奥村土牛展を観る  (12月10日)

【開館55周年記念特別展】 奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾― - 山種美術館

 山種美術館で開かれている「奥村土牛-山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾」を観てきた。この「山崎種二が愛した日本画の巨匠」の第1弾は春先に開かれていた川合玉堂展でそれも観に行っている。

 奥村土牛については実はあまりよく知らない。101歳まで生きた長命な画家だということくらいか。たまたまというか、前日のグランマ・モーゼスに続いて101歳まで生きた長命な画家の回顧展を続けて観に行くというのもちょっとした奇遇かもしれない。日米長命画家シリーズ。

 奥村土牛のおさらい。梶田半古の弟子だという。梶田半古って誰だよ。自分ら絵の半可通はこのへんでだいたい躓く。

 日本画のジャンルというか画家を知るためには、だいたいにおいて、まずは流派での括りから始まる。丸山・四条派であるとか狩野派であるとか、南画・文人画であるとか。次には誰それの弟子であるとか、そういう子弟繋がりでの括りがある。次には院展で活躍したとか、文展だか官展で活躍したとか、作品の発表場所での括り。さらには美術院だの国画会、創画会、青龍社などといった画家が集まって主催した会の同人であるかどうかの括りなどなど。さらにはどういうジャンルの絵を描いていたかによる括りもある。テーマ、題材が女性だけになると美人画といった括りとか。

 さらにいえば西洋絵画のようにスタイルや表現技法などによる括りもある。でも一人の画家が様々なスタイルに挑戦したり、画家個人の成長や年齢によってスタイルが変わる場合もある。南画から初めて京都風の写実画を描いているが、東京に出て狩野派的な画風も取り入れて・・・・・。

 ぶっちゃけ概説書や入門書を読んでも実は画家のスタイルとかそのへんよくわからなかったりする。ある大家は精神性がどうのとか、表現技法の朦朧がどうのとか、そういう特徴があってもそれだけじゃない訳だし。

 話がずれた。日本画を観ていて今一つよくわからない部分への半可通の所謂グチである。なので話を戻す。

 梶田半古は明治二十年代に主に挿絵画家として活躍した人らしい。有名なのが尾崎紅葉金色夜叉』、小杉天外『魔風恋風』などの当時のベストセラー小説の挿絵を描いて一世を風靡した人。ちなみに『金色夜叉』は多分高校生くらいの頃に国語の受験勉強の一環で多分読んだはずだが、今ではすっかり忘れている。『魔風恋風』は岩波文庫で出ていて、確か復刊されたものを手に取ったことがあるので、なんとなくタイトルだけは覚えている。

 梶田半古が一般的に知られているのは日本画の大家である小林古径前田青邨奥村土牛の師匠であることだそうな。さらについでだから調べたところを書くと、梶田半古は石井鼎湖の弟子なのだとか。その石井鼎湖は谷文晁門下の鈴木鴛湖の次男でその子には洋画の石井柏亭がいる。印象派ぽい絵を描いた石井柏亭である。いろいろと繋がるもんだ。

 話を奥村土牛に戻す。梶田半古に弟子入りするも割とすぐに半古が死んでしまい、その後は兄弟弟子でもある小林古径に師事する。一般的には小林古径と同じく新古典主義的作風の画家とされるが、西洋絵画の表現を取り入れたり、形や色彩を簡略化した抽象的な技法、象徴主義的な表現などを様々な表現を自家薬籠中のものとした人だという。そして101歳まで生き日本画の長老的存在として君臨した。

 絵のキャプションにもあったのだが、土牛は小林古径からセザンヌの画集を買ってもらい、その絵に魅了され模写を繰り返したのだという。近代絵画の父セザンヌの影響とその形態の簡略化を日本画に取り入れたというのは進取の取組だと思ったりもする。

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『雪の山』 (奥村土牛) 1946年

 いわれてみればこれは写実を超えた形態と面の表現、セザンヌのサント・ヴィクトワール山だ。

 

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『城』 (奥村土牛) 1955年

 姫路城に取材した作品だという。超がつくほどの仰望だが、ここには写実を超え自在なデフォルメや強調化がなされている。

 

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『鳴門』 (奥村土牛) 1959年

 雄大、豪快な鳴門の渦潮を簡略化させている。前景の渦と近景の島影、渦潮のダイナミクスという紋切型のイメージを一新させるような新しい表現。この絵は何かずっと観ていられる。といって特に引き込まれるというのではなく、なんていうんだろう、緊張感を感じることなくゆったりと見入ることができる。

 

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『吉野』 (奥村土牛) 1977年

 土牛88歳の時の大作。年齢を感じさせないみずみずしさを感じる。前景の桜の木と中景のやや霞がかかったような桜の景色、さらに後景につらなる山、空気遠近法的な広がりと色面だけで構成されているような雰囲気。美しい絵だ。

 その他、気に入ったものを。

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『雨趣』 (奥村土牛) 1928年

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『鹿』 (奥村土牛) 1968年

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『醍醐』 (奥村土牛) 1972年

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『琵琶と少女』 (奥村土牛) 1930年