「甘い生活」を観る

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 いつ録画したのかわからないが、BSプレミアムで取ったものを観た。フェデリコ・フェリーニ監督の長編7作目。ネオレアリズモっていうのか、戦後の社会的混乱の中で社会問題をテーマにしたような作品を描いていた作風から、暗喩的なシンボルを配置したり、時系列な物語性を排したエピソードを脈絡なくつないでいくような映画作り、そういうフェリーニの特性が出始めたのがこの「甘い生活」からのようだ。冒頭のヘリコプターで吊り下げられたキリスト像や、ラスト近くに漁師たちに引き上げられる謎の怪魚などがそれだ。

 この映画、多分何度か観ているはずなのだがほとんど覚えていないみたい。さらにいえば次作の「8 1/2」との混同もはげしい。「人生は祭りだ」はどこでつぶやくんだと思ってたのだが、最後までそんなセリフは出てこない。あれは次作のほうだった。もっとも主役がマルチェロ・マストロヤンニで女優でアヌーク・エーメが出ているし、アニタ・エクバーグとクラウディオ・カルディナーレを混同したとしても、これは致し方ないかと思ったりもする。ある意味、2作とも乱痴気騒ぎのシーンばっかりみたいな感じもしないでもないし。

 上映時間は2時間54分と長い長い映画だ。そのうえストーリーらしいストーリーもないしテンポあるようなないような映画である。こりゃ途中で落ちるかなと思いつつ観たのだが、けっこう淡々と観続けることができた。凝ったカット、映像の美しさと女優陣の美しさ、そういうところで楽しめた映画だった。

 映画は、主人公の小説家くずれのゴシップ記者を狂言回しにして、上流階級の享楽的な乱痴気騒ぎを脈絡のないエピソードとして描き続ける。主人公はあたかも、実人生と退廃的な夢の間を行き来しているような感じである。そして彼は最後夢から覚めて実人生を歩み続けるのか、あるいはそのまま夢的世界に永遠に引き込まれていくのか、まあそんな風に思えた。

甘い生活 (映画) - Wikipedia

La Dolce Vita - Wikipedia

 この映画はプロローグと7つのエピソード、途中の幕間劇、エピローグで構成されている。さらにエピソードの顛末的なシークエンスが別のエピソードの後に挿入されるなど重層的な構成になっている。英語版ウィキペディアにそって引用すると各エピソードはこんな感じである。

プロローグ

ローマ郊外に飛ぶ2機のヘリコプター。1機はキリスト像を吊り下げていて、もう1機には取材のためか主人公のゴシップ記者マルチェロと友人のカメラマン、パパラッツォが同乗している。

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エピソード1
夜のナイトクラブの喧騒。マルチェロは裕福な上流階級の娘マッダレーナと出会う。二人は拾った売春婦のアパートに行きそこで一夜を共にする。

翌朝早朝、マルチェロは自分のアパートに戻ると、同棲している婚約者エマが睡眠薬の過剰摂取で倒れている。彼女を病院に連れて行き、彼女に永遠の愛を誓うが病室を出るとマルチェロはマッダレーナに電話をしようとする。どこまでも不実な男。

エピソード2

有名なスェーデン系のアメリカ人女優シルビアが空港に到着する。マルチェロとパパラッツォは彼女の取材に行く。記者会見の後、シルビアの婚約者のロバートは酔っぱらって彼女の相手をしない。マルチェロはシルビアにサンピエトロ大聖堂の見学を勧める。翌日、シルビアはサンピエトロ大聖堂の中をエネルギッシュに上っていく。マルチェロはついていくのがやっとである。

その夜、カラカラ浴場でのパーティでシルビアとマルチェロは踊る。婚約者のロバートはシルビアの相手をしない。その後、マルチェロはシルビアをさそい車でそこから抜け出す。後を追うパパラッツォたちカメラマンをまいてローマ市内の路地裏に紛れ込む。シルビアはトレビの泉の中に入りマルチェロを誘う。マルチェロはシルビアの美しさのとりこになる。

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気がつけば夜明けになっていて、泉の周囲で人が二人を見ている。

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二人はシルビアのホテルに戻る。車の中でシルビアを待っていた婚約者のロバートはシルビアを平手打ちし、マルチェロを殴りつける。 

 エピソード3-1

マルチェロは教会の中で著名な知識人である友人のシュタイナーと会う。シュタイナーは教会のオルガンでバッハを演奏する。

エピソード4

ローマ郊外で2人の子どもが聖母を目撃したということで信者や大群衆が聖母を見ようと集まっている。マルチェロとパパラッツォは取材のためそこに行く。婚約者のエマもついてくる。

夜になっても結局聖母は現れない。夜遅く雨が降り出し、群衆は聖母が現れるとされる小さな木を引き裂くなど混乱した状況となる。奇跡を信じて連れてこられていた病気の子どもは雨に打たれ死んでしまう。

