妻の定期通院のつきそいで病院へ行く。二ヶ月に1度神経内科の一応主治医に診てもらうのだが、問診はだいたい3~5分程度で終わる。
「どうですか。御変わりありません」
「特には。あっ、最近よく右足が吊ることが多いです」
「それは困りましたね。筋肉の緊張をほぐす漢方薬でもだしておきますか」
「お願いします」
「次は4月の11日くらいでどうでしょう」
「お願いします」
障害は固定しているし改善の見込みもない。とはいえこれ以上悪くなるのだけは避けたいことや、介護保険のこととか諸々あるので、こんな風な通院をかれこれ10数年続けている。
会計をすませて調剤薬局で処方箋をもらって時間をみるとまだ11時少し前くらい。通院の後は昼食、買物、ちょっとした観光、妻はまあお出かけ出来ればいいという感じだ。毎週、木曜だけはデイサービスが休みなので、その時もどこかへ行くのだけど、さて今日はどうしようか。月曜は美術館はたいてい休みなので別のことを考える。もう少し昼に近ければどこかでランチでもと思うがちょっと早すぎる。
車の中で数分考えてから東松山の方に行ってみることにした。頭の中にあるのは東松山の駅近くにある箭弓神社。あそこにはまだ自分は行ってなかったなと。
東松山はもう亡くなられてしまったが、会社で世話になった先輩が住んでいて、時々泊めてもらったり周辺で酒飲んだりとかあったので、割と馴染があるところだ。一人であの焼き鳥と称する焼きトンを食べに行ったこともある。けっこうハマった時期があって、一人でわざわざ出かけたりした。その先輩にも時々連れていっていただいた。
カウンターだけの店でビールや焼酎飲みながら、カシラやレバー、ハツなんかを食す。食べ終わった串は串置きに入れるなんてことはしないで、そのまま足元に捨てる。ワイルドだったな。客もだいたい一人できてるオッちゃんとかで、時々話しかけらたりもした。
「あんちゃん、このへんか」
「いえ、〇〇です」
「そうかい」
みたいな他愛のない話。
しばらく通ったが焼きトンのマイブームはすぐに終わった。その頃から焼きトンと辛みそはそこそこブームになって、「ひびき」とかがチェーン展開したりとかもあった。一気に拡大して経営破綻、今は事業継承されたんだったか。
なんの話だ、焼きトンじゃない箭弓神社の話だ。
箭弓神社
東松山の駅近くに大きな鳥居があり箭弓神社というのがあるとは先輩からも聞いたことがある。「やきゅう」というゴロのせいか野球関係者が参拝に訪れることも多いのだとか。確か西武ライオンズが初詣に行くとかいう話もあったような気がする。
割と川越以北の東武沿線では知られた神社らしいのだが、一度も行ったことがない。後で聞いたら妻はデイで仲良くなった友だちたちと一度神社に近接した牡丹園に行ったことがあるという。
大鳥居を抜けるとすぐ左側に駐車場がある。正面にはまた鳥居がありその奥に社殿がある。2月のウィークデイなので駐車場も空いているし、境内の参拝客もまばらである。いちおう参拝して家族の健康とかもろもろ祈ったり。それから社務所で御朱印をもらったり。
境内は小さな砂利というか小石が敷き詰めてある。しかし神社ってどうしてこういう砂利敷なんだろうね。車椅子を押しているとけっこう砂利は大変なんだ。少し進ませてはちょっと前輪を持ち上げてみたいなことを繰り返す。この神社くらいの敷地だとなんとかなるけど、広いところだとけっこう大変。伊勢神宮の内宮は何度か行っているけど、あそこは大変だったなとちょっと思い出したりする。
社殿の左側は大きく開けていてその先にはこじんまりとした牡丹園がある。まあ2月なので低木があるだけなんだけど、せっかくきたので園内を一周する。4月の後半くらいに来るとけっこうキレイなんだろうなと思うが、そういう時期だとそこそこの人出があるのだろう。
箭弓神社は調べると創建は712年だが当初は小さな祠だった。1030年に反乱を起こした平忠常を討伐するためにこの地を訪れた源頼信が、白羽の矢のような形の雲が敵陣に飛んでいくのを目撃。これを神のお告げと思い直ちに敵陣に攻め込み、敵を制圧した。その後、頼信は立派な社殿を建造し「箭弓稲荷大明神」とたたえたと伝えられ、これ以降、豪族や大名の庇護を受けてきたのだとか。
