シドニー・ポワチエ死去

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シドニー・ポワチエさん死去 黒人初のアカデミー主演男優賞:朝日新聞デジタル

 新聞の訃報記事で知った。94歳、死因の発表がないけど大往生ということか。黒人俳優初のアカデミー賞主演男優賞受賞者、50年代~60年代のハリウッドを代表する俳優の一人だったし、あの時代の主役級の俳優ではほとんど最後の一人だった。

 この人の映画は沢山観たし、黒人俳優の草分け的存在だった。この人以外に主役を張る黒人俳優はほとんど皆無だったし、助演クラスでもほとんどいない。記憶をたどってもシナトラ・ファミリーのサミー・デイヴィス・ジュニアやフットボールのスター選手からハリウッド入りしたO・J・シンプソンくらいしかすっと出てこない。それほどシドニー・ポワチエは特別な存在だった。

シドニー・ポワチエ - Wikipedia

 ポワチエが主役、準主役を演じ、記憶に残っている映画は沢山ある。『手錠のままの脱獄』はトニー・カーティスポワチエがダブル主演だった。完全にポワチエがカーテティスを食う演技だったが(当たり前だ)、アカデミー賞にノミネートされたのはカーティスだった。そして初めて黒人として主演男優賞に輝いた『野のユリ』。この映画を何度も繰り返し観た。最初に観たのテレビ放映だった。字幕スーパーで観たのは多分レンタルビデオになってからだったか。

 さらに『駆逐艦ベッドフォード』、そして1966年の怒涛の快進撃『いつも心に太陽を』、『夜の大走査線』、『招かれざる客』。これらの映画で知的で高い教養を身に着けた黒人インテリ青年というポワチエのイメージは定番化する。このどの映画でも彼は二度目のオスカーを取るだけの名演技だったが、共演者がノミネートされ(ロッド・スタイガースペンサー・トレイシー)、結果は『夜の大走査線』で助演者であったはずのロッド・スタイガーが受賞した。ロッド・スタイガーならその2年前の『質屋』だったろうにと思わないでもないが、1964年はまさにポワチエが『野のユリ』で受賞した年だった。

 シドニー・ポワチエは白人にとって了解可能な良き黒人だった。60年代、公民権運動などで黒人の差別が社会問題として顕在化された時代だった。じょじょに黒人の権利は拡張されていったけど、アメリカ社会に内在する黒人への差別はそう簡単には払拭されない。そんななかポワチエが演じた白人にとっての良き黒人像はというと、ある種の緩衝材的な役割でもあった。粗野な黒人、野蛮で無教養なあいつらは差別されても致し方ない、彼らがみんなシドニー・ポワチエだったら認めてやってもいい、60年代から70年代初頭のアメリカの主にインテリ層の間ではそういうコンセンサスがあったのではないか。

 オスカーの歴史という点でいえば、ポワチエ以前にオスカーを受賞したのは1940年『風と共に去りぬ』で助演女優賞を受賞したパティ・マクダニエルまでさかのぼる。そしてポワチエ以降も主演男優賞は2000年代に入ってから、デンゼル・ワシントン(2002年)、ジェイミー・フォックス(2005年)、フォレスト・ウィテカー(2007年)まで出てこない。女性にいたっては2002年のハル・ベリーだけという。

 60年代にオスカーを受賞したシドニー・ポワチエは特別な存在だったのだ。

 さらにいえばアメリカ社会で受け入れられる、知的で教養溢れる良き黒人の代名詞はシドニー・ポワチエの後はバラク・オバマの出現までなかったのかもしれない。オバマが大統領になった時にそんな感慨を記したことがある。

アメリカの良き黒人 - トムジィの日常雑記

 60年代のシドニー・ポワチエが演じた良き黒人像は、子ども時代に感情移入できる対象だった。それはヘンリー・フォンダやジェームス・スチュワート、グレゴリー・ペックの演じた役柄と同じように。

 好きな作品は『野のユリ』だ。東独から亡命してきた尼僧を助け教会建設を無償で引き受ける流れ者、ホーマー・スミス。彼が教会の十字架を設置するシーンは、子ども心にもまるで天使のように思えた。


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 そして最も感情移入したのは『いつも心に太陽を』の高校教師マーク・サッカレーだ。あの映画は多分一人で映画館で観た。多分小学6年生か中学1年生くらいだった。映画の虜になりルルの歌う主題歌のEP盤も手に入れた。探せばまだどこかにあるかもしれない。それも50年以上前の話だ。


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 改めて書くが60年代のハリウッド・スターの最後の一人、偉大なアフリカ系アメリカ人俳優、シドニー・ポワチエが亡くなった。また一つ20世紀が遠くなった。ご冥福をお祈りします。