東京国立近代美術館へ行く (2月9日)

 午後、野暮用もあり都内に出る。ほぼ三週間ぶりに電車に乗る。

 お茶の水で用事すませたのが3時くらい。コロナもあるし大人しく家に帰ろうかとも思ったが、まあせっかくなので竹橋まで歩いて東京国立近代美術館(MOMAT)へ行くことにする。

 ここに来るのは昨年暮れ以来。

東京国立近代美術館 (12月16日) - トムジィの日常雑記

 いつもだと年明けの美術館の初詣というか、最初に行くのはここか上野の西洋美術館のどちらかなんだけど上野は休み。MOMATも常設展示のMOMATコレクションは2月13日まで一緒なので、なんとなくパスになっていた。まあ都内に出るのもなんとなくコロナのことでいうと敬遠気味ということもあるから。

 週末の13日日曜で特別展の「民芸100年」と常設展示も終わりということで、会期末ということもあるのだろうかけっこう混んでいる。MOMATは13日の後は、一月ちょっと休館となり、3月18日から「鏑木清方展」と常設展示は恒例の「美術館の春まつり」になる。また川合玉堂の「行く春」とご対面ということになる。

没後50年 鏑木清方展 | 東京国立近代美術館

美術館の春まつり 2022 | 東京国立近代美術館

 館内に入ったのは3時半くらい。鑑賞時間は正味1時間と少し。ここの常設展示は65歳以上だと無料になるので、こういうのを利用させてもらうことにする。入り口で免許証見せて確認してもらい4階まで。

 4階ハイライトは前回と同様で狩野芳崖の「獅子図」、小林古径「極楽井」、落合朗風「浴室」、上村松篁「五位星」など。やっぱりというか小林古径の美しさは群を抜いている感じ。もちろん芳崖も松篁も素晴らしいのではあるけど。

 3Fの日本画のコーナー(10室)も前回同様に理系的題材をもった作品を展示しているのだけど、そこにある太田聴雨、北野恒冨を並べてみると、美人画の3様態がいずれもなにか凛として静謐なイメージを感じさせる。なんていうのだろう、艶っぽさとかそういうのとは真逆な感じ。

 美人画でも艶っぽさ、妖しさみたいなのがウリの作家、作品も多い。それに対して上村松園みたいに精神性とか凛とした美で描かれた作品もある。古径、聴雨らから感じるのはそこまでかっちりとした精神性ということではないのだけれど、色気とは無縁な感じがする。カメラと戯れる女性を描いた北野恒冨はもともと妖しさとかを表現するのが巧な人だけど、この絵にはそういうものがないかと、まあ適当に思ったりもした。

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 今回も3F日本画の間ではけっこう長い時間いたような気がする。ここの雰囲気は落ち着く。

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 日本画は洋画に比べて保存が難しく、長期展示すると劣化もあるという。なので日本画の作品はMOMASでけっこう時間を置いて展示することが多い。なので観れるときに観ておかないと次いつ巡り合えるかみたいなところもある。太田聴雨の「星をみる女性」は大好きな作品だが、多分しばらくの間観ることはできなくなるかなと思ったりもした。

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「失題・Q(偶数3)」 (星野眞吾)

 星野眞吾は三上誠とともに日本画の革新を掲げたパンリアルを美術協会を立ち上げた、自らの作品を伝統的な日本画とは異なるものとして「膠絵」、「膠彩画」と呼んだという。最近の傾向として洋画を油を定着剤とする「油彩画」とするのに対して日本画を「膠彩画」と呼ぶことが多くなっているとも聞く。その「膠彩画」を最初に使ったのが星野眞吾だというのは、ちょっとした驚きだった。

 戦後、日本画が例の第二芸術論のあおりもあってその地位が低下した時期もあるという。若い日本画専攻の画学生だった、星野や三上には洋画(=油絵)に対して自らが選んだ日本画というメディアでの可能性を追求するという問題意識があったのかもしれない。

 彼らの絵を見ていると、別に日本画である必要を感じない部分もなきにしもだ。でも、彼らはあえて日本画に拘り続けたのかもしれないし、彼らの創作活動において日本画の画材も表現手段の一つとして使うくらいの感覚だったのかもしれない。

 星野眞吾は、身体に糊を塗って紙に押し当て、乾燥する前に岩絵の具を振りかけて作る人間拓本「人拓」を生み出し、主要モチーフにしたという。

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「白い作品・男」(星野眞吾) 1968年

 この作品もMOMAT所蔵作品だが、まだ一度もお目にかかったことがない。いつか観てみたいと思う。まあこれはある種の興味本位かもしれないけど。

 人の身体に塗料を塗って紙やキャンバスに押し付ける「人拓」というと、イヴ・クラインの「人体測定」を思い出す。イヴ・クラインはたしか1960年に発表している。星野眞吾が「人拓」シリーズを始めたのは父親が死んだ1964年頃からだという。星野はどこかでイヴ・クラインのパフォーマンスを見聞きしていたのかもしれない。

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 「人体測定」 (イヴ・クライン

星野眞吾 - Wikipedia

星野眞吾 :: 東文研アーカイブデータベース

イヴ・クライン - Wikipedia

 

 その他では松本峻介の作品がなんとなく印象に残った。彼の作品に漂う静けさは彼の聴覚障害と関係あるのかとか、いつも思うのはどことなくシャガール的な雰囲気とか、そんなことを考えていた。松本峻介とシャガールの関係とかっていうのはあんまりきいたこともないし、読んだこともないので、単なる自分の思い過ごしかもしれないけど。

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「黒い花」 (松本竣介

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「N駅近く」 (松本竣介