ガーデンホテル紫雲閣
そこそこの規模ではあるが駅近のちょっとした神社といったところだろうか。境内と牡丹園をぐるりとしたところで時計を見ると12時を少し回ったくらい。なんだかんだで45分くらいいたのだろうか。社殿の裏側にはホテルがある。紫雲閣ホテルという看板もある。スマホで調べると東松山の唯一のホテルらしい。
観光といってもこのへんだと森林公園に行くとか高坂の動物園くらいしかない。どちらかというと近くにある工業団地への出張客用かもしれないな。ちょこちょこ調べて行くとレストランでちょっとしたランチが食べることが出来るみたいである。しかも値段が1200円~とチープな感じ。行くだけ行ってみるかと境内の裏からホテルに通じる細い道を通って行ってみる。
レストランは閑散としていてお客は一組だけ。まあいいか入ってランチを食すことにした。妻はエッグハンバーグ、自分はミックスランチ。コーヒーはフリードリンクで好きに飲んでいいみたい。それで一人1500円ということだったのでまあ割安かなとは思った。一応ホテルだし、でもまあ東松山だから。席は窓際で外には人口的な庭園というか小さな滝が流れていたりもする。まあ東松山だしね。
料理は値段相応といってしまえばそれまでだけど、写真の他にそこそこの量のサラダもついていたし、パンもキノコのスープもけっこうイケた。ミックスフライもヒレカツ三切れ、カキフライにエビフライで昼飯には十分だとは思った。コーヒーもフリドリンクでお代わりできたしけっこうコスパは悪くないと思う。
岩殿観音
食事終了して時間は1時半少し前。もういっちょう行ってみるかと、これもどこかで聞いたことがあった岩殿観音へ行ってみることにする。ナビに正法寺(しょうぼうじ)と入れると20分かそこらで着くとある。場所的には高坂の子ども動物公園の近くのようだ。
東松山から高坂駅方面に向かい子ども自然公園のすぐ近くで右側に逸れる。それからちょっと行くとやや狭い参道に入りそこをだらだらと登っていく。参道の両側に家が並んでいるのだが、NHK大河ドラマの関連なのか「比企能員」「巌殿 比企能員ゆかり地」と染め抜かれた織旗があちこちに立っている。その参道の行き止まりに山門がある。山門はガラス張りになっていて中には朱塗りの仁王像が二体ある。
この仁王像は運慶の作といわれていたが、平成4年の解体修理の際に棟札がでてきて、運慶作の像は江戸時代に焼失して、文化年間(1808-1814)に再建されたものと判明したのだとか。鮮やかな朱塗りは平成の修理の時に塗り直したもの。
そして山門を抜けると長い長い階段が続きその奥に観音堂がある。
この岩殿観音=正法寺もかなり古い名刹のようで開基は平城時代のようで鎌倉時代に復興したものと伝わっているようだ。
寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。
全体として山を切り崩したような場所にある。後で調べるとその山の向こうは物見山に繋がり、そこから平和資料館や子ども自然動物園の方まで歩いていけるようで、ちょっとしたハイキングコースになっているようだ。
正法寺境内には観音堂の他に薬師堂、鐘楼などもあり雰囲気がある。また長い石段を見下ろす景色もなかなかなものだ。
弁天沼
帰りは来た道ー参道を下った。参道を抜けて一般道に出てふと左に眼をやると朱塗りの橋がある。近くによると干上がった沼の真ん中に小さな島がありそこに橋がかかっている。
ここは弁天沼=別名鳴かずの沼と呼ばれ、昔、坂上田村麻呂が岩殿山に住む悪竜を退治し、首を埋めたところに弁天沼ができたといわれている。この沼にはカエルが住み着かないところから「鳴かずの池」と呼ばれたという言い伝えがあるのだとか。
というわけで東松山の観光地を周遊した。まあ東松山で有名なところといえば森林公園と子ども自然動物園くらい。そのあとに続くのが箭弓神社、岩殿観音というところなので、とりあえず東松山はほぼ制覇したかと思っている(適当)。まあこうやって近場をうろうろして回るのも悪いことじゃないとは思っている。