CSN&Y

  昨夜はかなり遅くまで、久々に本当に久々にネットで遊んでしまった。ユーチューブやらなんやらでCSN&Yのことを検索してスティーブン・スティルスのマナサス時代の映像なんかを楽しんでいた。それからグーグルで同じように検索して次のサイトを見つけ読み出したら、なかなかに面白く見事にはまってしまった。
CSN&Yヒストリー
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shugo/history_index.htm (閲覧:2007年8月19日)
 全体としてはこのスーパー・バンドがある意味ではニール・ヤングと他の3人というようなくくりになってしまうという世間的な評価をそのまま踏襲しているようにも思えた。一枚看板のスーパー・スター、ヤングとその他三名という図式かな。
 そしてこのグループの予想外ともいうべき大成功が4人のその後人生を大きく変えてしまったともいえるのだろう。ニール・ヤングのみが独立独歩わが道を行くのだが、残りの三名の音楽活動は常にCSNもしくは&Yの影から脱することなく30年以上の月日を過ごしてきている。ある意味でこの3人は常に再結成の幻想とともに生きている。再結成はいつでも彼らに成功をもたらす金のなる木であり続けるからだ。
  アメリカ人はなんでこんなにもこのグループを愛し続けるのだろう。4人のテクニックに秀でたギタリストにして美しいハーモニーを奏でるヴォーカリストの集合体であるからか。カントリー、ブルースを底流にしたフォーク・ロックの生きた伝説であるからか。まあ、いいや。
 彼らの歴史を読み続けていると様々な興味深いエピソードが満載でとても楽しい。1965年頃にスティーブン・スティルスはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでピーター・トーケルスンという金髪の若者と行動を共にしていた。スティルスはこの年の暮れにモンキーズのオーディションに合格しメジャーデビューが約束された。1966年いよいよデビューかと思われたが歯並びが悪いという理由から内定は取り消される。彼の代わりにデビューしたのが友人のピーター・トーケルスン=ピーター・トークだという。
  CSN&Yのなかでもある意味もっともギターテクニックに優れ硬派の印象のあるスティルスモンキーズのオーディションを受けたいたというのがなんとも意外で面白い。歴史にIFはあり得ないけれども、もしスティルスモンキーズの一員になっていたらと想像するだけでもわくわくする。モンキーズのギターはマイク・ネスミスなのだから、当然スティルスはベース担当ということになる。ジョニ・ミッチェルのアルバムでも披露したようなベースを弾くのだろうか。「アイム・ビリーバー」のオルガンは彼が担当するのだろう。
  モンキーズのテレビショーでのピーター・トークはもっぱら風変わりなボケ役を担当していたけれど、あのキャラクターはスティルスには似合わないような気がするな。なんとなくキャラ的にはミッキーとだぶるような気がするけれど、どうだろうか。
 しかしスティルスモンキーズとしてメジャーデビューしていたら、バッファロー・スプリングフィールドの結成はなかったことになる。それに続くCSNの結成、さらにCSN&Yの成功もまた当然のごとくなかったことになるわけだ。アメリカのフォーク・ロックの歴史は大きく変わっていたのだろうな、などと想像をたくましくするとなんだかわくわくするな。
 とはいえ歴史がどんな風に捻じ曲がってしまっても、やっぱりニール・ヤングはヤング自身であり続け、きっと成功を納めたんじゃないかとも思ってしまう。
  ニール・ヤングは最初の結婚でできた子どもが脳性小児麻痺であり、さらに再婚した相手との間にできた子どもまた脳性小児麻痺児として生まれたという。この病気には遺伝性がなく、同じ父親で、異なる母親から生まれた子どもが二人とも脳性小児麻痺児になる確率は天文学的なほど低いという。ヤングの歌に底流する暗さは、彼の家族の悲劇的な部分によるところも大きいのかもしれない。ヤングがベルリンでのライブの頃にもっぱらやっていたテクノサウンドボコーダーで合成された声は、すべて二番目の子ベンの治療プログラムで使用したものだったという。こういう背景もまた興味深い。
  そんなこんなでこのCSN&Yヒストリーを明け方近くまでのんびり楽しませてもらった。