラは印象的で、ある意味インディ・ジョーンズのヒロインは彼女一択といってもいい。そのせいか四作目にも再登場してインディと結婚するし、五作目の本作でも登場する。

 ある意味ではカレン・アレンが演じるマリオンはインディ・シリーズにとっては必須のキャラクターなのかもしれない。どうせなら二作目以降もずっと登場させてもよかったかもしれない。それが難しければテレビシリーズでインディ・マリオンの冒険ものであっても良かったかも。

 ついでにいえば、二作目『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』のヒロインは、ケイト・キャプショー。上海のキャバレーの専属歌手だったのが、インディの冒険に巻き込まれる。とにかくひたすら「キャー、キャー」と悲鳴を上げる役柄だった。その後、彼女はスピルバーグ夫人におさまるのだけど。

 とりあえず今回の女版インディを演じるフィービー・ウォーラー・ブリッジは、巻き込まれというより、自ら率先して冒険、危機に渦中に主役的に入っていく。逆に老身ハリソン・フォード=インディが巻き込まれるような、そんな感じがした。それはまあそれで面白いけれど、どこかインディ・ジョーンズ的ではないような。

 そして最後の最後にある意味シリーズのヒロイン一択であるマリオンが登場する。カレン・アレンも老いた。とはいえはやはり彼女は美しく、陽気なアメリカン・ガールの雰囲気を残している。彼女の登場でなんとなく目頭がウルウルするかと思ったが、そうはならなかった。まあ、それがインディ・ジョーンズだ。

 

 とりあえずインディ・ジョーンズ・シリーズのファンである自分は十分楽しめたし、154分という長さも気にならなかった。時空を超えて、アルキメデスも出て来るし、あのままインディを過去に置き去りにしても良かったかもしれない。

 エピローグにシラクサで新たな洞窟遺跡が発見される。そこに描かれる壁画の中にはインディ・ジョーンズに似た人物が・・・・・・。