POCKET MUSIC〜山下達郎

POCKET MUSIC

POCKET MUSIC

  • アーティスト:山下達郎
  • 発売日: 1999/06/02
  • メディア: CD
CDの整理を始めていると、ずいぶんといろいろのCDを目にする。こんなの持っていたのかとかみたいなある種の驚きとか、このCDよく聴いたんだよ、これこれみたいな感慨。あるいはそのCDを聴いていたときのシチュエーションなどなど。
ある種、CDを巡る記憶というか、憧憬とか、様々な思いが巡ってきたりもする。例えば大貫妙子の「新しいシャツ」を車の中で聴きながら、ほとんど泣きそうな思いで深夜の長い時間を過ごしたこととか。あれは誰かとの関係がうまくいかなくて・・・・、というかもうほとんど終わりかけていた時のことだった。
あれはどの娘だったんだろう。たぶんあの娘か、あの人か、あいつかと候補者が数人浮かぶのだが、あんまり鮮明ではない。確実に30年、あるいはそれい以上昔のことだから無理からぬことだし、女の娘の顔もほとんど輪郭だけみたいなおぼろげな記憶である。それでも聴いていた曲とそのシチュエーションだけはきわめて明確なんだから始末に悪い。
まあそんな話をしたいのではなくて。せっかくCDを整理したのであるから、普段あまり聴かないものをと手にとってプレイヤーにせっせと載せている。まず山下達郎は、たぶんけっこう持っているはずだと思っていたのだが、ほとんど散逸している気もしていた。それでも10枚程度が出てきて、めでたく単独インデックスを獲得した。その中から取り出したのが本アルバムである。
ふだん車の中のiPodや持ち歩いているiPodにも、けっこう達郎ものは入っている。ほとんどが初期ものでけっこうライブ盤が好きだったりするので、「IT'S A POPPIN' TIME」、「JOY」あるいはシュガーベイブ時代のものなんかを繰り返し聴いている。もちろん達郎ものは新譜が出れば必ずある時期までは購入したし、ある時期からは借りてみたいなことになってしまったけど、とにかく必ず聴いてはいた。
そんななかで一番よく聴いたのが、このアルバム「POCKET MUSIC]なのである。いやはや前置きが長くて長くて。当時は多分LPだったか、もうCDの時代だったか。これをカセットテープにダビングしてウォークマンで聴く。そういう時代だったのだ。そういやウォークマンはずいぶんと持っていたっけ。それこそ何世代というか、壊れては新しいものにみたいな形で買い換えたよ。この話をするとまた長くなるから。
「POCEKT MUSIC」についてだ。このアルバムにはよくいう達郎のサマー・ミュージックみたいなイメージが払拭されたアルバムとか、達郎のプライベート色がよく出ているといわれるているらしい。まあそういうことなんだろう。個人的にはとにかく良質なポップ・ミュージックの集合体というイメージ。よくもまあこう心地よく、技術性にも優れ完成度の高いポップ・ソングを作り上げたと、もう一大絶賛もののアルバムなのである。
それでいて実験性や、やや流行にふった、いわゆる売れ線的なものがない。1曲目の「土曜日の恋人」はひょうきん族のエンディングテーマで有名になったけれど、いかにもテレビ的に作りましたみたいな曲じゃない。60年代アメリカンポップスの香りがする名曲だ。達郎は音楽的な部分だけでなく歌詞についても相当に研究というか研鑽をつんでいると思う。この曲はきちんと日本語がポップ調の調べにきちんとのっているから。
そして2曲目のアルバム表題作「POCKET MUSIC」。アコースティックギターのカッティングから始まるイントロ。静かな調べから懐かしい音楽とそれにまつわる様々な郷愁をうたいあげる歌詞。たぶん日本のポップス、あるいは日本語によるポップスの最良の作品の一つではないかとさえ思う。曲、歌詞、アレンジ、トータルな意味で完成された曲である。
このポケットミュージックにはもう一つウォークマン世代としての思い入れもある。ポケットにはウォークマン、ヘッドホンからかかる懐かしい曲たちみたいなイメージか。もっとも達郎がこの曲でイメージしたのはもっと昔々のAMトランジスタラジオあたりだったかもしれないが。
4曲目の「十字路」はモータウン系というか、R&B色の強いバラードだ。バックコーラスは達郎本人の多重録音だが、「ON THE STREET CORNER」の成果というか応用編みたいな感じがする曲でなかなかお気に入りである。ライブとかでもけっこう盛り上がるのではとも思うが、あまり取り上げられていないようにも思う。
6曲目の「THE WAR SONG」はウィキペディアの解説あたりだと、当時の中曽根康弘首相の「不沈空母」発言をきっかけとして作られた曲なんだとか。そうか私はずっとこの曲は天安門あたりを題材にしているのかと思っていた。

誰一人知らぬ間に
鋼鉄の巨人が目覚め
老人は冬を呼ぶ
キャタピラの音が轟き

この老人は蠟小平だろうとか、キャタピラはもちろん戦車によって蹂躙された天安門広場の若者たちだと、達郎はあの事件にインスパイアされてこの曲を作ったんだろうと思っていた。でも考えてみれば天安門事件は1989年のこと。「POCKET MUSIC」の製作は1986年だったんだ。思えばまだベルリンの壁ソ連邦も健在の時代だったわけだ。
考えようによっては達郎は来るべき天安門事件を予言したのかもしれない。いやオカルト的な意味合いではなく、詩人としての感性がきな臭い時代の流れの中からイメージしたものなのかもしれない。
このアルバムをしばらくまた聴きこむことになるだろう。そしてたぶん私の人生の中では、ずっと聴き続けていくことになると思う。5年とか10年とかそういうスパンで、ふとCD棚から手にとってCDプレイヤーにかける。きっとまた新しい感動を受けたり、かってこのCDを聴いたときに感じた思いへの郷愁を覚えたりするのだろう。
山下達郎という偉大なミュージシャンと同時代に生きていることに小さく感謝の念を唱えよう。声高に口にするのはなんだか気恥ずかしいから。