ローラ・ニーロ『スマイル』

考えてみるとベスト盤以外できちんと聴いていたのは『イーライと13番目の懺悔 Eli and the Thirteenth Confession 』(1968年)と『ニューヨーク・テンダベリー New York Tendaberry 』(1969年)の2枚だけだった。いずれも60年代のものであり、それを聴いていたのは多分70年代のこと。暗い暗い青春時代、高校時代の頃だったのだろう。
ローラ・ニーロは70年代はどんな活躍していたのだろうかと調べてみると、5枚くらいアルバムを出している。71年にスタートした結婚生活とともに一時的に音楽から離れていたようだが、離婚とともに活動を再開したという。少なくとも70年代後半からはけっこうきちんと活動していたようなのに、彼女の新しい曲とかを聴いた記憶がない。高校生の頃というと意外と新しい音楽を聴いていなかったのかもしれない。なんか全体的に後ろ向きの志向性があったのかもしれない。小節とかにしても、その当時が一番日本の近代文学みたいなもの読んでいた頃だったから。堀辰雄とか室生犀星とか愛読していた頃だもの。メガヒットとは無縁のニューヨークの最先端サウンドなんていうのはアンテナに入ってこなかったんだろう。
そこし70年代の彼女のアルバムをアマゾンで物色してみるとすぐにヒットする。で、すかさずクリックして購入。高校生の頃はアルバムなんて2〜3ヶ月小遣いためないと買えなかったのに(当時3300円くらいしたかな)、今は簡単に買えちゃんだよな。齢50を過ぎて多少は余裕も出てきたかしらん、などとも思う。で、とりあえず購入したのが『スマイル』と『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』。後者は海外発送の中古盤のため入荷までは1〜2週間かかる模様。
注文して2日で届いたのがこのアルバム。
スマイル(紙ジャケット仕様)
紙ジャケ仕様ということなんだが、すでにCDはプラスティック・ケース入りに慣れているから、ちょっと微妙な感じである。レコードライクといっても、この小ささでそれはないかなとも思う。
アルバムは1975年夏からレコーディングを開始して、76年2月に全米リリースされた彼女の通算6作目。プロデューサーには『イーライと13番目の懺悔』を手がけたチャーリー・カレロがあたる。ニューヨークのジャズ・フュージョン系スタジオ・ニュージシャンの一流どころが集まっている。何名かをあげておくと、ジョン・トロペイ(ギター)、ジョージ・ヤング(サックス)、ヒュー・マクラッケン、マイケル・ブレッカー(フルート・サックス)、ランディ・ブレッカー(トランペット)etc。
ブレッカー兄弟とかジョン・トロペイとかに微妙に反応してしまう。
70年代という後半ということでもっとフュージョンぽいものを連想していたのだが、見事なまでのローラ・ニーロ節である。ただし全体として60年代のように沈んだイメージ、暗さ、さらには特にローラがおそらく意識していただろう、ブルージーなR&B的なものへの志向はだいぶん薄められている。その分なんとも落ち着いた、静的なものを感じさせる。
1曲目の「セクシー・ママ」。このアルバムで唯一のカバー曲で女性R&Bグループ、モーメンツのそこそこヒット曲らしい。原曲を聴いていないから何ともいえないけど、アコースティックギターから始まるこアレンジは原曲とはずいぶん異なるのだろうと想像する。ローラの「ストレンジ〜不思議ね」というつぶやきから始まるこのナンバー静かな落ち着いた曲調だ。イントロから全編単調で静かにきざまれるアコースティック・ギターストロークは妙に素人っぽい。おそらくローラ自身が弾いているらしい。このアルバムではクレジットはないのだが、数曲のギターを彼女が弾いているという。
ローラのギターは本当に素人っぽい。彼女のピアノがそこそこにパワフルで印象的だからその比較からすると、まあ普通過ぎるというか。それを思うとジョニ・ミッチェルのギターがある時はワイルドに、ある時は果てしなく繊細なストロークを奏でていることかと改めて思ったりもする。ロック・ギタリストとしても評価が高く、アメリカのその手のランキングで女性ロック・アーティストとしては最高位で100位以内に入っていたという記事を読んだようにも思う。
ローラの『スマイル』に話をもどす。全体としてはほとんどがスローなナンバーだ。唯一3曲目の「MONEY」がややアップ・ビートで、フュージョンぽい感じを与える。後はやっぱりいつものローラである。R&B系、あるいはゴスペル系みたいな感じか。
その後のローラのアルバムをきちんと聴いていないからなんともいえないが、彼女はあまりジャズ、特にスタンダード系のものを取り入れることがなかったようにも思う。率直にいってあまり彼女の作家性から、彼女がフォービートをやっている姿、音を想像しにくい。少なくとも私は聴いたことがないかな。
とにかくスタティックなよいアルバムである。繰り返し一晩中かけていても飽きがこない。聞き流せるくらいの軽さもある、まあまあ良質なアルバムである。
ディスコトグラフィーによるとこのアルバムの製作途中で彼女の母親が49歳で癌のため亡くなったという。そのショックから一時アルバム製作は中断するというのだが、アルバム自体は母親の死を乗り越えたうえでの安定、平穏みたいなものすら感じられるような気がする。
その22年後の1997年に母親と同じ49歳で、しかも同じ病=癌でローラ・ニーロは亡くなった。早すぎる死ではあるが、ある種の遺伝的なものもあったのかもしれない。
ディスコグラフィーからの引用を続けると、ローラ・ニーロは、日本の禅や文学、建築にけっこう興味を持っていたようで、何度かお忍びで来日していたという。このアルバム製作が終了した翌月の1975年11月にも友人と一緒にプライヴェートで来日し東京や京都を楽しんだという。アルバムのポートレイトもその時に撮られたものだという。さらにこのアルバムの表題曲「スマイル」も琴をフィーチャリングしていて、日本のエキゾチシズム満載の曲である。
同じディスコグラフィーから、このアルバムが発売された1976年に山下達郎のソロ・デビュー・アルバムが製作されている。このアルバムはA面がニューヨークで、B面がロスアンゼルスで製作されている。そのニューヨークサイドのプロデューサーをしているのが、『スマイル』の製作を行ったチャーリー・カレロであり、参加ミュージシャンもかなりのメンバーが同一だという。当時の達郎や吉田美奈子等は、ローラ・ニーロのファンだったという話もある。
山下達郎アメリカン・ポップスへの造詣の深さはつとに有名である。そして60年代のR&Bについても半端じゃない知識の持ち主であり、彼の音楽のバックボーンになっている。例えば彼がカーティス・メイフィールドについて熱く語っているのを何かの本、あるいは彼がずっと続けているラジオ番組とかで聴いたことがある。たぶん達郎もまたローラ・ニーロのR&B志向の音楽を愛してやまないのだろう。そして私が達郎の音楽をずっと愛してきたのも、同じような趣向、志向性があるからなんだろうと思う。
しかし1976年のことである。今から34年前になるわけだけど、ずいぶんとワクワクする年だったんだろうな。みなまだ若く、未来に向けて動き出そうとし始めた頃だったというわけだ。