ゲルハルト・リヒター展 (6月23日)

 東京国立近代美術館(MOMAT)で開催されているゲルハルト・リヒターの回顧展に行ってきた。今回の回顧展では、リヒターが手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む、ゲルハルト・リヒター財団の所蔵作品を中心とする約110点が出品されている。

ゲルハルト・リヒター展

 リヒターの作品は以前にもMOMATで観ているはずだけど印象は薄い。世界的に有名なアーティストらしいけど、現代芸術はまだまだ自分の範疇に入ってきていない。ドイツのアーティストも去年MOMASでヨーゼス・ボイスの回顧展観たけど、よく判らなかった。

 リヒターについては4月にポーラ美術館で抽象絵画を観ている。数年前にアジアで最高落札額約30億で落札したというものだ。ただ自分にはジャクソン・ポロックの亜流みたいな感じがしたけど。

ポーラ美術館~モネからリヒターへ (4月21日) - トムジィの日常雑記

 その時のリヒターについて簡単なメモを作ったので、それにそって幾つかの作品の感想を。

ゲルハルト・リヒター略歴

・リヒターは1932年ドイツ・ドレスデン旧東ドイツ)生まれ。ドレスデン芸術大学で美術教育を受ける。1959年に当時の西ドイツ、カッセルで開催されたドクメンタ(グループ展)でポロックやフォンタナの作品を見て感激した。61年に29歳で東ドイツから西ドイツに亡命した。(ベルリンの壁ができる直前)。その後、デュッセルドルフ美術アカデミーで学んだ。現在はケルンを拠点に活動している。

 作品をめぐるエピソード

・2012年、競売大手サザビーズがロンドンで行った競売で、エリック・クラプトンが所有していたリヒターの抽象画『アプストラクテス・ビルト(809-4)』が約2132万ポンド(約26億9000万円)で落札された。生存する画家の作品としては当時史上最高額。

・2020年10月6日に香港で行われた現代美術のイブニングセールにおいて、約30億円でポーラ美術館が落札したリヒターの《抽象絵画(649-2)》(1987)だ。同作は、アジアにおけるオークションで落札された欧米作家作品の過去最高額となったことでも話題を集めた。

リヒターの代表的シリーズ

① フォト・ペインティング
・精密に模写した写真のイメージを微妙にぼかす
・新聞や雑誌の写真を大きくカンバスに描き写し、画面全体をぼかした手法である。

② カラーチャート
・カラーチップを配列した幾何学的な絵画
・モザイクのように多くの色を並べる

③ グレイ・ペインティング
・グレイのみで展開する絵画
・キャンバス全体を灰色の絵の具で塗りこめる

④ アブストラクト・ペインティング
・鮮烈な様々な色を組み合わせて織り込む、スキージやキッチンナイフにより塗っては 削ぎ取るなどにより重層的で複雑な色面を創り出していく。

⑤ オーバー・ペインティング
・スナップ写真の上に油彩やエナメルで描く

⑥ ミラー・ペインティング
・鏡やガラスなど反射する素材を重ね合わせて立てかけるパネル作品。光や反射によってぼんやりと映し出される風景など「どう見るか」を鑑賞者にゆだねる。

ビルケナウ

 ビルケナウはホロコーストを主題としている。囚人によって隠し撮りされた4枚の写真を元に描かれた4点の抽象画である。今回は、MOMATはビルケナウだけで1室を使って展示している。まず部屋に入ると右側の1面にビルケナウが展示され、その反対側にはビルケナウを元にした同寸の写真が展示されている。そして入り口の向かい側には巨大なグレイの鏡が4枚ありビルケナウとそれを鑑賞する人々を映し出している。入り口の右側には元になった4枚の小さな写真が展示してある。

 この作品についての解説はこちらの記事が詳しい。

 記事にあるとおり、「リヒターは4枚の写真を元にホロコーストをキャンバスに写しとるのが無理だと気づき、描いていたイメージを削り取る作業」に入る。そしてその上にさらなるイメージを描いてはスキージーというヘラで削る。その繰り返しの結果出現したのが、この抽象画ということのようだ。

