平らで安全な道路づくりを

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 今日の朝日新聞朝刊の投書欄に載っていた。64歳のご婦人の投稿だ。

 道路が中心から両端に向かって緩い傾斜になっているため車椅子での自走が難しいという。これは自走だけでなくて車椅子を押していてもいつも感じることだし、妻が一人で近所とかを自走していても常々訴えていることだ。傾斜があると車椅子はその方向に曲がってしまうので常にそれを補正しなければいけなくなる。ある意味で道路はちっともバリアフリーではない。

 もう一つ道路ではなく、道路に併設されている歩道の話だ。たいていの舗道は道路の側に緩く傾斜になっていることが多い。なので歩道を自走しているとだんだんと道路の側に寄っていってしまう。これがどれくらい危険なことか。おまけに歩道と道路の間にはそこそこの段差があるので、もし道路の方に落ちてしまえば転倒の恐れもある。そこに車が走ってきたら。

 私が車椅子を押していても車椅子はすこしずつ道路の方に寄っていく。それを修正するためにけっこう常に力を入れている必要がある。

 さらに歩道を車椅子で動いていると、道路のところで歩道が途切れるのだが、その途切れるところがけっこうな傾斜になっていて車椅子を押していてもかなり力を入れて制御しないと危険なのである。さらにいったん道路に出てまた歩道に上がるところも傾斜のため力を入れて歩道にあげる必要がある。自分はいつも車椅子の後ろの下についているステッピングバーを足で踏み込んで前輪を持ち上げて歩道に上げるようにしている。

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車椅子をどう操作する? | 全国ユニバーサルサービス連絡協議会

 妻はやむなく自走して歩道にあがるときは、車椅子を後ろ向きにして上がるようにしているという。拙い絵だが〇をした部分だ。つたない絵だが〇をした箇所のときだ。

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 妻が病気になり車椅子生活になって以来、もう16年かそこらこんなことに気をつかいながら、また世界はバリアだらけだなと嘆いたり、ブツブツ言いながら日々を送っている。とはいえ妻が病気になる以前は自分たちもそんなことにはまったく気をかけることなく生活をしていた。いざ家族が障害者になって初めて周囲の様々なバリアに気がつく。そういうものだとは思う。

 世の中は超がつく高齢化社会に突入している。障害者ではなくても、家族に車椅子生活を送るお年寄りが普通いいる世の中になってきている。ユニバーサルデザインという言葉のもと、社会のあらゆるところに存在するバリアを少しずつ改善していく必要が今迫られているのだとは思う。

 社会は経済格差が進み、自己責任という言葉が横行している。また経済合理性や費用対効果といった言葉のもと、福祉予算は削られ、インフラ整備もおろそかにされている。20世紀に行われたインフラ整備はすでに老朽化し、それはもう補修といったその場しのぎではない再構築が必要となっている。

 今は過渡期だから、様々なバリアは対処療法的に改善する以外はないのかもしれないが、出来れば抜本的な形でのバリアフリーのためのインフラ整備が進むことを祈っている。投稿の夫人は最後にこうおっしゃっている。

「今後、様々な技術の改善により、平らでかつ安全な道路がつくられるようになればうれしいです。」

 同感である。