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エピソード3-2

マルチェロとエマはシュタイナーの家で開かれているパーティに出席する。そこには多くの知識人や芸術家が集っている。シュタイナーはマルチェロに、自分が物質的な生活での安定と不安定な精神的なものへの憧れとの間で揺れていることを告白する。そして自分の子どもたちを愛しているが、いつか子どもに危害が及ぶことを恐れていると話す。

インターメッツォ

マルチェロは海辺のレストランで小説を書こうとタイプライターに向かっている。そこで、ペルーシャ出身の10代のウェイトレスパオラと出会い話をする。マルチェロはパオラに彼氏がいるか聞き、彼女をウンブリアの絵の天使に似ていると言う。

エピソード5

マルチェロはカフェでローマを訪れた父親と会う。マルチェロはパパラッツォと一緒に父親をクラブに誘う。そこでマルチェロは以前付き合っていたダンサーのファニーを父親に紹介する。マルチェロはパパラッツォに子どもの頃父親は何週間も家を不在にしていたと話す。その後、みんなはティファニーの家に行く。

夜明けに父親は軽い心臓発作を起こしてくるんでいる。マルチェロは父親にしばらくローマに滞在して話し合いたいと望むが、父親は家に帰りたいといい、タクシーをよんで走り去る。

エピソード6

マルチェロはヴェネト通りでガールフレンドと会い、みんなでローマ郊外の貴族が所有する城でのパーティに参加する。パーティの参加者はみな酔っぱらっている。そこでマルチェロはエピソード1で会ったマッダレーナと再会する。二人は城の中を探索し、マッダレーナはマルチェロを広い部屋に一人にさせ、エコーチェンバーで繋がった別の部屋からマルチェロに語りかける。彼女はそこでマルチェロを愛していること、結婚するように求めるが、そこに別の男が現れるとマルチェロへの興味を失いその男と抱き合う。

その後パーティーのメンバーたちはみな城の旧館に探索に繰り出す。夜明けになると戻り城の持ち主たちは朝のミサに加わりパーティは終わる。

エピソード3-3

夜、郊外でマルチェロとエマは車の中で喧嘩をしている。エマは彼女の献身的な愛にマルチェロが応えないと責め続け、マルチェロは彼女の愛に窒息しそうだと彼女を拒絶する。それから彼女を車から引きずり出して一人車で走り去る。しかししばらくすると彼は戻ってきて彼女を乗せ車はまた走り去る。

夜明け、マルチェロとエマはベッドで寝ている。そこに電話が鳴り、シュタイナーが二人の子ども射殺したうえで自殺したことを知る。

マルチェロは友人として現場に駆け付ける。犯行現場を目撃して呆然とするマルチェロ。それから刑事と一緒になにも知らず帰って来たシュタイナーの妻に事件のことを説明する。その周りではパパラッツォたちカメラマンが群がっている。

エピソード7

夜、マルチェロは友人の金持ちであるリカルドのビーチハウスに仲間たちと侵入して乱痴気パーティを繰り広げる。仲間たちの多くはゲイである。マルチェロは小説家になることを断念し、ゴシップ記者もやめて広告エージェントになったことを皆に注げる。パーティは過激さをまし、離婚したばかりの女性がストリップショーを行ったり、マルチェロは一人の女性に馬乗りになったり、枕の中の羽を投げたりする。

エピローグ

パーティーはお開きとなり、一同は夜明けの海岸に向かう。そこでは漁師が網にかかった怪魚を引き上げている最中である。エイのような奇妙な怪魚は死んでも大きな目を見開いている。

浜辺には小さな川が海にそそいでいて、向こう岸には海辺のレストランにいたパオラがたたずんでいる。パオラはマルチェロに何かを伝えようとするが、風や波の音でマルチェロには何を言っているのかがわからない。マルチェロは彼をよびに来たパーティの参加者と戻っていく。パオラはマルチェロに手を振って謎めいた笑顔で彼を見守っている。

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 この映画の凝った映像は例えばこんなカットにもみられる。まるで超現実主義の絵画のようだ。

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 そして女優陣の美しさ。特にアヌーク・エーメの美しさは群を抜いている。彼女はこの映画の前、「モンパルナスの灯」(1958年)でモディリアニの恋人ジャンヌ・エビュテルヌを演じて人気が出た。そしてこの映画の出演の後、ジャック・ドゥミの初監督作品「ローラ」(1961年)に主演、「8 1/2」(1963年)で再びフェリーニ作品に出演した後、1966年にルルーシュの「男と女」に主演する。60年代最も輝いていたフランス女優の一人だった。その彫りの深いミューズのような美貌は、いわゆる美人女優のそれとは異なる種類のように思えた。

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 個人的にはフェリーニの難解な作品や初期の「道」や「カビリアの夜」のような救いなき絶望めいた結末はちょっと苦手な部分がある。そういう意味ではある種の祝祭感覚のある「フェリーニのローマ」や「アマルコルド」とかが好きなのだが、せっかくこの「甘い生活」を観たのだから、今度は「8 1/2」にも挑戦してみようかと思ったりもする。とはいえもっていたはずなんだがDVDどこにあるだろうか。