 リヒターはホロコ-ストの惨劇を具象化することは出来ないとどこかで判断したのだろう。あの根源的な悪によるジェノサイドを具象化することは不可能。だからこそ混沌とした抽象性の中で、ホロコーストの地獄を観る者は自らの想像力によってイメージ化する。

 この絵を観て最初に思ったのは何だろう。一つは丸木位里の原爆図だ。原爆投下の数日後に現地に入り、凄惨な悲劇を目の当りにした丸木が、それを日本画のフォーマットで描いた作品群。そこには悲劇の具象とともに、ある種の宗教的な崇高さや慈愛する感じさせた。

 もう一つは藤田嗣治戦争画アッツ島玉砕」だ。戦争の地獄のあり様を見事に活写している。以前には丸木位里は藤田の戦争画をヒントにしてるのではと思ったりもした。しかし今思うと、藤田は戦争を題材にした歴史画制作をしたかったのではないか、リアルな戦争は画題としては描いてみたいものに違いない。そういうプロの画家の表現者としての欲みたいなものを思ったりもしている。

 さらにいえば戦争の悲劇、無差別爆撃による非戦闘員たる市民への殺戮といえばピカソの「ゲルニカ」を思ったりもする。あの絵を観た時に、なぜピカソは抽象化したのか、もっと具象的に戦争の悲劇を描くことは出来なかったのかと稚拙に思ったりもした。しかしリヒターの「ビルケナウ」を観てあらためて思った。ピカソゲルニカの悲劇を描くには抽象化せざるを得なかったのだ。

 戦争の悲惨さを具象化して描く、あるいはリアリズムとして活写する。それは20世紀にあっては写真が役割を担っている。日本の戦争画は報道絵画的な性格をもっているが、そこには兵士や軍隊を称える部分が透けて見える。あるいは藤田のように西洋画の一ジャンルとして定着されている歴史画としての戦争画を意図したのではないかと。

 真っ向から戦争の悲惨さ、大量虐殺の事実をイメージ化するとき、具象は観る者の想像力を既定の方向に指向させるような働きがあるかもしれない。それに対して抽象的イメージは、観る者に様々なものを想起させるのではないか。

 ピカソは多分、ゲルニカの悲劇をああいう抽象化させることでしか描くことができなかった。そしてピカソの地平のさらに向こう側に、リヒターの問題意識と表現がある。啓蒙性、科学的客観主義、近代合理性、そうした近代合理主義の果てにホロコーストの惨劇がある。効率的に行われたジェノサイドとそれを平然と行わしめる根源的な悪。それらを表現するには、もはやあの混沌とした抽象表現、イメージを塗り固めては削げ落すことによって表出する混沌。アウシュビッツ=ビルケナウを描くにはあれしかなかったということか。

 「ビルケナウ」は事前情報とか先入観なしに観ると、ただのよく判らない4枚の大型抽象画だと思う。ただそのタイトルからの連想、さらに様々な制作にあたっての情報を頭に入れると、当然のごとくそうしたことからホロコーストへの一元的な指向性を観る者に与えてくる。

 自分もキャプションやら解説やらを目にしたうえで観たので、当然そうした視点でこの作品を観た。するとなんとなく様々な色、引っかき傷のような文様、その中に、殺されゆく人々の顔がいくつも浮かんでくるような気がしてくる。これはまあ事前情報からの錯視、錯覚かもしれない。

 ホロコーストのカオス。そういうものとしてこの作品を体験する。多分そういうことなのだろう。

 リヒター展は10月までのロングラン企画である。多分、何度かこの企画展に足を運ぶことになると思う。もっと様々な情報を得たうえで、理知的にリヒター作品を受容するということも必要だろうか。それとは別に、何度か足を運ぶことで、自身のリヒター体験にも変化が現れ、さらにいえば自分なりのリヒターのイメージが形成されるかもしれない。